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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

見られる文字 nw+203

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小さな頃の空はいつも身近な図書館で、洗濯物の匂いと鉄の網戸の音が混ざっていた。

あの匂いを嗅ぐと、たとえ十年以上経っても、日の光の温度まで引き戻される。

舞台はいつも午後だった。窓から差す光はしばしば薄黄色で、空の色はまだらに冷たかった。雲は遠くで塊を作り、風は時折窓枠を震わせる。空を見上げると、いつものようにあの「い」が浮かんでいる。最初は小さな点のようで、だが少しずつ視界の中で文字になっていった。文字の線は、ペンのインクではなく、薄く滲んだ紙の繊維のように曖昧で、輪郭はふわりと波打っている。光の具合で濃淡が変わり、辺縁にはほのかな冷気がまとわりついていた。

視線を合わせると、心臓が微かに跳ねる感覚があった。胸が圧されるわけではない。むしろ喉の奥に小石が沈んだような、唾を呑み込みにくい重さを感じるのだ。言葉にするのが難しい揺れが体を伝い、手の甲の皮膚が少し冷たくなる。視覚以外にも、空気の匂いが僅かに変わる。埃混じりの乾いた香りに、遠い匂い――たとえば紙の古びた匂い、あるいは長い間閉じていた戸棚の匂いのような、記憶の溶けた匂いだ。

最初にその「い」を見つけた日のことは、子どもながら細部まで憶えている。近所の公園のベンチに座り、ポケットの中の小石を弄っていた時、ふと空が割れた。割れた向こうに、きれいな線でひらがなが浮かんでいた。丸でも棒でもなく、「い」だった。形を見るほどに不安は薄れ、代わりに奇妙な高揚が胸を占めた。喜ぶでもなく、怖がるでもなく、ただそこにあることを受け入れてしまう感覚。居心地の良い違和感と呼ぶしかない。

その「い」は私だけに見えていると、直感が囁いた。周囲の子どもたちが砂の山を崩したり自転車で風を切る音がしても、「い」は私だけの景色だった。教室で友人に訊ねたら嘲笑されるだろうと幼い理解が働き、口は固く結ばれた。誰にも言わず、胸の内にその文字を育てた。すると不思議なことに、「い」は頻繁に姿を見せるようになった。晴れた昼、曇りの夕、テレビの画面の隅、遠くの山の稜線の上にも。だが写真には写らなかった。シャッターを切っても、フィルムにもセンサーにも「い」は残らない。

時間が経つにつれて、「い」は変化を見せた。最初は小さく、人差し指の先ほどの存在だった。それが次第に大きく膨らみ、雲と同じくらいのスケールにまでなることがあった。ある日、空に浮かぶ「い」の片方が雲に遮られているのに気付いたとき、私は初めて震えた。文字は雲よりも上にある。雲が一部を隠しているのは遠近の錯覚ではない。文字の面が、雲の上方に確かにあるのだ。雲の隙間から覗く線の先端は、光を反射して紙の縁のように光った。その瞬間、世界が微かにずれて、足元の感覚が薄れた。自分の立っている位置が、ほんの少し上に引き上げられた気がした。

「い」は一文字だけ、いつも単独で浮かんでいた。それは規則のようで、不可解ではあったが、安心感も与えた。毎日同じ時間に窓の外を見ると、文字はそこにあった。空気の質が変わるとき、たとえば雨雲の前触れや、夏の夕刻の湿度が上がったとき、文字の輪郭は柔らかくなり、淡い波紋が走った。寒い日は硬く、夏の午後にはだらりと崩れた線を見せる。そんな些細な変化を手帳に書き留めていた。誰にも見せない観察日誌だ。だが後になって読み返すと、主語の位置が曖昧な行が混じっていることに気付く。「今日は近かった」「揺れていた」。それが何を指すのか、当時の私は考えなかった。

成長とともに、外の世界は広がった。図書館で本を漁り、地図を見て世界がどれほど大きいかを知った。そんなある日、家で見ていたテレビの旅行番組に驚いた。アメリカの荒野の空に、同じ「い」が浮かんでいたのだ。高く、低く、私の知る「い」と寸分違わない線で成り立っている。声を漏らしてしまい、家族が振り向いた。気のせいだと笑い飛ばしたが、私は内心で確信した。これは私の視線だけに依存したものではない、と。

