俺の母は、小学校の教師をしていた。
それだけなら何の変哲もない話だ。けれども、母は「普通の教師」ではなかった。霊を感じる力を持っていたのだ。本人はそれを大っぴらに語ることはなかったけれど、赴任する学校によっては夜眠れないほど苦しめられることもあり、肉体的にも精神的にも消耗していた。俺がまだ中学生の頃、母の顔色は常に青白く、どこか遠くを見ているような目をしていたことを思い出す。
十年前のある年、母は四年生のクラスを担任することになった。そこで出会ったのが、Aという少女だった。彼女は噂になっていた。小学校に入学してすぐの頃から、近所の誰がいつ死ぬ、とか、校庭にどんな霊がいる、とか平然と口にする。最初は奇妙な子供だと見られていたが、ある上級生の自殺を言い当ててしまったことで、学校中で腫れ物のような存在となり、同級生からのいじめの標的になってしまった。
母は、その力が本物だと直感したらしい。担任として彼女に接してみると、予想以上に不安定で、強い感情に支配されると教室の机や椅子がひとりでに動き出すこともあった。母は彼女に「その力を口に出さないように」と言い聞かせ、封じ込めるように導いたそうだ。
一年が過ぎ、Aは五年生に進級した。再び母が担任となったその年、忘れられない出来事が起きる。
***
その夜、学校から電話がかかってきた。俺は隣の部屋で宿題をしていたから断片的にしか聞いていないが、行方不明の生徒がいるという知らせだった。母は慌ただしく外套を羽織り、夜の学校へ向かった。職員室には担任たちが集まり、必死に手分けして探していたそうだ。深夜になっても見つからず、空気は重く沈んでいたという。
そんなとき、職員室の電話が鳴った。母が受話器を取ると、相手はAだった。
「先生、学校で行方不明になってる人……いませんか?」
母が驚いて答えると、Aは震えた声で続けた。
「やっぱり……夕方から、ある病院の映像が頭から離れないんです。血の匂いがして、肩に何か乗ってきて……だんだんひどくなって、体もしんどい。でも、その場所に誰か生きてる人がいる。ドアを叩いて出してって……私、行かなきゃいけない気がする」
母は逡巡したが、直感でAを信じた。職員室を抜け出し、彼女を迎えに行った。
コンビニの駐車場で落ち合った母とAは、車内で顔を見合わせた。Aの顔色は死人のように青ざめており、細い指が小刻みに震えていた。彼女が指し示したのは、廃墟となった病院だった。すでに夜零時を回っていたが、母は躊躇わずにハンドルを切った。
道中、車のランプが急に消えたり、ラジオから意味の分からない声が流れたり、不気味な障害が次々と起きた。母は額に汗を滲ませ、Aは必死に何かを唱えていたという。やっとの思いで病院に辿り着いたとき、ふたりは同時に立っていられないほどの吐き気と眩暈に襲われた。空気そのものが腐っているようで、吐き気を堪えるだけで精一杯だったそうだ。
それでも母は、震える手で数珠を握りしめ、簡易的な結界を張って病院の中へ入った。
Aは、まるで何かに導かれるように一直線に進んでいった。長い廊下、割れたガラス、剥がれ落ちた壁紙。その奥にある手術室の扉を開けると、そこに失神した行方不明の生徒が倒れていた。彼は同級生ではなく他クラスの児童で、ネットで集めた仲間たちと肝試しをしている最中に閉じ込められてしまったのだった。生きてはいたが、扉はなぜか内側から開かなかったという。
母とAは彼を抱えて外へ出た。冷たい夜気に触れた瞬間、病院の圧迫感が嘘のように消えたらしい。
***
それから九年。俺は就職を機に上京し、営業先で一人の女性と出会った。凛とした眼差し、しかしどこか影を帯びた表情。初めて会ったのに、胸の奥がざわついた。彼女の名前を聞いたとき、何故か妙な既視感を覚えた。
彼女こそ、あのAだった。母の教え子であり、かつての「霊感生徒」。
互いに驚いたが、仕事を通じて距離は縮まり、やがて母とも再会を果たした。六月、彼女は俺の妻になった。
不思議なことがあった。結婚前、初めてふたりきりで話したとき、彼女は真剣な顔で言った。
「間違っていたらごめんなさい。あなたのお母様って、○○市で教師をしていた○○先生じゃありませんか?」
どうして分かったのかと尋ねると、彼女は視線を逸らしながら呟いた。
「前の日から、ずっと先生の顔が頭から離れなかったんです。高校の頃にはもう忘れかけていたのに……急に、どうしても思い出されて」
母もまた驚いていた。家庭で仕事の話をする人ではなかったから、俺はAの名前を一度も聞いたことがなかった。妻もまた、俺の存在を知らずに生きてきた。けれども運命は、九年前の病院の夜から静かに繋がっていたのだ。
いまも彼女の勘は鋭いままだ。霊を見る力は薄れたらしいが、ときおり何かを予感しては俺を制止する。先日は電車に乗ろうとした瞬間、「今日はやめた方がいい」と囁かれた。仕方なく別路線を使ったが、その電車は数分後に人身事故で止まった。
――俺は時折考える。あの夜、母と彼女が病院に踏み込まなかったら、行方不明の生徒はどうなっていただろう。そして俺と彼女が出会うことはあっただろうか。
答えは誰にも分からない。ただ一つ言えるのは、運命というものは確かに存在し、時には背筋が寒くなるほどの形で人を導く、ということだ。
[出典:41 :本当にあった怖い名無し:2008/09/21(日) 01:49:51 ID:HJXUQLbYO]