幼い頃、まだ自然の名残が残っていた都市近郊で育った。
あちこちに空き地があって、外で遊ぶ場所には困らなかった。家のそばに広がる広大な空き地では、毎年のように盆踊りが開かれ、それが当たり前のような夏の風景だった。けれど、その空き地もやがて工場に姿を変え、遊び場を失ったときのあの喪失感は今でも忘れられない。
そんな記憶が根っこにある、小学生のある夏の日の出来事だ。
自分は当時、かなりのいたずらっ子だった。何かと注意を受けてばかりで、先生や親を困らせていた記憶がある。似たような気質の仲間、鍋島と湯原といつもつるんでいて、三人でいれば怖いものなんてなかった。
その日、三人で川をさかのぼって水のきれいな場所を探し、泳ごうという話になった。自転車の荷台にリュックをくくりつけて、中には朝から握ったおにぎりと麦茶を詰めた水筒。小さな冒険旅行のはじまりだった。
川沿いの道をひたすら上って行き、見知らぬ山あいの町にたどり着いた。電柱に「五木町」と書かれていて、どの家も同じ形、同じ青い屋根で揃っているのが不思議だった。
そこから話は思わぬ方向へ進む。
川原へ降りようとした俺たちの前に現れたのは、黙々と地面を掘る大人と子供たちの集団。何十人もの目が一斉にこちらを向いた瞬間、身体がすくんだ。虚ろなその視線に言いようのない不気味さを覚えた。
だが、次の瞬間、一人の少女の声が空気を変えた。
「……のおにいさんが来たね」
その言葉と共に人々の表情がぱっと柔らぎ、まるで劇を切り替えたかのように陽気に話しかけてくる。「どこから来たの?」、「三人だけなんてすごいね!」と。人見知りのない湯原はあっという間に打ち解け、鍋島と俺も徐々に警戒心が解けていった。
住人たちはお茶やお菓子を出してくれて、祭りがあるから見ていきなさいと誘ってくれた。気前の良さに心が弾んで、他の子供たちと川遊びをし、すっかりその町の空気に溶け込んでいた。
けれど、夕方になり「帰らなきゃ」と話していたところ、住人の男性が言った。
「今日はお祭りがあるから遊んでいきなさい。帰りは車で送るよ」
そう言って渡された赤いハッピ。俺たちはそれを身につけ、まるで主役になったような気分で祭り会場へ連れていかれた。
ところが――
普通の祭りにあるはずの櫓はなく、代わりにひな壇と大小の神輿が置かれていた。紺色のハッピを着た子供たちに囲まれ、俺たちは「おにいさんだから赤いんだよ」と言われた。
神輿を担がされて気づいたのは、その異様な重さだった。見た目とは裏腹に、大人が支えてくれなければ落としそうなほどずっしりと重い。
歩き始めると、後ろから何度も神輿で突かれ、転びそうになるたびに大人たちが支えてくれる。だが、応援の声は次第に怒声へと変わり、竹で叩かれるようにまでなった。
逃げようとしても周囲の大人たちに引き戻される。
表情は変わり、睨むような目。善意の仮面ははがれ、俺たちに向けられるのは明らかな敵意だった。
神輿を右に倒し、混乱を作り出したすきに逃げ出した。町を抜け、川沿いの道を一心不乱に走った。
自転車を見つけたときの安堵。乗って逃げ、ようやく戻った自宅で、玄関に駆け込んだ俺たちは、ボロボロになりながら泣き叫んだ。
あとで聞いた話は背筋が凍るものだった。
鍋島の父親がぽつりと言った。「その町、家の屋根は全部青かったんだな?」
彼によると、あの地域には「鬼祭り」という、昔話に由来した風習があったという。鬼の一家を村が一丸となってもてなし、油断させて一気に討つという伝説。その鬼が実は「山賊」だったという説もある。
毎年行われる「鬼さん祭り」では、余所者が鬼役にされ、逃げられぬよう優しく歓迎される――最初だけは。
気づけば、あのとき呼ばれていた「おにいさん」は、「お兄さん」ではなく「鬼さん」だったのかもしれない。
それ以来、外に出るのが怖くなり、しばらくは誰かの足音にも怯えるような日々を過ごした。