親父が死ぬ直前、病室のベッドで俺と兄貴を呼びつけ、ほとんど息も絶え絶えになりながら言った言葉がある。
「……ムナカタ土建の資材置場の端に、林道があんだろ。……あそこの奥の集落の依頼は、……最優先にしろ。いいな」
顔を寄せると、喉の奥から絞り出すように、こう続けた。
「言われた日に、言われた木を切って……渡せば、それでいい……」
それっきり、親父はもう話すことも食うこともできず、数日後にガンで死んだ。
遺言と呼べるほどのものでもなかったが、それがずっと脳裏にこびりついて離れない。
親父が林業をしていたのは知っていたが、あの言い方はただの業務じゃなかった。なにかを背負っていたような……そんな声色だった。
正直言って、俺は林業に興味なんかない。兄貴もたぶん同じ気持ちだ。
ただ、親父があまりにも真顔で言ったもんだから、それだけは守ろうと決めてた。
そんな気持ちで、家業をそのまま継いで数年が経ったある日──
朝の九時過ぎ、事務所に見知らぬ老夫婦が現れた。
「……お父さんから聞いてるべ? あれ、頼みに来たすけ、ついて来てけろ」
無言のまま兄貴と顔を見合わせた。言うまでもない。あの“あれ”だ。
事務員には「ちょっと現地確認に行ってくる」とだけ言い残し、二人で軽トラに乗って、その老夫婦の車の後をついて行った。
目的地は、ムナカタ土建の資材置場の脇道。
あまりにも細く、軽トラ一台通れるかどうかの道で、舗装もされてない。
林道がこんなに奥まで続いていたなんて知らなかった。正直、驚いた。
三十分ほど進むと、急に視界が開けた。杉林から広葉樹へ、湿気をたっぷり含んだ空気が鼻を打つ。
その真ん中に──一際大きなブナの木が立っていた。
「この木をぶったぎって、持って来てけろ」
老夫婦の声が、急に冷たくなった気がして一歩後ずさった。
「何時ごろお届けすればいいでしょう?」
兄貴が問うと、老夫婦は首を横に振った。
「おらだが、ここさ迎えさ来る。……それまでに切っといてけろ」
了解とだけ返し、エンジンチェーンソーの準備をして、言われたとおりの枝を切り落とした。
仕事自体はなんてことない。だが、途中で兄貴がぽつりと呟いた。
「この木、普通じゃねぇな。……でけぇし、なんか、変な感じする」
そう言って木の根元に向かって歩き出したから、俺も仕方なく後に続いた。
すると、太い根の間に、石を積み上げて作られた祠のようなものがあった。
古くて苔に覆われていたけど、誰かが管理してるような……妙に“新しい”気配がある。
「これ、御神木じゃねぇのか……?」
口にした瞬間、気温が一気に下がったような錯覚に陥った。
二時間後、老夫婦が戻ってきて、「ついて来てけろ」とだけ言い残し、車を走らせた。
俺らもその後を追う。
木を切った場所からさらに奥へ、獣道を一時間ほど進んだ先に、見たこともない集落があった。
十数軒ほどの家が点在し、すべてが黒ずんだ板壁で統一されている。人気はないが、生活の痕跡はある。
集落のあちこちには──石像。しかも、キリスト教的な意匠を帯びたそれが、異様な数、配置されていた。
「こっちだ。こごに居てけろ」
集会所のような建物に通され、しばらくすると、十数人の住民がぞろぞろと現れた。
老夫婦が皆に紹介する。
「この人たちが、あの方の子供たちだ」
拍手も声もない。ただ、静かに頭を下げられた。
そのまま、全員で隣の建物──廃校を改造したような、小さな施設に向かう。
埃っぽい廊下を歩き、一番奥の部屋に案内された。天井がやけに高い。
部屋の中央に、床を穿って造られた井戸のような穴。
直径は二メートルほど、覗き込むと、底が見えない。いや、底は──動いていた。
蠢く何かが、そこにいた。
「……始めるべ」
住民の一人が、祠から持ってきた“あのブナの枝”を手に持ち、穴の前に立った。
周囲の住民が、低い声で歌のようなものを唱え始めた。
空気がぐにゃりと歪んだような錯覚。
何が起きているのか分からなかったが、兄貴がポケットの中で震えていた。手が、震えていたんじゃない。ポケットそのものが、だ。
「……行こう」
それだけ呟き、兄貴はそのまま建物を飛び出した。俺も後に続く。
振り返ると、住民たちは誰も追って来ない。ただ、ゆっくりとこちらを見ていた。
あの目が、今も頭から離れない。狂気とか、信仰とか、そんな言葉じゃ追いつかない。
その後、俺たち兄弟が何をしたのかは言えない。
でも、ひとつだけ確かなのは、あの集落の依頼だけは毎年必ず受け続けているということ。断れない。いや、断ったら、どうなるか分かっている。
俺たちの会社は、不思議なくらい潰れない。
業績は安定、事故もなし、悪い噂も立たない。……いや、立てられないのか。
あの儀式が、何を祀り、何を封じているのかは知らない。知りたくもない。
春が近づくと、街にえんぶりの太夫たちが現れる。
ジャンギを掲げて、首を振って、地を摺るように踊る。
それを見ながら俺は、思い出す。あの木の枝。あの穴。……あの目。
春は、死を呼ぶ季節だ。
それを予祝だなんて、よく言えたもんだ。
[出典:925: 本当にあった怖い名無し:2015/02/22(日) 18:57:16.56 ID:1U/J4SFT0.net]