その屋敷の敷地内には、古びた小さな祠が鎮座している。
苔むした石段を上ると、木々に囲まれたその場所には、代々水神様が祀られてきた。祠は周囲にひっそりとした威厳を放ち、訪れる者を畏怖させる。信仰心の篤い一家にとって、そこは守り神の存在を肌で感じる特別な場所だった。
時を遡ること数十年。彼女の祖父がまだ若かった頃、田畑の耕作には牛が欠かせなかった。重い鋤を引かせながら、日々畑仕事に励んでいた祖父の姿は、村の誰もが知っていたという。その畑へ向かう途中には、川をまたぐ木製の橋があった。高さもあり、しっかりとした造りの橋だと村人は信じていた。
だが、ある日その橋が突然崩れた。牛とともに川へと転落した祖父は、奇跡的に軽傷で済んだが、牛は命を落とした。水神様の祠に日々手を合わせていた祖母は、祖父が助かったのは神のご加護だと信じた。そして、礼を尽くさねばと決意し、村で評判の拝み屋のもとを訪ねることにした。
拝み屋は、集落の霊的支柱とも言える存在だった。村人の相談を受け、必要とあれば神仏の力を借りて解決に導く。その日も祖母の話を静かに聞いていたが、途中で様子がおかしくなった。目を大きく見開き、声にならない奇声を上げたかと思うと、正座したまままるで見えない力に引かれるように、高さのある祭壇の上まで滑るように移動していった。
そして、一心不乱に経文を唱え始めた。その光景に祖母は言葉を失った。唱え終えると、拝み屋はゆっくりと祭壇から降りてきたが、祖母が何を問うても何も答えようとしなかった。ただその目には、深い恐怖の色が宿っていた。
家に帰る途中、祖母は祠に寄り、手を合わせながら何度も水神様に感謝を述べた。しかし心の片隅には、拝み屋の奇妙な行動が引っかかり続けていた。
後年、家族でその出来事を語り合うと、さまざまな考察が飛び交った。一つは、祖父に付き従う守護霊のような存在が、拝み屋の霊視を激しく拒絶したのではないかというもの。強力な守護霊が「見るな」と威圧し、拝み屋が即座に謝罪しなければならなかったのだろうという推測だった。
別の説は、祖父が水神様の祠を軽んじるような振る舞いをしたため、怒りを買ったのではないかというものだ。その怒りをなだめるため、拝み屋は懸命に祈りを捧げたという。
いずれにしても真相は闇の中だ。ただ、祖父はその後も健康で長生きし、九十を超えて大往生を遂げたという。その平穏な晩年が、水神様の加護を示しているのか、それとも別の何かによるものなのか――。祠の前に立つと、どこか見られているような感覚を覚えるのは確かだ。
(了)
[出典:520 :本当にあった怖い名無し:2012/03/07(水) 19:24:26.53 ID:P4h2oiCz0]