茨城県の常磐道を南へと走ると、とあるインターチェンジがある。
深夜、そこを降りると空気が変わる。工業団地へ向かう道は、昼間でも人影が薄く、夜になると別世界のように音が消える。
私がその場所を初めて訪れたのは、仕事のためだった。派遣社員の事故死――その供養のために、花を持って現場へ行ったのだ。
事故があったのは午前二時過ぎ。夜勤明けの交代時間とほぼ同じ刻限。
工場の敷地を出た直後、直線道路で単独事故を起こし、そのまま命を落とした。
電話でその知らせを受けたとき、耳の奥に何かが落ちるような感覚があった。
事故現場に向かう車内、ラジオの音がやけに遠く、エンジンの振動ばかりが胸に刺さってくる。
現場は工場からさほど離れていない交差点だった。
暗がりの中、ガードレールは裂けた布のように曲がり、アスファルトには黒い擦過の跡が残っていた。
そこに、小さな地蔵堂があった。
古びて、色あせて、雨に削られたような木の質感。今にも崩れそうなのに、不思議と存在感だけは鮮やかだった。
地蔵の前に、花と水が供えられていた。
その供え物を置いていたのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。
私は花束を抱え、軽く会釈した。
老婆もゆっくりと顔を上げ、深く刻まれた皺の間から、笑うでも泣くでもない曖昧な表情を見せた。
花を供え終え、私は声をかけた。
「このあたり……よく事故があるんですか」
老婆は少し間を置き、かすれた声で答えた。
「昔は、よう死んだもんだよ……」
話を聞くと、この地蔵堂は、昔からこの道で命を落とした者たちを弔うために建てられたのだという。
それ以来、不思議と事故がぱったりと途絶えたそうだ。
「地蔵さまが、守ってくださってるんだよ」
老婆はそう言い、視線を地蔵に落とした。
私には、その小さな石の顔が、薄暗い中でかすかに濡れて見えた。
雨も降っていないのに。
老婆の日課は、この地蔵への供え物だった。毎朝、水を替え、時には花や団子、饅頭を添える。
それは何十年も続く変わらぬ習わしのようだった。
けれど、数日前、熱を出して寝込んだ日があった。
体が鉛のように重く、起き上がることすらできなかったという。
その日は、一度も地蔵に顔を出さなかった。
翌朝、やっと起きられるようになり、ふらつく足取りで地蔵堂に向かった。
その途中で、黒くひしゃげた車を見つけた。
警察官が立ち、赤いテープが張られ、その向こうに、血の匂いを含んだ風が流れていた。
それが、私の派遣先で働いていた男の車だった。
老婆は静かに話し終え、ぽつりと漏らした。
「あたしのせいなのかねぇ……」
その言葉は、ただの後悔や迷信ではなく、もっと深い何かを背負った響きだった。
私の目には、老婆の顔が地蔵の石肌と重なって見えた。
会社に戻ってからも、あの表情が消えなかった。
机に座っても、書類をめくっても、夜になるとあの現場の空気が胸を締めつけた。
ある夜、どうしても眠れず、再びあの交差点へ向かった。
午前二時ちょうど、地蔵堂の前に車を停めた。
月明かりの下、供えられた花は朝と同じままだった。
しかし水だけは……鉢の中で波打ち、揺れていた。風もないのに。
その揺れの中心に、何かが立っていた気がした。
ぼんやりとした人影。輪郭は夜に溶け、顔だけが濡れた石のように光っている。
まばたきした瞬間、それは消えた。
代わりに、足元の水鉢から水が滴り、私の靴を濡らした。
その水は妙に温かかった。
翌朝、新聞には、私が帰った後の時間に、別の車が軽い接触事故を起こしたと載っていた。
死亡事故ではなかった。だが、何十年ぶりの無事故記録は、また途切れた。
以来、あの老婆を見かけていない。
地蔵堂には、毎朝、花と水が供えられている。誰が置いているのかはわからない。
ただ、ある日、ふと水鉢を覗くと、底に黒い布切れが沈んでいた。
それは、事故で亡くなった派遣社員が作業着の下に着ていたシャツと、同じ色だった。
[出典:900 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/09/07(日) 19:57:32.12 ID:VLW0z/yeO.net]