幼い頃、まだ自然の名残が残っていた都市近郊で育った。
家のそばには広い空き地があり、夏になると盆踊りの櫓が組まれた。あの場所はいま工場に変わっている。平らに均された地面を見るたびに、そこにあったはずの夜のざわめきが、どこへ消えたのかと思う。
あの夏の出来事も、その空き地と同じように、いまは跡形もなくなっているはずだった。
小学生の俺は、鍋島と湯原と三人でよくつるんでいた。いたずらばかりして叱られていたが、三人でいると妙に無敵だった。
ある日、川をさかのぼって泳げる場所を探そうという話になった。リュックにおにぎりと麦茶を詰め、自転車でひたすら上流へ向かった。
気づけば、見知らぬ山あいの町に入っていた。電柱に「五木町」と書かれていたのを覚えている。どの家も同じ形で、屋根はすべて青かった。妙に揃いすぎていて、模型の町みたいだと思った。
川原へ降りようとしたときだ。
大人と子供たちが、黙々と地面を掘っていた。何十人もの顔が同時にこちらを向いた。誰も笑っていない。ただ、じっと見ている。
身体が固まった。
そのとき、一人の少女が言った。
「……のおにいさんが来たね」
はっきり聞き取れなかった。だがその瞬間、空気が変わった。全員が笑い、柔らかな声で話しかけてきた。
「どこから来たの?」
「三人だけで? えらいねえ」
さっきまで掘っていた穴のことは、誰も触れない。湯原はすぐ打ち解け、俺たちも次第に警戒を解いた。冷たい麦茶や菓子を出され、今日は祭りだから見ていけと言われた。
赤いハッピを渡された。
「おにいさんだから、赤いんだよ」

紺色のハッピを着た子供たちに囲まれ、俺たちは神輿の前に立たされた。櫓はない。ひな壇と、大小の神輿だけが並んでいる。
担いだ瞬間、異様な重さに息が詰まった。中身が詰まっている。そうとしか思えない重さだった。
「ほら、進め」
声は穏やかだった。だが背後から神輿で何度も突かれ、足がもつれる。転びそうになると、すぐに大人が支える。
笑ったまま。
「大丈夫、大丈夫」
足元に竹が当たった。痛みが走る。振り返ると、叩いた男は笑っていた。怒っていない。ただ、役目を果たしている顔だった。
逃げようとすると、誰かの手が肩をつかむ。
「最後までやらなきゃ」
その言葉だけが、妙に低く残った。
俺は神輿を右へ倒した。人が崩れ、声が重なり、土煙が上がる。その隙に三人で走った。
町を抜け、川沿いをひたすら下った。振り返らなかった。
自転車を見つけたとき、初めて呼吸が戻った。
家に駆け込み、泣きながら話した。大人たちは顔を見合わせ、「そんな町は知らない」と言った。青い屋根の話をしても、首をかしげるだけだった。
後日、地図を広げても「五木町」は見つからなかった。
それで終わるはずだった。
だが、その年の秋、工場建設のために空き地が整地された。ブルーシートが何枚も敷かれ、地面が削られていった。
そこに並んだ仮設住宅の屋根は、すべて同じ色だった。
青だった。
工事関係者の祭りがあると聞いた夜、遠くで太鼓の音がした。櫓はない。ただ、低いリズムが繰り返される。
翌朝、玄関に赤い布が落ちていた。泥がついていた。
処分したはずのハッピだった。
洗っても、竹で打たれた痕は消えなかった。太ももに、細い線がいくつも残っている。
夏になると、知らない子供が道の向こうからこちらを見ることがある。目が合うと、笑う。
そして口の形だけで言う。
「……のおにいさん」
あのとき、あれは本当に「お兄さん」だったのか。
それとも、まだ順番が回っていないだけなのか。
青い屋根は、年々増えている。
誰かが毎年、赤を着るのかもしれない。
まだ一度も、太鼓の音が止んだことはない。
(了)