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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

玄関を拭く人 nw+177-0120

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仕事に追われ、帰宅が深夜にずれ込む生活が続いていた頃、私は家賃四万円の古いアパートに住んでいた。

狭く薄暗い建物で、共用廊下は常に湿気を含み、壁紙はところどころ剥がれ、雨の日には黴の匂いが濃くなる。息を吸うだけで、体の内側まで湿るような場所だった。

最初に異変に気づいたのは、土砂降りの夜だった。靴の中まで濡らしながら帰宅し、自分の部屋へ向かおうとしたとき、廊下の床に濡れた足跡が続いているのを見つけた。小さな裸足の跡だった。大人のものではない。指の形が丸く、歩幅も短い。その足跡は、迷うことなく私の部屋の前で途切れていた。

不審に思いはしたが、疲労が勝っていた。誰かの悪戯だろうと考え、深く考えないことにした。鍵を開けて部屋に入り、そのまま眠った。翌朝には、足跡のことはほとんど思い出さなかった。

数日後、また雨が降った。帰宅すると、同じように小さな足跡が廊下に現れていた。前回よりもはっきりしている。指の一本一本が分かるほどだ。それでも建物に子どもが住んでいる気配はなく、廊下で誰かと会ったこともない。気味の悪さを覚えつつ、私は視線を逸らし、見なかったことにした。

それから雨の日ごとに、足跡は現れた。必ず私の部屋の前で終わる。呼び鈴が鳴ることも、物音がすることもない。ただ、そこまで来ている痕跡だけが残る。

ある夜、帰宅して鍵を開けた瞬間、違和感がはっきりした。玄関の外だけでなく、部屋の中にも足跡が続いていたのだ。私は確かに鍵をかけて出た。合鍵を持つ者もいない。濡れた足跡は、布団ではなく部屋の隅へ向かい、クローゼットの前で止まっていた。

扉に手を伸ばすと、ひやりとした湿り気が指先にまとわりついた。開けても、中は空だった。ただ床に、二つ分の小さな足跡が残っていた。それ以来、部屋の中でも水の気配を感じるようになった。

シャワーを浴びたあと、曇った鏡に小さな手形が浮かぶ。気づいて見直すと消えている。朝起きると、机の上に水滴が散っている。天井や配管に異常はない。大家に相談しても、首を傾げられるだけだった。

私は引っ越しを決めた。段ボールを積み上げる作業は苦しかったが、ここを出られるという気持ちだけが支えだった。荷物が減るにつれ、部屋は妙に広く、湿気が濃く感じられた。

最後の荷物を持ち上げたとき、背後から冷たい視線を感じた。振り返ると、部屋の中央にずぶ濡れの少女が立っていた。髪から水が落ち、床に新しい足跡を作っていく。顔は無表情だった。

「行かないで」

声は小さく、雨音に溶けるようだった。瞬きをした次の瞬間、少女はいなかった。床に残った水滴だけが、現実だった。

引っ越し当日、鍵を閉めるとき、部屋の奥から湿った冷気が流れ出てきた気がした。だが、私は振り返らなかった。

新居は清潔で、雨音も遠かった。しばらくは何事もなかった。しかし、雨の日の帰宅時、玄関前に小さな濡れた足跡を見つけた瞬間、胸の奥が冷えた。形も大きさも、あの頃と同じだった。

私は黙って雑巾を取り、足跡を拭いた。それから、雨の日には必ず玄関を拭くようになった。翌日にはまた足跡が現れる。消すことはできないが、拭くことだけはできた。

やがて気づいた。足跡は、私の部屋の前で止まらなくなっていた。拭き終えた床の奥へ、私の歩く位置と並ぶように、小さな足跡が続いている。

雨は今日も降っている。私は玄関に立ち、雑巾を手にしている。拭くことが、この部屋での正しい動線になってしまった。

[出典:778 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.11]:2025/01/22(水) 21:47:14.74ID:WNllj3Y10]

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