霊体験ってやつは、連鎖するらしい。
一度なにかに触れてしまうと、それからしばらく、次から次へと妙なことに巻き込まれる。
霊感が開花するのか、波長が合うようになるのか、あるいは、自分の中に「見てしまう回路」ができてしまうのか。理由はわからない。だが、確かにあるんだ。そういう変化が。
これは、俺たち三人が初めてそれを踏んだ時の話だ。
当時、俺は大学一年の後期を迎えたばかりで、のっぽのYと茶髪のAという二人の悪友とつるんでは、くだらない遊びに精を出していた。なかでも熱中していたのが、「心霊スポット荒らし」だ。
夜の神社や廃トンネルに行っては騒ぎ散らし、運が悪いカップルがいれば驚かす。子どもじみてる? そうだな、でも、それが楽しかったんだ。あの頃は。
問題の神社に行ったのは、冬休みを目前に控えたある週末だった。F県の山あいにあるその場所は、地元ではちょっとした曰くつきだったらしい。
曰く「若い女が強姦されて殺された」とか、「自ら命を絶った女の霊が彷徨っている」とか。
オカルト好きの間では有名だったようで、ネットでも何件か「出た」という書き込みを見つけていた。
午後四時すぎ、俺たちは目的の神社に到着した。
道中は雪もちらつきはじめていたが、興奮のせいか寒さは感じなかった。鳥居の赤はすっかり剥げ落ち、社殿も歪みに歪んでいた。古びた石段、黒ずんだ手水舎、やけに静かな周囲の空気……確かに、何かが棲んでいそうな雰囲気だった。
それでも最初は笑っていた。ビビったふりしてふざけあい、意味もなく階段を駆け上がったりしていた。
テントを立て、あたりを三人で一時間ほど散策したが、何の異変もなかった。気味の悪い気配も、視線のようなものも、何も。
結局俺たちは「やっぱ幽霊なんていねぇな」と笑い合い、飯の準備にとりかかった。
持参したカセットコンロで米を炊き、肉を切り、野菜を炒め、ルウを投入して、まもなく完成という頃だった。
「何してるの?」
その声が、ふいに降ってきた。
驚いて顔を上げると、若い女が一人、立っていた。
年は俺たちと同じか、少し上くらい。長い黒髪、白い顔、うつむきがちの目。声の主は間違いなく彼女だった。
「ねえ、何してるの?」
もう一度、同じ問いを口にした。
時間は午後八時前。まだ人が歩いていても不思議ではないが、それでも場違いな気がした。
この寂れた神社に、こんな時間に、女がひとり……?
Yが「キャンプです」と答えた。
俺も「カレー作ってるんです」と続けた。
調子者のAが「よかったら一緒にどうですか?」と軽口を叩くと、女は小さく笑って「いいの?」とだけ言った。
そして、一歩。二歩。ゆっくり、ゆっくりと近づいてきた。
そのときだった。
俺の背筋を、冷たい何かが這ったのは。
なんだ? なんだ、この違和感は。何が変だ?
直感が全身に警鐘を鳴らしているのに、頭がそれをうまく言語化できなかった。
YとAも同じようで、二人とも、顔をこわばらせながら視線を女に貼りつけたままだ。
そして、女が手を伸ばせば届く距離まで来たとき、ようやくわかった。
影が……ない。
いや、地面に落ちる影だけじゃない。そういう「影法師」的な話じゃないんだ。
彼女の顔や首、鼻の下や目の窪み、唇の隙間、服の皺──すべてが、のっぺりしていた。
陰影が、一切なかった。
紙に描かれた絵のようだった。
いや、影を知らない子どもが描いた、ぺらぺらの人物画のようだった。
次の瞬間、彼女は俺の横に座った。
すぐに笑った。にたり、と。
口角だけが吊り上がったその顔には、表情と呼べるものはなかった。
そして……気づいてしまった。
あの首が、妙に長い。
距離をとっていたときは普通だったはずだ。だが今、俺の隣で座っているその女の首は、人間のそれとは思えないほど、ずるりと伸びていた。
真っ白な肌が、月光に照らされ、首筋がぬらぬらと光る。
節が、見える。一本の長い骨のように。
YもAも、硬直していた。
全身が凍りつき、喉は動かず、ただ目だけがぎょろぎょろと動いていた。
俺も同じだった。
逃げられなかった。目を逸らすことも、息を呑むこともできず、時間だけがゆがんでいった。
どれだけ経っただろう。
時計は見ていないが、体感では一時間、いや、もっとかもしれない。
その沈黙を破ったのは、女の笑い声だった。
「アハ……アハハハ……アハハハハハハハハハッ!」
壊れた機械のように、ぎこちなく、だが抑えきれないほど大きな声。
耳を裂くような笑いだった。笑いなのに、全身が凍る。脳が逃げたがる音だった。
限界だった。
俺たちは同時に立ち上がり、叫びながら車へと走った。
テントも道具も、カレーも放置して。
車を発進させるまでの時間が、人生で一番長く感じられた。
神社を後にし、近くのコンビニに逃げ込んだ。
蛍光灯の明かりがやけに眩しかった。
「な、なんだった……あれ……」
「首……やばかったよな、アレ……」
「つか、笑い声……耳から離れねぇ……」
一睡もできなかった。
深夜の駐車場で、俺たちはずっと黙っていた。
翌朝、恐る恐る神社に戻ると、女の姿はなかった。
当然だ。期待していたわけじゃない。
だが、ひとつだけ妙なことがあった。カレーの鍋が……空っぽだった。
盛り付けた皿も、スプーンも、綺麗に洗ったかのように片づけられていた。
獣が荒らしたのなら、もっと雑なはずだ。
まるで、誰かが「ちゃんと食べた」ような痕跡だった。
あの女は何だったのか。幽霊か。妖か。人の皮をかぶったなにかか。
今となってはわからない。
ただひとつ確かなのは──あの夜以来、俺たちは「見える」ようになった。
そして……一週間後。
YとAが口をそろえてこう言った。
「なあ、もう一回……あの神社、行こうぜ」
思わず、こいつら取り憑かれたんじゃないかと疑った。
いや、今も疑っている。
[出典:207 :本当にあった怖い名無し:2006/12/10(日) 00:48:31 ID:/WktQKKN0]