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お歯黒の男 r+1,971

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もう何年前のことだったか、正確な年はもう曖昧だ。

ただ、その日程の狂い具合と、あの夜の異様さは、今でも鮮明に思い出せる。

夏の終わり。親が京都へ行くというので、便乗することにした。
当時、私は趣味全開の仮装にのめり込み、三日間続くコミケに全力を注いでいた。
三日目の衣装を仕上げるため、初日から夜通し針を動かし、朝には会場へ。
徹夜が一日、二日、そして三日目が終わった夜には、打ち上げと称して深夜まで飲み、酔いと疲れで身体は限界を超えていた。

それでも、京都行きの準備を済ませ、二時間足らずの仮眠をとっただけで始発に飛び乗り実家へ。
父の運転する車で高速を突っ切り、京都へ向かう道中、私は後部座席で完全に沈没していた。

観光一日目は、記憶が飛び飛びだ。
二日目は天橋立へ日帰り。景色は美しかったが、足は鉛のように重く、会話はほとんど上の空だった。
そして、その夜――あの妙な体験が訪れた。

ホテルのシングルルーム。
風呂に入り、寝間着代わりのTシャツでベッドに沈み込む。
次に意識がはっきりしたのは、夜中だった。

動けない。
まぶたの裏がじわじわ明るくなり、天井の薄闇を感じながら、腕も足も首もまるで石膏に固められたように動かない。
ああ、これが金縛りか――と、最初は妙に冷静だった。
姉から「疲れるとよくある」と聞かされていたから、原因も想像がつく。
しかし、その次の瞬間、私は心底ぞっとした。

左腕が、何かに強く引かれていた。
人の手のような感触が、袖口あたりを掴み、じわじわと横へ引きずろうとする。
金縛りって、勝手に引っ張られたりするものなのか――そんな疑問を抱いたが、まぶたは動かせた。

薄く目を開けた瞬間、心臓が一拍遅れて跳ね上がった。
枕元に立っている。
白い着物。腰まで垂れる髪。顔は真っ白に塗られ、額の上には丸く描かれた黒い眉。袖は長く、口元を隠している。
男だ、とすぐに分かった。
平安時代の絵巻から抜け出したような、しかし妙に生々しい存在感。

声を出そうとしても喉は固まり、息だけが詰まる。
引っ張る力はさらに強くなり、ベッドの端まで身体がずるずると寄っていく。
目の前の男は、袖をゆっくり下ろした。
口元に、黒く塗られた歯――お歯黒。
それがニタァと開き、湿った笑みを浮かべる。

ぞわぞわと鳥肌が背中から這い上がり、完全に恐慌状態になった。
白い袖が左右に大きく広がる。まるで私を包み込むように。
笑みは崩れず、お歯黒が光り、額の麿眉が闇の中で奇妙に際立つ。

もがき続け、どれほど時間が経ったか分からない。
ふいに、左腕がわずかに動く感覚が戻った。
反射的に、その腕を振り抜いた。
裏拳のように、全力で何かをなぎ払う。
手応えは、生温い顔の感触。

男は、音もなく後方に吹き飛び、視界から消えた。
同時に、全身が嘘のように動き出した。
肩で息をし、汗が背中を伝い、心臓の音ばかりが耳に響く。

ふと気付くと、左手に何かを握っていた。
それは、京都初日に買った神社のお守りだった。
寝る前には机の上に置いたはずなのに、なぜか手の中にあった。
理由は分からないが、これがあったから殴れたのかもしれない――そんな確信めいた感覚があった。

その晩は電気を消せず、明け方までぼんやり過ごした。
翌日、お守りを買った神社に立ち寄り、「助けていただきありがとうございました」と小声で礼を言った。

帰宅後、あの男について調べた。
お歯黒は既婚女性だけのものだと思っていたが、平安から幕末まで、貴族の男も成人の証として施していたらしい。
そして、稚児――寺院や公家に仕えた少年の中には、男色の対象となる者も多かったという。
あの着物姿は、確かに平安貴族のようだった。
……だが、私は女だ。童顔のせいで男と勘違いされたのか。
それとも、性別など関係なく、あの男はただ自分の欲するものを求めて現れたのか。

思い返すたび、白い袖と黒い歯がじわりと視界に迫ってくるような感覚がある。
あの夜以来、私は京都の宿泊先を決めるとき、まず窓とベッドの位置を確認する癖がついた。
腕を引かれる感触は、今でも眠りの境目で蘇ることがある。

[出典:618 :615 その1:2012/01/22(日) 13:55:04.56 ID:fsQn71t50]

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