家でネタ作りをしていた時のことだ。
仕事の疲れが溜まっていたのか、気づかないうちに机に突っ伏したまま眠ってしまった。
目を開けると、見知らぬ和室に立っていた。畳の匂いが妙に生々しい。正面には、正座をしたもう一人の自分がいる。表情のない顔で、口だけを動かし、
「あー、あっ、あー」
と一定のリズムを刻んでいた。
その隣に、女が立っていた。顔には荒いモザイクがかかっていて、輪郭だけが分かる。もう一人の自分の声が大きくなるにつれ、女の顔のモザイクが少しずつ薄くなっていく。
そのとき、正座した自分がぽつりと言った。
「ファーっといった瞬間、全部わかる」
意味はわからなかった。ただ嫌な予感だけがあった。
次の瞬間、もう一人の自分が大きく息を吸い込み、
「ファー」
と声を出した。同時に女の顔のモザイクが完全に消え、はっきりと顔が見えた。
そこで目が覚めた。
全身びっしょりと汗をかいていて、心臓がうるさいほど鳴っていた。
その日の夜、芸人仲間との飲み会に顔を出したが、どうにも調子が悪い。早めに切り上げ、終電で帰ることにした。
ホームで電車を待っていると、数メートル先に女が立っていた。コート姿で、線路の方を向いている。顔は見えない。
電車が近づいてきた。
その音を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。
「ふぁー、ふぁっ、ふぁー」
汽笛が、夢の中で聞いたあのリズムとまったく同じだった。電車が迫るにつれ、音が大きくなっていく。
最後に、
「ファー」
という耳をつんざくような音が響いた。
その瞬間、女がこちらを振り向いた。
見覚えのある顔だった。さっきまで思い出せなかったはずなのに、はっきりとわかった。
女は何も言わず、そのまま前へ踏み出した。
その後のことは、よく覚えていない。
気づいたときには、駅員や乗客に囲まれて座り込んでいた。
翌日、ニュースでその事故を知った。
映像に映った女の顔を見て、胸がざわついた。
似ている。
だが、夢で見た顔と、どこかが決定的に違っていた。
どこが違うのか、今も思い出せない。
(了)
[出典:BBゴローさんの体験談]