五年前、中学生だった私は一人の友人を失った。
表向きの死因は精神疾患による自死だったが、そんなものは建前だ。
実際には、“アレ”に憑かれたのだ。今でもあれがなんだったのか、説明はできない。
けれど確かに中島は、あの時からもう“中島”ではなかった。
この話を書くのは、自分を守るためだ。
先日、偶然にも旧友と顔を合わせてしまい、封じ込めた記憶が、堰を切ったように流れ出してきた。
書いてしまえば、他人事のように思えて、少しは楽になれる気がする。
──あの頃の私たちは、学校にも未来にも、ひどく退屈していた。
私、中島、加藤、菊池、村田。
皆、家業を継ぐことが決まっていて、高校受験の奴らとは別の世界にいた。
先生たちも、私たちの行動には無関心だった。
体育祭が終わったあたりからは、朝さえ学校に顔を出せば、あとは何をしていても構わなかった。
問題の“屋敷”の話を持ってきたのは、中島と加藤だった。
「近所にヤバい空き家がある。首吊って死んだ持ち主が出て、それから放置されてるらしい」
それを聞いたとき、正直ワクワクしてしまった。
悪趣味な肝試しとしか思っていなかった。
“ちょっとしたスリル”を味わえる、丁度いい遊び場に見えたのだ。
翌日、私たちは昼過ぎに学校を抜け出し、その屋敷へと向かった。
門をくぐると、大きな母屋が影を落としていた。
玄関は固く閉ざされていたが、勝手口は中島が調べておいたのか、簡単に開いた。
埃とカビの匂いに迎えられ、私たちは書斎のような部屋でこそこそと酒盛りを始めた。
だけど、すぐに飽きた。
誰かが言い出した。探検しようぜ、と。
奥の壁に、不自然な小窓がふたつ、天井近くに開いていた。
「隠し部屋ちゃうか?」
肩車をして窓をこじ開けると、そこから冷たく湿った空気が漏れてきた。
どこか生臭い、腐った何かの匂い。
それでも好奇心には勝てず、中島が先に中へ入り、私たちも次々に後に続いた。
その部屋には、奇妙な静けさが漂っていた。
防音材が貼られ、音を吸い込むような感触がした。
壁は濡れて、壁紙はところどころ剥がれていた。
部屋の隅に、小さな机。
その上には黒く塗り潰された写真。
中島がそれを手に取った瞬間、裏から御札と髪の束が、音もなくばらばらと落ちてきた。
誰も何も言えなかった。
凍りついたように、その場に立ち尽くした。
「出よう、今すぐ出よう」
加藤の声で、我に返った。
窓に手をかけ、よじ登ろうとしたその時。
壁紙がめくれ、壁一面に貼られた無数の御札があらわになった。
その瞬間、背後から「いー……いー……」と、呻くような声がした。
喉を絞るような、地の底から這い出してくるような音。
振り返れなかった。
わかっていた。そこにいるのは、もう“中島”ではなかったから。
菊池が「痛い!」と叫び、壁を蹴ってもがいた。
彼の靴下のかかとには、何かに噛まれたような痕と、唾液がべっとりとついていた。
私たちは、命からがら逃げ出した。
神社の神主が駆けつけた。
神主は何かを知っていた。
私たちは叱られ、髪を切られ、神社で清めを受けた。
それでも、中島は戻ってこなかった。
数日後、菊池が死んだ。
中島の様子を見に行った際、裏の格子から部屋を覗いたとたん、白目を剥いて倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
神主が言った。
「中島はもう人やない。思い出すな、話すな。アレは目が見えん。その代わり、“覚えてる人間”を匂いで探す。思い出したら、それが痕跡になる。そしたらアレが来る」
私は丸坊主にし、地元を離れた。
それからは、誰にも会わないように生きた。
忘れることだけを考えた。
だが──帰省した。祖父の初盆だった。
売店で中学の元彼女に会ってしまった。
彼女は泣きながら、加藤と村田の死を語った。
加藤は、自分の髪の毛を御札代わりにして自殺した。
耳と目に蝋を流し込もうとした形跡があった。
村田は四国の町で半裸で笑っていた。
後頭部の髪は烏についばまれたように抜けていた。
瞼をナイフで切り取ろうとした跡があった。
私はもう、アレを覚えている“最後の一人”なのだ。
実家に帰ると、家族はいなかった。
「忌廻し」で、家は別の寺に移されていた。
私は取り残された。三日間、四十度近い熱にうなされ、仏間で一人で寝た。
白装束をまとい、水を枕元に置き、死を待った。
三日目の夜──夢に中島が立った。
骨のように痩せ、黒く染まった皮膚に、白目だけが浮かんでいた。
「お前一人やな」
「うん」
「菊池が毎日リンチ受けとる。かわいそうやろ、来てやれよ」
「うそつけ。地獄がそんな甘いわけないやろ」
「はは……地獄ってなぁ……」
言い終える前に目が覚めた。
喉が乾いて、ヒイヒイ音を立てていた。
枕元の位牌に、ヒビが入っていた。
私は、決めた。
この話を多くの人に話せば、“アレ”が私を探し当てる確率は薄まる。
私は“記憶を分け与える”ことで、生き延びようとしている。
……次は、あなたの番かもしれない。
(了)