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イトウを知っているか r+1,176

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高校一年の夏休み明けだった。

その日、教室の空気はまだ蝉の死骸みたいにじっとりしていて、机の木目からは古い汗の匂いがした。
席に着いて間もなく、前の席の男が唐突に振り向き、妙に湿った声で言った。

「イトウって知ってる?」

俺は思わず眉をひそめた。
「イトウ? 誰それ」

男は信じられないという顔をした。
「何言ってんだよ。同級生だろ。お前の地元の友達だろ」

俺は首を振った。
「知らないって」

そのやり取りは、短いはずなのに、妙に間延びして耳にまとわりついた。

数日後、またそいつが言う。
「やっぱり知ってんだろ。アイツ、お前と仲良かったらしいじゃん」
「だから知らないって」
「しらばっくれるなよ」
言葉が刃みたいになって、俺の胸をじくじく刺してきた。

俺は頭に血が上り、気づけば机を蹴っていた。
意味の分からない喧嘩だった。向こうは俺を薄情者扱いし、俺は知らない奴を押しつけられた怒りで手が震えた。

家に帰ると、小学校から中学までの卒業アルバムを引っ張り出した。指先が紙で切れ、血の跡がページに落ちても、手を止めなかった。
だが、どこにも「イトウ」なんていない。

そのクラスメイトとはそれきり口をきかなくなり、やがて転校していった。
残ったのは、湿った石みたいな違和感だけだった。

高二になったある日、部活で隣のクラスの奴に声をかけられた。
「なあ、イトウって知ってる? お前と同じ中学だったんだろ」

脳の奥がざわめいた。
「いや……知らない」
「女だよ、背が低くてさ……友達の友達なんだよ。この前カラオケ行って、ノリのいいやつだった」

女? なおさら知らない。
「本当に知らないの?」
「知らない」

数日後、そいつが青ざめた顔で言った。
「あのさ……お前に会わせようと思ってたイトウ、いなくなったらしい」
「は?」
「突然家を捨てて、夜逃げみたいに」

背筋が氷を伝う感覚がした。

やがて、地元の友人からも同じ名前が出てきた。
「イトウって同級生いたっけ?」
「いない! お前も聞かれたのか?」
「お前も?」

俺ら三人、違う高校に通う別々の友人から、それぞれ「イトウ」のことを聞かれていた。
誰も知らないはずの人間が、俺らの周囲に滲み出してきているみたいだった。

同窓会でも、誰もその名前を知らなかった。
ただ、連絡がつかない奴の中に、もしかしたらイトウ姓になった奴がいたかもしれないという話が出たが、確証はなかった。

半年後、幼馴染の従姉妹が俺の顔をまっすぐ見て言った。
「ねぇ、イトウって知ってる?」

喉の奥が詰まった。
「……いない」
従姉妹の声は震えていた。
「だよね……いないよね……」

それから、イトウはしばらく姿を消した。

大学卒業が近づいた頃、バイト先でまたその名を聞いた。
「イトウって知ってる?」
その瞬間、胃の中のものが逆流しそうになった。
「背が低い女で、俺と部活が同じだったって言うのか?」
「そうそう! やっぱ知り合いじゃん」

そいつは携帯を取り出し、番号を押した。
耳を澄ますと、遠くで女の声がした。
「もしもしぃ」
ノイズ混じりの、濁った水の底から響くみたいな声。
俺は確信した――イトウは、存在している。

だが、その夜からバイト先の人間の態度が急に変わった。
挨拶も返ってこず、肩がぶつかっても目すら合わない。
そして店長から「しばらく来るな」と言われ、気づけば店は潰れていた。

イトウを口にした人間は、不思議と皆、何かを失っていった。
最初のクラスメイトは転校、部活の奴は退学、従姉妹は心を壊した。
そして今、俺の彼女が言った。

「ねえ、イトウって知ってる?」

声が耳に入った瞬間、部屋の空気がゆっくりと沈んだ気がした。
……多分まだ、あいつは俺の周りを這い回っている。
名前だけを擦りつけながら、少しずつ、俺の世界を削っている。

[出典:36 :本当にあった怖い名無し:2007/08/25(土) 20:59:44 ID:v+Sa2shO0]

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