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中編 r+ ほんのり怖い話

抱擁の夜に現れたもの r+1,600-2,037

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今でもあの夜の冷えた空気を思い出すと、背筋の奥に針を刺されたような感覚が蘇る。

三年前、冬のある晩。疲れと不安で気力をすり減らしていた私は、いつものように由香利に救われていた。彼女は友人以上恋人未満の存在で、愚痴を吐き出せば黙って聞いてくれ、さりげなく励ましてくれる稀有な人だった。だが、彼女には奇妙な一面があった。生まれつき「見える」のだと、真顔で口にする。金縛りは当たり前、家の隅で誰かに立たれている気配など、彼女にとっては日常茶飯事だという。その話を聞くたびに、私は半ば本気で、半ば冗談交じりに相槌を打つしかなかった。

その日の帰り道、雨が降っていたため、彼女がわざわざ車で送ってくれた。家のカーポートに停めて、いつものように取り留めのない会話をしていると、外はすっかり暗く、街灯がひとつ、またひとつと灯り始めた。その時、由香利がぴたりと動きを止め、窓の向こうを凝視した。家の裏手に立つ、年季の入った電灯の方だった。

「この辺でさ……最近おばあさん亡くなった?」

唐突に発せられた問いに、私は息を詰まらせた。身近で亡くなったのは友人の祖父くらいで、祖母の話など聞いたことがない。返答に迷う私の耳をつんざくように、飼い犬の吠える声が重なった。犬は、まるで見えない誰かを追い払うかのように、裏手の電灯へ向かって吠え立てていた。

「……そこに、おばあさんが立ってる」

由香利の目は細められ、車外の闇に突き刺さるように向けられていた。私の冗談混じりの笑いは喉で絡まり、何ひとつ形にならなかった。彼女は硬い声で言った。

「今は外に出ないで。もう近くまで来てる」

肌を撫でる冷気が、一層濃くなる。姿など見えないはずなのに、車のすぐ外に、何かがじっと立ってこちらを見つめている気配だけは確かにあった。息を潜めた瞬間、由香利が叫んだ。

「カズヤ君、あたしに抱きついて!」

言われるがままに腕を回すと、彼女の身体は強張り、視線は窓の外に釘付けになっていた。声は怒号のように張り裂けた。

「カズヤ君はあたしのもの! あなたなんかに渡さない!」

その刹那、鋭いクラクションが闇を裂いた。母の車が敷地に入ってきたのだ。光に照らされた瞬間、外に漂っていた気配は霧散するように消えた。私は慌てて視線を戻したが、そこにはもう何もなかった。

車から降りた母は、なぜか私を見て訝しげに眉をひそめた。
「何、女の子と抱きついてんの?」

私の頭は真っ白になった。必死に事情を説明したが、母は鼻で笑い、由香利を見て「その可愛い子、彼女なの?」とからかった。安堵と困惑が入り混じる中、私はその夜をどうにか無事に過ごした。だが翌日から、家の中で頻繁にラップ音が鳴り響くようになった。

天井や壁を叩く乾いた音が、昼も夜も唐突に始まる。母は気に留めず「家が古いから」と笑ったが、私には別の確信があった。あの夜、由香利が私を抱き寄せて叫んだ言葉。あれは「老婆」に向けた拒絶のようであり、同時に「何か」を呼び込んだ呪いのようでもあった。

以来、老婆の姿は二度と現れていない。しかし、時折夢の中で、あの目が私を射抜いてくる。歯の抜けた口でにやりと笑い、誰にも聞こえぬ声で何かを呟く。夢から醒めても、その言葉だけは耳に残っている気がしてならない。

――お前は、もうあたしのものだ。

私は眠ることが怖い。だが眠らずにいられる人間はいない。目を閉じるたび、あの抱擁の夜の続きを見せられるのではないかと怯え続けている。

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