私の母方の祖母は、かつて産婆をしていた。
今から半世紀以上前、昭和三十年代初期のことだ。幼い私に向けて祖母はよく話してくれた。「どんな子も小さいうちは天使のようにかわいいもんだ」と言いながら、彼女の仕事の話をおもしろおかしく語ってくれた。
彼女が語るのは、産婆という仕事の明るい部分だった。熱いお湯や清潔なシーツ、毛布を準備し、新しい命が生まれる瞬間に立ち会うこと。母親が涙を流して喜ぶ姿に触れることができるのは、産婆としての大きな喜びだという。子ども心にその話はとても楽しかった。そんな祖母も、今はもういない。一年半前に亡くなった。
母が祖母の思い出話を笑いながらできるようになった最近、ふと私は母に言った。「そういえば、おばあちゃん、よく産婆の話をしてくれたよね」。そのとき、母は祖母が抱えていた暗い側面について話し始めた。これは、母が十年ほど前に祖母から直接聞いた話だ。
その日、祖母は風邪をこじらせた産婦の出産を手伝うために、朝から産婦の家にいた。産婦の家族や近所の人々も心配しており、もう一人の産婆である大類さんも手伝いに来ていた。大類さんは当時三十五歳で、家が近いこともあり、気さくに協力を申し出たという。祖母にとっては頼もしい存在だった。
しかし、その出産はなかなか進まず、昼を過ぎ、夜になっても赤ちゃんは生まれなかった。祖母と大類さんは、夜間は二人で交代しながら産婦を見守ることを家族に提案した。家族は安心して休むことに同意し、交代制の見守りが始まった。
深夜、祖母が産婦の苦しむ声で目を覚ましたとき、大類さんはすでに分娩を手伝っていた。急いで手伝いに加わった祖母は、産婦の母親が駆けつけるのを見た。その村では、分娩には母親以外の家族が立ち会わないという習慣があり、他の家族は別室で待っていた。やがて、赤ん坊が無事に生まれた。
産婦の母親と祖母が安堵する中、大類さんが言った。「この子、目ん玉が無いわ」。その言葉に祖母は愕然とした。赤ん坊が生まれる瞬間、祖母は赤ん坊の顔を確認していた。目は開いていなかったが、眼球の膨らみは確かに見た。なぜ大類さんがそんなことを言うのか、祖母には理解できなかった。
赤ん坊の母親はその言葉に打ちひしがれ、うつ状態に陥った。しかし何年か後、彼女はその子を慈しみ育てている姿を祖母は目にしたという。
祖母は長い間、この件について誰にも言えなかった。「万が一、自分の見間違いだったらどうしよう」と悩み続けた。しかし心の中では、大類さんが赤ん坊の目を故意に潰したのではないかという疑念が消えなかった。
「あのとき、どうして大類さんは私に『起きて』と声をかけてくれなかったのか」。それが祖母にとっての大きな違和感だった。大類さんが産婦やその家族に何らかの恨みを抱いていたのだろうか。それとも祖母の見間違いで、赤ん坊はもともと障害を持って生まれたのか。
今となっては、何もわからない。
(了)
[出典:357:赤:2006/03/12(日) 17:33:18 ID:ahP/vv9j0]