母がまだ二十代で、結婚もしていなかった頃の話だ。
その日、母は大阪の会社で仕事を終え、同僚と一緒に事務所を出た。春先の夕方で、風がぬるく、街の空気には土埃と排気ガスが混じっていたという。通りの向こうでは地下鉄工事が続いていて、昼間から何か騒がしかったらしい。
表へ出ると、焦げたような、甘ったるいような妙な臭いがした。ガスの臭いだった、と母は言っていた。
見ると、工事現場のまわりに人だかりができていた。買い物帰りの女も、仕事帰りの男も、通りすがりの学生も、みんな少し背伸びをするようにして現場のほうを見ている。同僚が「あれ、ガス漏れちゃう」と笑って、「ちょっと見に行こうや」と母の腕を引いた。
母もその気だったらしい。危ないとも思わず、ただ珍しいものを近くで見たかった。
そのとき、耳のすぐ後ろで、子どもの声がした。
「そっちに行かないで、お母さん」
母は反射的に振り向いた。だが、後ろにいたのは会社帰りの人間ばかりで、小さな子どもなど一人もいない。
聞き間違いかと思った次の瞬間、同じ声が、今度は左右の耳の奥から同時に響いた。
「そっちに行かないで、お母さん」
まったく同じ高さ、同じ間の取り方だったという。どちらが先でもなく、ぴたりと重なっていた。片方が右から、片方が左からというより、二つの口が同じ位置で同じ言葉をなぞったように聞こえたらしい。
母はそこで足を止めた。
同僚が先に数歩進み、振り返って「どうしたん」と言った。母はうまく返事ができなかった。声の気味悪さより、「お母さん」と呼ばれたことのほうが気になったという。その頃の母は独身で、子どもなどいるはずもない。なのに、その呼びかけは呼び間違いという感じではなかった。最初から母を知っている者が、迷わずそう呼んだ声だったらしい。
しかも、行くなと言われている気がした。頼むでもなく、脅すでもなく、ただ当然のように止めてくる。その言葉だけが、身体の奥に重く残った。
母は急に人混みに入るのが嫌になり、同僚の袖を引いた。「やめとこ」とだけ言って、その場を離れた。同僚は不満そうだったが、母の顔色が悪かったせいか、それ以上は何も言わなかった。
角を曲がった直後だった。
背後で空気が裂けるような音がして、次の瞬間、街全体が持ち上がったような衝撃が来た。白い光と熱風が押し寄せ、遅れて爆発音が耳を潰した。二人ともその場にしゃがみ込み、しばらく何も聞こえなかったという。
振り向くと、黒い煙が上がっていた。窓ガラスが砕け、破片と砂埃が降っていた。さっきまで人が群がっていたあたりが、見え方ごと変わっていたらしい。
あとで、それが大きなガス爆発だったと知った。現場に近づいていた野次馬も、通行人も、大勢巻き込まれた。

母は助かった。同僚も助かった。
ただ、その日から母は、人にその話をするとき、爆発のことより先に声のことを話すようになったそうだ。自分でも、何がいちばん恐ろしかったのか、よくわからなかったのだと思う。
それから十年後、母は結婚し、俺と弟を産んだ。双子だった。
母がこの話をしたのは、俺たちが小学生の頃だった。寝る前の雑談みたいな調子で、昔こんなことがあった、と語っただけだ。最後に少し笑って、「あんたらが止めたんかもしれへんな」と言った。
そのときは、冗談として聞いた。
だが、その話には続きがある。
俺と弟は、子どもの頃から声がよく似ていた。小さいうちは電話に出ると祖母でも間違えたし、母でさえ、後ろから呼ばれると振り向くまで区別がつかなかったらしい。
けれど、それだけなら双子にはよくある話で終わる。
おかしかったのは、俺たちが母を呼ぶときだった。
物心ついた頃、母が何か失敗しそうになると、俺と弟はたまにまったく同じ調子で同じ言葉を言うことがあったという。熱い鍋に触れそうになったときも、踏切に近づきすぎたときも、階段を踏み外しかけたときも、どちらからともなく声が出る。そしてもう片方も、示し合わせたように同じ言葉を重ねる。
「行ったらあかん」
