人形修理が得意な友人Aに、私は一体の人形を預けていた。
修理というより、正確には眼の調整だ。アクリルアイの嵌まりが少し甘く、左右の視線がわずかにずれて見える。それを直してもらうだけの用事だった。
その眼は、特別なものではない。量産品で、追視もしない。人形者の間ではそういう目は一目で分かる。角度を変えても黒目は動かず、どこから見ても同じ方向を向いている。だから私は、修理を頼む前にわざわざ説明した。「この目は追視しないから、雰囲気を壊さない程度でいい」と。
Aの部屋は、作業台と棚に囲まれた典型的な人形部屋だった。パーツの入った小箱、古い工具、半分解体された胴体。机の中央に、例の人形は仰向けに寝かされていた。
その日はもう一人、友人Bが来ていた。Bは人形趣味とは無縁で、たまたま暇だったから付いてきただけだ。人形を見るのもほぼ初めてだと言っていた。
三人で雑談をしている最中、Bが突然声を上げた。
「ねえ、このお人形……見てるよね」
冗談だと思った。だがBは立ち上がり、机の周りをぐるりと回り始めた。右から覗き、左から覗き、少し屈んだり、背伸びしたりしながら、笑い声を上げる。
「ほら、見てる。こっちに来ても、ちゃんと目が合う」
子どもが玩具を見つけたときのような無邪気さだった。
Aと私は顔を見合わせた。追視しないはずの目だ。照明の反射か、気のせいだろう。そう思いながらも、私は机の正面に立って人形を覗き込んだ。
目が合った。
確かに、こちらを見ている。位置を変えると、黒目の中心がわずかにずれ、視線が後を追ってくる。動きは微妙だが、否定できないほどはっきりしていた。安物のアクリルアイが、アンティークのグラスアイのような奥行きを帯びている。
「照明の関係かな」
そう言いながらも、Aの声はどこか硬かった。Bは面白がっているが、私たちは笑えなかった。追視する構造ではない。偶然で説明するには、動きが正確すぎる。
しばらくしてBが帰った。玄関で靴を履きながらも、「あの人形、可愛かったね」「ずっと見てきたのが印象的だった」と言っていた。
扉が閉まった直後、Aがもう一度人形を覗き込んだ。
「……見てない」
私も確認した。追視が消えていた。どの角度から見ても、ただのガラス玉だ。さっきまでの動きが嘘のように、完全に静止している。
照明を変え、位置を変え、顔を近づけても、何も起きない。
「何か、嫌だね」
Aがそう言った。私も同じ気持ちだった。追視していた時間は短いが、確かにあった。その事実だけが残った。
その日はそれ以上触れず、私は人形をそのまま預けて帰った。
翌日、Aから電話が来た。夕食用にエビフライを揚げている最中、跳ねた油が目に入ったという。幸い重症ではなかったが、眼科で処置を受けたらしい。
通話を切った直後、今度はBからメッセージが届いた。帰宅途中、前の車が跳ね上げた小石が目に当たり、こちらも眼科に行ったという。
二人とも、目の怪我だった。
偶然だと自分に言い聞かせたが、胸の奥が冷えた。あの時、人形が追視していたのは誰だったのか。Bが騒いでいる間、あれは何を見ていたのか。
順番だとしたら、次は私だ。
その夜、私は自分の部屋に戻った。棚の上には、同じ系列の人形が何体か並んでいる。預けた人形はいない。それでも落ち着かなかった。
眠ろうとして目を閉じると、あの視線の感触がよみがえる。見るというより、測られている感覚だ。
明け方、喉が渇いて洗面所へ行った。鏡の前で顔を洗い、ふと視線を上げた瞬間、違和感に気づいた。
鏡の中、背後の棚に置いた人形たちの中で、一体だけが私を見ていた。
動いていないはずの目が、確かに私の位置を捉えている。
瞬きをした。目をこすった。だが視線は外れない。
私はその人形を箱に入れ、蓋を閉めた。布で包み、さらに袋に入れた。それでも、背中に視線が刺さる気がした。
後日、Aから連絡があった。私が預けた人形の修理は終わったが、眼を外した方がいいと言う。理由は聞かなかった。聞く気もしなかった。
今も、あの人形は私の部屋にある。箱の中で、眼を外されたまま。
それでも時々、夜中にふと目を覚ますと、自分の視線が合う位置に箱が置かれていることがある。
誰が、動かしたのかは分からない。
[出典:407 :もしもし、わたし名無しよ:2008/11/05(水) 12:03:34]