私がまだ幼かった頃、両親はある新興宗教に傾倒していった。
最初は日曜だけの集まりだった。やがて平日も通うようになり、家には見慣れない人が出入りするようになった。居間の空気が、少しずつ変わっていった。
父は商社勤めの会社員だったが、私が小学校に入る頃には退職し、教団の幹部になった。私が一年生、兄が三年生の秋、家族で教団の宿舎に移った。
山の中腹にある古い建物だった。廊下は軋み、窓は曇り、夜はやけに静かだった。
最初は週に三日ほど学校に通っていた。しかし担任の先生が「毎日通わせてください」と何度も働きかけたことがきっかけで、私たちは完全に通学を止められた。理由は知らされなかった。ただ、「外の世界は子どもを汚す」とだけ言われた。
朝食の後、長い祈りが始まる。膝が痛くなっても姿勢を崩してはいけない。午後は教義の暗唱、単調な内職、裏の畑仕事、鶏と山羊の世話。鶏は突いてくるから怖かった。山羊は黙って寄り添ってくるから少し安心した。
父と母の顔を見る時間はほとんどなかった。二人とも忙しく、目はどこか遠くを見ていた。
夜、消灯後に兄が私の布団に潜り込んできた。小さな懐中電灯を毛布の中で灯し、算数や漢字を教えてくれた。声はいつも囁きだった。足音が廊下で止まると、すぐに灯りを消した。
ある日、兄が言った。
「ここにいたら、俺たち戻れなくなる」
その言葉の意味を、私は完全には理解していなかった。ただ、戻れなくなるという響きが怖かった。
凍るように寒い明け方、私たちはありったけの服を重ね着し、宿舎を抜け出した。息が白く、土は湿っていた。畑を越え、林を抜ける。顔に何度も蜘蛛の巣がかかった。闇の中で鳥が羽ばたくたび、体が固まった。
振り返る勇気はなかった。
線路脇の小さなバス停で始発を待った。兄の手は冷たかったが、握る力は強かった。
駅で、兄は駅員に電話を借りた。何度も公衆電話に駆け寄り、硬い声で誰かと話していた。内容は覚えていない。ただ、兄の背中が急に大きく見えたのを覚えている。
何本も電車を乗り継いだ。窓の外の景色が次第に見覚えのあるものに変わる。その途中、兄は一度だけ泣きそうな顔をしたが、私が見ていることに気づくとすぐに真顔に戻った。
到着したホームには大人が数人立っていた。弁護士と警察官、そして兄の担任だった先生。
先生の手は温かかった。私はようやく震えていることに気づいた。
その後の手続きは長かった。両親と会うことはなかった。教団とも関係を絶った。
兄は夜間大学に通いながら働き、高校生だった私の弁当を毎朝作った。受験勉強も厳しかった。容赦はなかった。
今でも、あの山道を思い出すことがある。蜘蛛の巣の感触、闇の匂い、始発バスの冷たい座席。
あの夜、私たちは何を捨ててきたのだろうかと考えることがある。
両親か、子ども時代か、それとも別の何かか。
兄は今も元気だ。私は社会人になった。外から見れば、普通の人生だ。
ただ、ときどき夢を見る。山の宿舎の廊下を歩いている夢だ。扉の向こうから祈りの声が聞こえる。私はそこに立ち止まり、入るかどうか迷っている。
目が覚めると、静かな部屋の天井がある。
私は今も、外側にいるのかどうか、自分で確かめるように息をする。
(了)
[出典:カルト教団から抜け出してきた児童]