その後も、媒体によっては「い」が視界に映ることがあった。ただし写真ではなく、映像やテレビのフィルム、あるいはコマ送りの断片に限られていた。記録媒体には残らないのに、動く画面には滑り込むように見える。年を取るごとに、視力や注意力の変化と共に、「い」は少しずつ姿を薄めていった。最後に見たのは三年前の秋だった。線は弱々しく、文字自体がだるそうに宙にあった。風に吹かれた布団の端のように、輪郭が間延びしていた。

その時は以前ほど長居をせず、数十秒で消えた。消え方も変わっていた。まるで呼吸を止めるように、ひゅっと縮み、溶けるように消えた。翌日も、その次の日も空を見上げたが、「い」は戻らなかった。いつもいたものが突然いなくなると、空は薄っぺらになった。視線をどこに置けばいいのか、分からなくなった。

それから空を見続ける日々が始まった。晴れの日に、曇りの日に、通勤の合間にも視線は自然と上を向いた。目を閉じると、あの線の断面だけが滑り込んでくる。冷たさと、消え際のだらしなさ。記憶の中で「い」は生き物のように動き回り、私の生活の重心を静かにずらした。自分が見ていたものが本当にあったのか、不安が芽生えた頃、夢の中で再会した。

夢の中の「い」は低く、ぽつりと音を立てた。言葉ではない。布の擦れる音、紙が折れる音。その響きを聞いた瞬間、夢の中の私は妙な確信を抱いた。見ているだけでは足りない、という感覚だ。導かれるように手を伸ばすと、指先が文字の輪郭に触れた。冷たく、しかし痛みはない。その瞬間、胸の奥に別の視点が立ち上がる。夢の中の空が、私を見下ろしていた。

目が覚めると、手のひらは湿っていた。昼間に空を見上げると、雲間に薄い影が差す。見間違いだと目を逸らすと、その影は確かにあの線だった。だが以前とは違う。線がこちらを意識している。私が視るものを、あの文字が視返してくる。小さな変化だったが、戻れない兆しだった。

不穏さと共に、奇妙な親密さが芽生えた。恐怖はなく、孤独だけがあった。文字は私の生活のリズムに合わせ、私の視線を通じて世界を確かめる。確かめる行為が接触に変わるにつれ、境界は薄くなった。

三年前の消失からしばらくして、私は古い観察日誌を見つけた。端に鉛筆で小さく「いへ」と殴り書きがある。意味は分からない。だが「い」と「へ」は、方向を示す形だと気付いた瞬間、頭が傾いだ。確かめようと庭に出ると、空は澄み、雲が薄く流れていた。

視線を戻した瞬間、その「い」は再び現れた。小さく、近い。膝の高さにあるような、不釣り合いな距離感で浮かんでいる。身体の基盤が崩れ、私は座り込んだ。近いからこそ見える細部があった。線の端に、微かな湿り気が滲んでいる。

文字はゆっくりと回転を始めた。角度が変わるたびに、世界の色が剥がれ落ちる。回転が止まると同時に、視界は一枚の紙のように切り取られ、街の上に貼り付けられた。理解ではなく感覚で分かった。私は「い」を見ていたのではない。位置を譲っていただけだ。

空の中で、私はただ「い」である。誰かが窓から見上げるとき、触れるのは私の線だ。風が吹けば震え、人々の生活が通り過ぎる。やがて向きを変え、かつて座っていた公園のベンチの上の空へ戻る。見下ろす景色は変わらない。ただ、見られる側になった。

循環。それが最後の形だった。見ていた時間は逆流し、見ていたものと見られていたものが入れ替わる。私は空に浮かぶ一文字として、誰かの記憶に薄く残る匂いになる。夜になると線はうっすら光り、写真には決して写らない。

乾いた紙の匂いと、輪郭が波打つたびに走る小さな孤独だけが残る。文字は孤独だ。人の目を受け止めながら、その実体を預ける場所がない。朝が来れば、私はまた窓の外に浮かぶ。誰かが空を見上げ、ほんの一瞬だけ目が合う。その一瞬で、十分だった。

[出典:840 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.2][新芽]:2025/01/26(日) 22:03:54.96ID:MpYUF/gU0]

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