これは、四国の片田舎で生まれ育ったある男性から聞いた話だ。
その町では、彼が小さい頃まで独特の風習と価値観が色濃く残っていた。例えば、障がいを持って生まれた子や双子のように「普通とは違う」特徴を持つ子どもを、周囲はひそかに忌み嫌っていた。双子の幼馴染がいたが、年配の者たちはその二人を「忌み子」と呼び、距離を置いていたそうだ。また、視覚や聴覚などに障害がある子は「欠け子」と呼ばれ、表立って排除されることはなかったものの、町のあちこちで陰口を叩かれることが多かったらしい。
町が小さく、誰もが顔見知りの狭い人間関係だったせいか、こうした話はすぐに町中に広まる。ある家庭でそうした「普通とは異なる」子が生まれると、特に年配者が噂を立て、その家族はどこか遠ざけられることになる。いつしか町全体で「普通の子」を産むことが暗黙の目標となり、妊婦やその家族には大きな重圧がかかるようになっていった。
そこで妊婦が「普通の子」を産むためのまじないとして伝えられていたのが、《被猿》という風習だった。この奇妙な儀式の役割を担っていたのは、小さな木彫りの猿だ。妊婦の部屋や産院にその木彫りの猿を置き、いわば「身代わり」として災いを吸収してもらう。この「猿」が災厄を引き受けてくれることで、子どもが「欠け」や「忌み」を免れ、「普通」であることが約束されるという。これはいわば「陰の気」を避けるための祈祷のようなものだった。
妊婦の家や産院に置かれた《被猿》は、役目を終えると慎重に処理されることになっている。処理方法も厳格で、燃やしてはならない、何かに封じてもならない。理由はこうだ。火で燃やすと、その「陰の気」が空気に溶けて再び町に漂ってしまう。どこかに封じ込めても、後に誰かが偶然見つけ出して持ち出してしまう恐れがあるからだ。残る方法は「土に還す」こと。町の人々はこう信じていた。「土はすべてのものを分解し、長い時間をかけて、災いを薄めてくれる」
しかし《被猿》を埋めるといっても、同じ場所にまとめて埋めることは避けられた。もしも一箇所に埋めれば、掘り返される危険性が増す。それを避けるため、場所を分散させて埋めていたのだという。そのため、町の土の下にはどこにでも《被猿》が埋められている可能性があった。彼は幼いながらも、「土の中に恐ろしいものが眠っている」という話を祖母から聞かされ、夜道を歩くのが怖くなった。
ある日、幼い彼は好奇心から祖母に尋ねたことがある。「土に埋めても、本当に大丈夫なの?いつか災いが出てきたりしないの?」と。祖母は少し考え込み、静かにこう教えた。
「土はね、災いを薄めてくれるけど、消してくれるわけじゃないのよ。命も土に還って花を咲かせるように、災いもまたいつか姿を変えて現れることもある。だから、決して忘れちゃいけないんだよ」
彼は祖母の言葉の意味が理解できず、しばらく心の片隅にその「災いの循環」の話をしまっておいた。だが、それから数年後、彼の友人の一人が不思議な体験をすることになる。
彼の友人であるAが、ある日自宅の庭に花壇を作ろうと、スコップで地面を掘り起こしていた。するとスコップが何か硬いものに当たった。掘り返してみると、出てきたのは泥にまみれた木彫りの猿だった。猿の顔はひび割れ、目や口には土が入り込んでおり、長い年月の風化を物語っていたという。しかし、その木彫りの猿を見た途端、Aは体が震え、手からスコップを落とした。
何か不吉な気配が漂っていた。彼はその木彫りの猿を無言で見つめていたが、手に取る気にはなれなかった。不気味な存在感があり、ただ見ているだけで何かが取り憑くような錯覚さえ覚えたという。まるでその猿が、長い眠りから目覚めて、彼に対して「見つけたな」と告げているかのようだった。
その夜、Aはひどい悪夢を見た。夢の中で、彼は自宅の庭に立っていた。だが、周囲は真っ暗で、足元に何かざらざらした感触があった。ふと足元を見ると、何匹もの木彫りの猿が、地面から頭を覗かせて彼を見つめている。目を離すことができず、猿たちの目が彼をじっと見返している感覚が、胸に嫌な重みを残した。
目を覚ました彼は、悪夢の気味の悪さからか、布団の中で震えが止まらなかったという。朝になっても、あの猿が見つめていた光景が瞼に焼きつき、消えることがなかった。結局Aはその木彫りの猿を再び庭の奥に埋め直し、今度は土をたっぷりかけて二度と見つからないようにしたのだという。
ところが、それからしばらくしてAに奇妙な出来事が続いた。道を歩いていると、誰もいないはずなのに後ろから視線を感じたり、時には誰かが呼ぶ声が聞こえることがあった。振り返っても、そこには誰もいない。声も姿もなく、ただ「見られている」という感覚だけが残る日々が続く。やがて彼は次第に外出するのを避け、顔色も冴えなくなっていった。
話を聞いた彼の友人たちは、「気のせいだ」と笑っていたが、ただ一人、祖母だけは「災いは循環するものだからね」と、独りごとのように呟いた。
ある夜、Aの家の前を通りかかった人が、その家の庭に奇妙なものを見たという。それは木彫りの猿が、掘り返されたかのように、まるで人の手が触れた跡もなく、土の上にぽつんと座っていたそうだ。その木彫りの猿は、またもやAの家を見つめていた。
[出典:389 :本当にあった怖い名無し:2011/06/06(月) 11:13:19.38 ID:r56vx3RrO]