先日、祖母が亡くなった。
眠るように、あっけなく。長く患っていた痴呆が、最後の数か月で急に深まり、その先は転げ落ちるように逝ってしまった。悲しみよりも先に、妙な空洞だけが胸に広がった。
この土地は戦時中から、妙にカルト宗教の濃度が高い。祖母はその中でも特に熱心な信者だった。貧しい暮らしの中、惜しむことなく金を納め、教義を守り、礼拝に通い続けた。
祖母の人生は壮絶だった。
子は多く、夫は怠け者で、働きもせず家を追い出されるように転々とし、ときには見知らぬ者との同居を余儀なくされた。老後に安らぎは訪れず、借金癖のある長男夫婦に振り回され、晩年まで苦労の縄で縛られたままだった。私の家族も、その夫婦の借金を肩代わりさせられそうになったことがある。
だからこそ、祖母が宗教にすがるのは、ある意味仕方がなかったのかもしれないと、私は思っていた。
葬儀を開くことになった。
うちの親兄弟も、父も母も、誰も宗教を持たない。ただ、祖母が信じていた教団だから、その形式で送るべきだろうと考えていた。
しかし……葬儀の前日、異様なことが起こった。
祖母が亡くなったことを、どこから嗅ぎつけたのか、見知らぬこの地方の宗教幹部が突然やって来て、遺族の意見も聞かずにすべてを決めていった。見舞いにも一度も顔を出さなかったくせに、葬儀の段取りだけは異様なほど迅速に。
薄気味悪さを感じながらも、祖母が信じた宗教だという理由で、私はそのまま従うことにした。
葬式当日。
会場に入った瞬間、普通の葬儀と何かが違うことに気づいた。
何が変なのか言葉にできない。細部が微妙に違う。普通あるはずの物がなく、あるはずのない物が置かれている。間違い探しのような、けれど見つけても喜べない種類の違和感だった。
受付の男に「〇〇家の葬儀は…」と尋ねると、妙に弾んだ声で「帰還葬!こちらになります」と返ってきた。
「いえ、葬儀です」と言い直すと、またも「帰還葬!」と強く言い直される。
その後も来客に挨拶すると、「祖母の葬儀にお越しいただき…」という言葉を「帰還葬!」と半ば怒鳴るように訂正され続けた。
会場の三分の二は宗教関係者で埋まっていた。
しかし、そのほとんどが祖母を知らない。挨拶も「素晴らしい方だったとお聞きして…」という、また聞きばかり。親族や祖母の古い友人は隅に押し込まれ、肩を寄せ合って式を見守ることになった。
式が始まると、司会の女が私たちを見据え、こう言った。
「我が宗の帰還葬では経文を読みません。経とは後世に勝手に付け加えられたものであり、本来の仏教は……」
延々と続く、自分たちが唯一正しいという主張。その目は笑っていた。
非信者席を見つめ、「あなたたちがいかに間違ったものを信じているか教えてあげている」という顔だった。
そして始まった大合唱。
「ナムミョオホオレンゲエキョ ナムミョオー!」
「ホオレンゲエキョ ナムミョオー!」
「ホオレンゲエキョ ナムミョオー!」
中には嗚咽を漏らす者もいた。しかし彼らは祖母を知らないと、入口で言っていたはずだった。
後半になると、奇妙な儀式がいくつも行われた。
故人を偲ぶ時間より、宗教の正当性を説明する時間の方が長い。親族は涙を流す間もなく、ただ呆然と座っていた。
気がつけば、私は自分の指を強く握りしめていた。声を上げることもできず、ただその場に閉じ込められているようだった。
式が終わり、やっと外に出たとき、全員がぐったりと消耗していた。
手渡された引き出物の袋には、食器の代わりに冊子が入っていた。
信じない者はいかに堕落しており、見放され、これから不幸な人生を歩むかが書かれていた。信者は清らかで神の恩恵を受けていると誇らしげに。
私はその場でゴミ箱に押し込んだ。
後で聞いた話では、香典も勝手に「上納金」として持って行かれたという。
葬儀代を出したわけでもないのに。
数日後、この体験を知人に話したときのこと。
話を最後まで聞く前に、その中の一人が顔色を変えて怒鳴った。
「うちの宗は香典を正式に禁止してる!知らないの!?嘘つきだね!最低!」
事実を話しただけなのに、なぜか私が責められた。
あの帰還葬の光景が、ふとした瞬間に脳裏によみがえる。
見知らぬ者たちが、祖母の遺影を前に笑い、泣き、叫び、歌っていた。
その声の熱の中に、確かに何かがあった。
祖母が信じ続けたものの正体は、たぶん、あれなのだろう。
けれど私は、その何かを決して信じることはできない。
生きている人間ほど、恐ろしいものはない。
そう思い知らされた葬式だった。
[出典:247 本当にあった怖い名無し sage New! 2011/08/04(木) 11:34:53.37 ID:0bHHOZmU0]