本人はあまり語りたがらないが、酒が入ったときに一度だけ、ぽつりと漏らした。
津軽には、恐山で知られるイタコとは別に、地元の年寄りだけが頼る「イタコ」がいる。
看板も出さない。祈祷料も決まっていない。
失くし物の在処を言い当てたり、誰にも言っていない家の事情を口にしたりする程度で、派手な口寄せはほとんどしないという。
その知人の祖母も、そうした津軽イタコのひとりだった。
目はほとんど見えておらず、昼間でも部屋の明かりを落として過ごしていた。
近所の人間は、困ったことがあると、占い半分でその家を訪れたらしい。
数年前、津軽のある市で、市議会議員が殺された。
自宅近くで何度も刃物で刺され、犯人は逃走。
動機も分からず、証拠も乏しく、事件は連日ニュースで流れていた。
その報道を一緒に見ていたとき、知人は何気なく祖母に聞いたという。
「こういう人の霊を呼んで、犯人が誰か分かることってあるの?」
軽い冗談のつもりだった。
小さい頃から祖母の不思議な力を見てきたせいで、できてもおかしくない、そんな感覚があっただけだ。
祖母は、すぐには答えなかった。
湯のみを両手で包み、しばらく黙ってから、首を横に振った。
「その人の、いつも身に着けていた物がないと、難しい」
それで話は終わると思った。
だが祖母は、続けて言った。
「……いや。あったとしても、無理だね」
声が低かった。
知人は理由を聞こうとしたが、祖母は目を閉じたまま動かない。
沈黙が長く続き、部屋の空気が妙に重くなった。
「どうして?」
しばらくして、祖母は小さく息を吐いた。
「この人はね、もう戻れない所にいる」
知人は、その言い方が気になったという。
地獄だとか、成仏できないとか、そういう言葉を祖母は使わなかった。
ただ、「戻れない」とだけ言った。
祖母はさらに続けた。
「この人を呼ぼうとするとね、どこから来るのか分からない」
その瞬間、知人はぞっとした。
呼び出せないのではない。
**呼び出したとき、来るものが本人とは限らない**。
そう聞こえたからだ。
祖母は、まるで別のものを見ているような顔で、ぽつりと呟いた。
「一人の恨みじゃない。数えきれない数が、絡み合ってる。
誰が手を下したかなんて、もう意味がない」
知人は思わず聞いた。
「じゃあ、犯人は……」
祖母は首を振った。
「この件は、誰も正しいことを言えない。
言おうとした人間から、順番に黙る」
そのとき、祖母の視線が、知人の肩越しに向いた。
焦点の合わない目が、確かにそこを追っていた。
「……今も、動いてる」
知人は思わず振り返った。
もちろん、何もなかった。
だが祖母は、そのまま言葉を継いだ。
「こういうのはね、亡くなった人の話じゃない。
関わった人間の話になる」
それ以上、祖母は何も言わなかった。
数日後、祖母は急に体調を崩し、ほどなく亡くなった。
知人は、その後一度も「イタコ」の話をしなくなった。
事件は、今も未解決のままだ。
だが知人は、ニュースを見るたびに気になることがあるという。
報道で、あの市議会議員の名前が読み上げられるとき、
自分の背後で、何かが**位置を変える**気配がする。
振り返っても、そこには何もない。
ただ、祖母のあの言葉だけが、今も頭から離れない。
「どこから来るか、分からないんだよ」
(了)