祖父の家の山には、小さな稲荷の祠がある。
伏見から分けてもらった神様を祀ったものだと聞いていた。けれども祖父の家の人間は誰も神仏を信じていなかった。祠へ続く小道は草木に覆われ、お供え物などされた形跡もなく、崩れかけた屋根の下に黒ずんだ狐像がひっそりと座っていた。
母は強い霊感を持っていた。祖母は異様なほど信心深かった。だから、子どもの頃の自分もその祠の存在を知り、墓参りのついでに足を運んでは柏手を打った。母が言うには、その稲荷はずっと「伏見に帰りたい」と訴えていたらしい。
けれど祖父は鼻で笑い、祖母は「離婚した以上〇〇家のことは私には関係ない」と突き放した。祠のある山へは車でしか行けなかったが、やがて祖父は年をとり運転もできなくなった。誰も稲荷に会いに行かなくなった頃、母は最後の参拝のときに「もうここには来られない」と告げた。
そんなことを知らなかった自分は、いつか稲荷を伏見へ返してあげたいと無邪気に思っていた。
やがて一人暮らしを始めて五年ほど経ったころ、祖母が京都へ旅行に行くと言い出した。同行できることになり、伏見へ行けるのだと胸が高鳴った。
その時だった。自分の傍らにずっと寄り添っていたらしい稲荷が、電話越しに母のもとへ渡った。母の声が変わった。涙が止まらなくなり、かすれた声で「たすけて」と繰り返す。まるで狐憑きのような状態だった。母は普段から弱みを人に見せるのを嫌う人で、詳しいことは語ってくれなかったが、一日中泣き続けたという。
祖父の一族は神を信じず、祖母は他人事のように関わらない。母は祠に行けないと諦めてしまった。そうして最後に母が口にしたのは「この稲荷を助けられるのは、もうあんただけだ」という言葉だった。
神様が涙を流すということが、どれほどの惨事なのか。その瞬間、使命感に駆られた。自分がやらなければ、この稲荷は永遠に忘れられたまま祟り神になってしまう。
どうすれば伏見に返せるのかを調べに調べた。やがて、導かれるようにその日が来た。稲荷を伏見に帰す瞬間、胸の奥から込み上げるものに抗えなかった。声を上げて泣いた。ありがとう、今まで見守ってくれて。そう送り出したかった。けれど同時に、縁の糸が切れるような寂しさに襲われた。この稲荷はもう、自分のものではないのだ、と。
それでも帰すことができたことに、深い安堵があった。
……だが、それから夜になると、ある奇妙な感覚にとらわれるようになった。伏見で別れたはずの稲荷が、どこかでまだこちらを見ているような気配。静かな部屋の隅、机の下、あるいは電車の窓に映る自分の背後に。振り返れば何もない。だが確かにいる。
母に話すと「狐は電波に乗れる」と言った。電話越しに移ったのもそれが理由だという。ならば、もしかすると……伏見に帰したはずの稲荷は、ほんのわずか自分の中に残っているのかもしれない。
その考えは慰めでもあり、恐怖でもあった。
全国の山奥には、忘れられた祠が無数にあるはずだ。誰にも顧みられず、ただ帰りたいと泣いている稲荷が。伏見に帰れず、やがて人に災いをもたらす祟り神へ変じるものが。あのときの自分のように耳を傾ける者がいなければ、今もどこかで嗤っているだろう。
稲荷を伏見に返してから幾年も経った。けれど夜、電話の呼び出し音が鳴るたびに、無性に胸がざわつく。受話器を取ればただの間違い電話。だが耳を澄ますと、小さくかすれるような声が混じることがある。
「……まだ、いる」
一瞬の空耳かもしれない。けれど自分は知っている。あの祠にいた稲荷の声を。
忘れ去られた神々は、どこへ行くのだろう。
そして、もし次に助けを求める声が聞こえてきたら、自分はまた応えなければならないのだろうか。
(了)