あの時の話を、ようやく文字にできる。
どうしても書こうとすると身体の調子が崩れてしまって、何度も途中でやめた。奇妙なことに、そういう体調不良はこの話に限って起きるのだ。書くべきではない、という誰かの意思のようなものを感じて、筆を止めたまま数年が過ぎた。
それでも結婚生活が落ち着き、少しずつ自分の時間を取り戻した今ならば書ける気がする。書かなければ、逆にずっと取り憑かれてしまいそうな気さえするからだ。
***
結婚して二年ほど経った頃だったと思う。
母がこちらへ遊びに来ると言い出した。理由は「祖父と秋の国内旅行をするから、そのついでに寄る」というものだった。
最初は全力で断った。母は特定疾患で虚弱体質のはずなのに、趣味は旅行と登山だ。つい先日も、肋膜炎で大手術だの、蜂巣炎で足が壊死寸前だの、SLEで指が動かないだの、そんな大病をやらかしている。なのに車で来ると言い張る。同行する祖父は昭和初期生まれで、こちらは元気そのものだが……高速を何時間も走るなど無茶に決まっている。
「公共交通機関を使え」と再三言ったのだが、母は聞かない。高速のサービスエリア巡りがしたいのだと笑って言う。仕方なく条件を出した。四つ下の弟も連れてくること。それなら少しは無理をしなくなるだろうと考えたのだ。
結局、母と祖父と弟の三人は車でやって来て、数日観光をしてから帰っていった。メタリックブルーのハイブリッド車が交差点を曲がって消えるまで見送り、「何もなくてよかった」と胸を撫で下ろしたのを覚えている。
ところが、その日の夜になっても「無事着いたよ」という連絡は来なかった。嫌な胸騒ぎがした。翌日、弟から電話がかかってきた。
「姉さん……あのさ、母さんはそっちと相性悪いよ。車はもうやめた方がいい。僕は一緒に行けるわけじゃないし」
要領を得ない言葉に不安だけが膨らんだが、結局三人とも無事に帰宅はしていた。
真相を知ったのは翌年の五月、母が単身こちらへ来た時だった。私が「この前ので車こりたでしょ」と軽口を叩くと、母は急に真剣な顔をして言った。
「もえさん、あの日ね……二回死にかけたのよ」
***
母の話はこうだ。
秋の紅葉が盛りで、景色を楽しみたいと高速には乗らず、下道を選んだ。途中で「良さそうな山道」を見つけ、寄り道することにした。
最初は紅葉に歓声をあげていた三人も、やがて道が荒れ始めると口数が減った。舗装は消え、石が転がる悪路となり、両脇はいつしか切り立った崖になっていたという。
弟が降りて大きな石をどかした時、顔を青くして言った。
「母さん……周り、崖だ」
Uターンすれば谷底に落ちる。進むしかない。
そんな時、前方に一台の白いワンボックスが現れた。後部座席には真っ白で大きな犬が乗っていて、ずっとこちらを見ていたそうだ。車はカーブのたびに待ってくれるように進み、母たちはその後を必死で追った。やがて森を抜け、突然海が目の前に広がった。絶景だったという。
国道に出た瞬間、白い車は姿を消した。礼を言う間もなく。
母は楽しげに語ったが、私は背筋が冷えた。石をどかすたびに立ち往生していたのに、前を走る車が待っていたとはいえ、どうやってそんなに先に進んでいたのか。弟に後日確認すると、「白い車なんて見てない」と言った。祖父も同意見だった。母にしか見えていなかったのかもしれない。
***
その後、高速に乗ったところで二度目の死にかけが起きた。
フロントガラスの上に黒い点が見え、最初は鳥だと思った母。しかしそれは急速に大きくなり、タイヤだった。落下物が目の前に迫る。とっさにブレーキを踏まず、アクセルを踏み込んだのは直感だったという。結果、タイヤは車と後続車の間に落ちた。
後ろの車は急ブレーキを踏み、何台も停車して点検をしたが、落ちたはずのタイヤはどこにも見つからなかった。その日、タイヤを積んだトラックも確認されていない。
「一日に二回も死にかけた」と母は笑ったが、その笑みはどこか強張っていた。
***
今も思う。
あの白い車と犬は何だったのか。母を導いて崖道から救った存在だったのか、それとも……。
弟は言った。「僕は見てない」。祖父も同じだった。
母だけが見た車と犬。その直後に、説明のつかないタイヤの落下。あの日、母は何者かに守られたのか、それとも狙われていたのか。
ただ一つ言えることは、あの体験のあと、母は自ら進んで車で遠出をしなくなったということだ。
皆も山に入るときは気をつけてほしい。そこにいるのは人だけとは限らない。
――これでようやく、この話を手放せる気がする。
[出典:323 :本当にあった怖い名無し:2018/10/08(月) 14:37:07.83 ID:yQK/AGFM0.net]