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それはうちのものではない rw+2,221-0414

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もう何年前のことだったか、正確な年は曖昧だ。

ただ、あの夜に腕を引かれた感触だけは、今も眠りの底で思い出す。

夏の終わりだった。親が京都へ行くというので、便乗した。
その少し前まで、私は三日間続くイベントに全力を注いでいた。衣装を直し、寝ずに会場へ行き、終われば打ち上げで朝方まで騒ぐ。まともに眠った記憶がないまま、二時間ほど仮眠を取って始発に乗り、実家へ戻った。そのまま父の運転する車で京都へ向かった。

道中のことは、ほとんど覚えていない。後部座席でずっと沈んでいたらしい。
一日目にどこを回ったのかも曖昧で、二日目に天橋立へ行ったことだけは覚えている。景色はきれいだったはずなのに、写真を見返しても、自分がどこを見ていたのか思い出せない。

その夜、宿に戻ってすぐ風呂に入り、Tシャツのままベッドへ倒れ込んだ。

次にはっきり意識が浮いたとき、部屋は暗かった。

目は開いているのに、体が動かない。
腕も足も首も、自分のものではないみたいに固まっていた。苦しいというより、重い。胸の上に見えない板でも載せられているような圧迫感があった。
疲れすぎると、こういうことがあると聞いたことがあった。だから最初は、金縛りだと思った。

だが、すぐに違うと分かった。

左腕だけが、ゆっくり引かれていた。

布団の上を、肘から先だけ横へずらされるような感覚だった。誰かが袖口をつかんで、様子を見るみたいに少しずつ引いている。
そこで初めて、ぞっとした。

まぶたは動いた。
恐る恐る目を開けると、枕元に誰か立っていた。

白い着物だった。袖が長い。髪は肩を過ぎるくらいで、顔だけが妙に白い。額の高い位置に丸く描いたような眉があり、その下の目が、暗いのにやけにはっきり見えた。
女ではない、とすぐに思った。
そう思った理由は説明できない。ただ、立ち方と顔つきに、男の気配があった。

そいつは私を見下ろしたまま、左腕を引いていた。

顔の半分は袖で隠れていたが、しばらくして、その袖がゆっくり下がった。
口元が見えた。
歯が黒かった。

笑っていた。

声は出なかった。喉の奥に空気だけが引っかかって、息を吸うたびにひゅうひゅう鳴った。
左腕はさらに引かれ、肩まで少しずつベッドの端へ寄っていく。落とされるというより、向こうへ渡される感じだった。

白い袖が左右に開いた。

抱き込もうとしているのだと分かった瞬間、全身の毛が逆立った。
このまま包まれたら駄目だと思った。何が駄目なのかは分からないのに、それだけははっきりしていた。

必死にもがいているうちに、左手の指先だけがかすかに動いた。

そのとき、自分が何か握っていることに気づいた。

細い紐の感触だった。
反射的に、そのまま左腕を振り抜いた。何かに当たった。柔らかいのに張りがある、人の頬に近い感触だった。

そいつの顔が、目の前から横にずれた。

その一瞬だけ、白い顔が近くで見えた。
肌は白いのではなく、白く塗ってあった。口の端は赤く、黒い歯のあいだだけがやけに湿っていた。

次の瞬間、体が動いた。

私はそのままベッドの上で跳ね起き、壁際まで後ずさった。息が切れて、肩で何度も呼吸した。部屋には誰もいなかった。照明をつけても、白い着物も長い袖も見当たらない。
左手を見ると、小さなお守りを握っていた。

京都へ来た初日に買ったものだった。寝る前、机の上に置いたはずだった。
なぜ手の中にあるのか分からなかった。握りしめすぎたせいで紐が手首に食い込み、赤い跡が残っていた。

その夜は電気を消せなかった。
明け方近くまで起きていて、うとうとしては、左腕だけが少し軽くなる感覚に何度も目を開けた。引かれるというほどではない。ただ、腕の先に自分の重さがなくなる。誰かに持たれているような感覚だけが、眠るたび戻ってきた。

翌日、昼のうちにその神社へ寄った。
礼を言おうと思ったのだが、社務所の人にお守りを見せた瞬間、「これはうちのものではないですね」と言われた。

聞き間違いだと思った。
昨日ここで買ったはずだと食い下がったが、首を振られた。
色も形も似ているが、紐の結び方が違うと言われた。どこの神社のものかは分からないが、少なくとも、ここでは授与していないらしかった。

その場で手を開くと、昨夜まで手首に食い込んでいた紐は、妙に湿っていた。
汗とは思えない冷たさだった。

気味が悪くなって、そのお守りは持ち帰らなかった。
境内の古い木の根元に置いて帰った。

それで終わると思っていた。

帰宅してしばらくしてから、眠る前に左手を布団の外へ出す癖がなくなった。無意識に胸のあたりへ引き寄せてしまうようになった。
理由は分かっている。外へ出して寝ると、ときどき肘から先だけが軽くなるからだ。

旅行先で宿を取るときも、窓とベッドの位置を先に見るようになった。
最初は、自分でもただの気にしすぎだと思っていた。

けれど、一度だけ、京都で同じ向きの部屋に泊まったことがある。

深夜に目が覚めたとき、左腕が肩まで布団の外に出ていた。
寝相のせいだと思おうとしたが、手首には細い紐の跡がついていた。赤く、一周きれいに。
その夜は何も見なかった。ただ、枕元の暗がりから、袖の擦れるような音だけがしていた。

それ以来、窓のある側に左腕を向けて寝ないようにしている。

向きさえ間違えなければ来ないのか、それとも、あちらが引きやすい側があるだけなのかは分からない。

ただ、眠りかけるたびに思う。

あの夜、私は振り払ったのではなく、一度つかまれたのだと。

[出典:618 :615 その1:2012/01/22(日) 13:55:04.56 ID:fsQn71t50]

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