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🚨看板の位置 nc+

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その話は、音楽関係の知人から又聞きしたものだ。

本人は、もう誰にも詳しく話していないらしい。ただ、当時の空気だけは妙に正確に覚えている、と言っていたそうだ。

始まりは、ごく普通の長文メールだったという。
夜更け、部屋の照明を落とし、机の上のノートパソコンだけが青白く光っていた。湿気を含んだ空気が肌に張りつく季節で、窓は閉め切られていた。受信音は鳴らない設定だったが、画面の隅に小さな通知が現れた瞬間、なぜか彼女はすぐにそれに気づいた。

送り主は、会ったことのない人物だった。
名乗りは丁寧で、文章も整っている。冒頭には賛辞が並んでいた。歌声が印象的だったこと、いくつか作品を聴いたこと、知人にも共有したこと。ここまでは珍しくない。彼女のもとには、似たような感想文が定期的に届いていた。

だが、読み進めるうちに、身体が先に反応したという。
文章の行間から、細いものが伸びてくる感覚。比喩ではなく、皮膚の裏をなぞられるような、実感としての違和感。喉元に、冷たい指先を当てられているような感触だったと、彼女は言っていた。

要望が多かった。
音楽の方向性、声の使い方、言葉の選び方。過去の楽曲を引き合いに出し、もっと崩したほうがいい、肩の力を抜くべきだと続く。観察は鋭く、知識もあるように見えた。だからこそ、彼女はすぐに閉じることができなかった。

その文章には、こちらの都合というものが存在しなかった。
読む時間も、読む体力も、相手の状態も考慮されていない。賛辞と同じ速度で要求が増えていく。褒める言葉が、次の指示の前振りになっている。画面の向こうから、体温を帯びた何かが、距離を詰めてくる感じがしたという。

普段なら、無視できたはずだった。

嫌なものは見なかったことにする。それは、長年身につけてきた技だった。だがその夜は、目が離れなかった。胸の奥がざらつき、理由を探し始めてしまった。後になって彼女は言った。その時点で、もう一歩、踏み込んでいたのだと。

考え始めると、止まらない。
なぜ引っかかるのか、どこが不快なのか。言葉にできれば、片づけられる気がした。違和感をそのままにしておくことが、彼女にはできなかった。

そして、電話をかけてしまった。

それが失敗だったのかどうか、今でも断言できないらしい。ただ、「スルーできなかった」のではなく、「スルーという技で避け続けてきた場所に、立ってしまった」のだと、彼女は言った。

通話の中で見えてきたのは、相手の人物像というより、自分の癖だった。
彼女は、押しが強い人が苦手だと言いながら、そういう人を無意識に意識し続けている。嫌いなものほど輪郭がはっきりし、避けたいものほど目に入る。暗闇の中で、白い紙だけが浮かび上がるように。

彼女は自由な人に憧れていた。

評価に縛られず、無造作に振る舞える人。そういう人の何気ない一言に、勝手に傷つく自分がいる。相手は何もしていない。ただ、自分の中にある看板に触れただけなのだと、頭では分かっていた。

あの長文メールも、同じ構造だった。
彼女は、コントロールされることを嫌っている。だから、褒めながら指示する文章に、身体が先に反応した。あるいは、自分がコントロールされやすいことを、どこかで知っていたのかもしれない。

メールの末尾には、こう書かれていたという。
「もし気分を害されたら、どうかスルーしてください」

一見すると、配慮の言葉だ。
だがそれは、言うだけ言って責任を切り離すための一文でもあった。最後まで読まなければ全体像が見えない構造。相手の時間を扱う感覚が、決定的に欠けていると、彼女は感じた。

直感は、切れ、と告げていた。
理由は後からいくらでも付けられる。だが、切れなかった。損得が顔を出した。この人は、何か役に立つかもしれない。繋いでおいたほうが得かもしれない。その瞬間、自分が無意識に首輪を差し出していたことを、彼女は後になって思い出した。

自由に憧れながら、捨てる力が弱い。
だから憧れは、いつも痛みを伴う。

最終的に、彼女は静かに距離を取った。
丁寧に断り、それ以上のやり取りはしなかった。人間関係は善悪ではなく、体温調節だと、自分に言い聞かせながら。

それからしばらくして、奇妙なことが起きた。
彼女が書きかけていた歌詞の中に、覚えのない言い回しが混じっていた。使ったはずのない単語。どこかで聞いたことのある調子。削除しようとすると、指が止まる。

その表現は、あのメールの中にあった言葉と、よく似ていた。

彼女はその行を消した。
消したはずだった。

翌日、ファイルを開くと、同じ行が戻っていた。
しかも、わずかに整えられて。語尾が滑らかになり、意味が曖昧になっている。自分の書き方に、妙に馴染んでいた。

別の未完成ファイルを開いてみると、似た調子の一文があった。
過去に書いた歌詞を読み返すと、構文だけが一致する行が、いくつか見つかった。どれも、意識して使った覚えはない。

彼女は、それ以上確かめなかった。
原因を探すこともしなかった。ただ、その曲を完成させることはなかったという。

今も彼女は言う。
「あのメールは、ただの文章じゃなかった。私の中にある看板の位置を、正確に知っていた」

そして、こう付け加える。
「本当に怖いのは、相手じゃない。ああいう言葉が、もう一度、自分の中から書けてしまうこと」

(了)

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