※猫好きの方は、読まない方がいいかもしれません。
特殊清掃の会社に勤めていた。
人が想像するような、生々しいご遺体の処理なんて実際はごく一部で、主な仕事はその“あと”――つまり、人がいなくなった空間を、誰も住めなかった空気を、ゼロに戻す作業だった。
けれど、動物が絡む案件はまた別だった。
家主が旅行中に放置された犬、飼い主に捨てられたペットたち。人間よりもずっと生々しい。毛皮の下に残る小さな命のかけらは、時にそこに“まだいる”ような錯覚を起こさせる。幻覚としか思えない現象も、慣れてくると作業の一部のように受け入れられるようになる。
働き始めて二年ほど経った頃だった。
一本の電話を受けた。声の主は品のある中年の女性で、よく通る落ち着いた声をしていた。「ペットが……」とだけ言って、淡々と依頼内容を話してきた。妙に整った受け答えが、逆に印象に残った。
通常通り、営業担当と一緒に現場の見積もりに行くことになった。営業は場数を踏んでるから勘が鋭い。車の中でぽつりと、「今日の客、なんか変かもな」と言った。
目的地に着いた時、胸が少しざわついた。
三階建ての、瀟洒な洋風の一軒家。手入れされた植栽。門扉の向こうには、上品な身なりの中年女性が笑顔で待っていた。声と同じで、どこか浮世離れした印象だった。
家に入った瞬間、鼻を突く異臭に頭が揺れた。
マスク越しでも感じるこの臭いは、明らかに“人間”ではない。営業は顔色ひとつ変えず、俺のほうに目配せだけを送った。
「三階です」
女の声は明るく、階段を指さした。
一段、また一段と登るたび、臭いが濃くなる。視界にちらつく斑点のような残像。
三階のドアを開けた瞬間――
床一面が、動かない毛皮で埋まっていた。
猫、猫、猫。
白、黒、茶。毛色も模様も、ぐちゃぐちゃに混ざって、境界がわからない。
息をするのも忘れていた。軽く嘔吐き、意識が遠のきかけたところで営業が手で「下りろ」と合図を送ってきた。
二階でひとり、時間の感覚もなくぼうっとしていた。
営業が戻ってきて、静かに言った。「二百匹」
春先で腐敗はそこまで進んでない。蛆も湧いていなかった。
ただ、数が、きっちり“二百”というのが、あまりにも作為的に思えた。
一階に戻ると、女は何事もなかったかのように微笑んでいた。
営業が金額を提示し、女がその場で了承。契約書にサインをする手は滑らかで迷いがなかった。
「……やれるか?」
帰りの車の中で、営業が俺にそう聞いた。でも、何も言えなかった。
三日後、作業が始まった。
自分を含めた四人に加えて、営業も来てくれていた。気持ちは、正直ありがたかった。
うちの会社には暗黙のルールがある。
幽霊が見えるとか、霊感があるとか、そう言う奴は採らない。怖がりは作業の邪魔になるからだ。だから誰も迷信には頼らないが、作業前には塩をふって手を合わせる程度のマナーは守っている。
ゴーグル、防護服、手袋。完全装備で、五人で三階に上がった。
猫たちは、音もなく袋に入れられた。
四匹ずつ。袋が膨らむたび、何かが終わっていく感覚だけが残った。袋をダンボールに入れて、静かにトラックに積んでいく。
途中、猫の目が開いていることに気づいてしまった。閉じても、また別の個体の目が開いている。全部がこっちを見ているような錯覚が消えなかった。
やっとの思いで二百体すべてを運び終えた。
四人の作業員がトラックで出発し、営業と俺だけが残って防臭処理と簡易清掃を続けた。
時刻は十八時を回っていた。
すべてを終えて、清掃道具を鞄に詰めた後、女を三階へ呼んだ。
女は、やはりあの笑顔で、「ありがとうございました」と言った。
営業が現金を受け取り、領収書を切る間、俺はもう限界で、その場から逃げるように階段を降りた。
五分ほどで営業も下りてきた。
「挨拶しなくていいんですか?」
そう聞いたが、彼は答えず、黙って車を発進させた。
会社に戻る途中、コンビニで停まり、営業が俺にコーヒーを勧めた。断ると、車内で彼がぽつりと話し始めた。
「猫、好きなんですって。身内が誰もいないから、家族代わりだって」
営業は適当に相槌を打っていたが、会話を切り上げようとした時、女が言ったそうだ。
「またお願いします」
満面の笑みで、まるで贈り物でも頼むように。
その言葉を聞いて、営業も黙って出てきたという。
あの夜の冷気と、女の声が、ずっと耳に残って離れない。
翌日、営業から「幽霊とか、最近見てない?」と聞かれた。
すぐには意味が分からなかったが、少し考えて、「最近見ます」と答えた。
それからまもなく、社長から呼び出され、会社都合での退職を言い渡された。
退職金もきちんと出た。慰労金のようなものまで。
自分でも限界は感じていた。猫の死体を前にして、何かが決定的に壊れた。
辞めるつもりでいた時に、営業と社長が、俺を逃がしてくれたのだとわかった。
今は退職金を使って、中古品のリサイクルショップをやっている。
元の会社の遺品整理部門と提携して、少しだけ恩返しをしているつもりだ。
特殊清掃という仕事の中でも、あの日のことだけは、どこにも置いていけない。
あの女が、
“何に”対して「またお願いします」と言ったのか、
それだけが今も、頭から消えてくれない。
(了)
[出典:399 :本当にあった怖い名無し:2016/07/01(金) 16:01:00.28 ID:z1XYFOpt0.net]