「それ触ったらあかん」
「お母さん」
最後の呼び方だけが、妙だったと母は言った。普通に呼んだはずなのに、その一語だけ、毎回ひどく古い録音を再生したように聞こえたらしい。幼い子どもの声なのに、今まさに耳元で聞いている感じがしない。もっと前に、すでに一度聞いたものを、遅れて思い出しているような響き方をするのだと。
母はそのたびに黙り込んだが、俺たちには何も言わなかった。
高校に入った年の春、夕食のあと、母が急にあの爆発の話を持ち出した。珍しく真面目な顔で、「あんたら、自分らで覚えてへんやろ」と言った。
そして、あの日の声と、俺たちが子どもの頃に何度か重ねて呼んだ「お母さん」が、まったく同じだったと打ち明けた。
高さも、間も、抑揚も、息の抜け方まで同じだったという。
俺は笑えなかった。弟も黙っていた。
自分の昔の声など覚えていない。けれど、その話を聞かされた夜、眠りかけたころ、隣の部屋から弟が寝言のように何か言うのが聞こえた。はっきりしない声だったが、母はすぐに俺の部屋の襖を開けた。青い顔をしていた。
「今、呼んだ?」
俺は呼んでいない。弟も起きてから、何も言っていないと言った。
その日から母は、春先に窓を開けなくなった。あの甘ったるい臭いがすると、家の中にいても急に黙るようになった。外で誰かが「お母さん」と子どもを呼ぶ声がすると、それだけで顔色を変えた。
数年前、母が入院したとき、夜の付き添いを俺と弟で交代でしたことがある。消灯後、母は眠っているようだった。病室は静かで、点滴の滴る音だけがしていた。
午前三時ごろだったと思う。廊下の向こうで、小さな足音が二つ、こちらに近づいてきた。
こんな時間に子どもがいるのかと思って扉のほうを見たが、誰も入ってこない。足音は病室の前で止まった。それきり、気配だけが残った。
そのとき、眠っていたはずの母が目を開けて、天井を見たまま言った。
「今日は行かへんから」
誰に向かって言ったのか、わからなかった。
次の朝、母はそのことを覚えていなかった。
ただ、退院したあと、一度だけ俺に言った。
「あの日、あんたらが助けてくれたんやと思ってた。でも、助けたかったんは、ほんまにうちのことやったんかな」
その意味を聞こうとしたが、母はもう話さなかった。
去年の春、弟のところに子どもが生まれた。まだ言葉もろくに話せない。なのに、初めて会いに行った日、抱かれた赤ん坊が母の顔を見て、妙にはっきり笑った。
それから、誰に教わるでもなく、口を動かした。
「おかあさん」
母はその場で赤ん坊を落としかけた。
赤ん坊の声は高く、たどたどしかった。けれど、抑揚だけが、あの日の話に出てきたものとよく似ていた。俺にも、少しわかった。
母はそれ以来、弟の家に行かなくなった。
この春、実家の片づけをしていたとき、古いカセットテープが出てきた。ラベルもない、擦り切れた一本だった。母が若い頃に使っていたラジカセで再生すると、しばらく雑音が続いたあと、女の声が入っていた。若い頃の母だった。誰かと取り留めのない話をしているだけの録音らしい。
その終わり際、遠くで爆発のような大きな音が混じった。街の雑踏も入っていた。偶然その日のものを録っていたのかもしれない。
そこでテープは途切れるはずだった。
だが、雑音の向こうで、ほんの一瞬だけ、子どもの声が二つ重なった。
「そっちに行かないで、お母さん」
俺と弟は、その場で何も言えなくなった。
聞き返しても、何度聞いても、同じところに入っている。母がその声を誰にも話す前の録音に、最初から入っていた。
未来から届いたのなら、あの声は録音されるはずがない。
では、最初に母を呼んだのは誰だったのか。
そして、なぜ今になって、また母を呼び始めたのか。
母はもう、その問いに答えない。
春先になると、実家の廊下のどこかで、小さな足音が二つ並んで止まることがある。俺と弟が帰省していない夜でも聞こえると、父は酒の席でこぼした。冗談めかして言っていたが、そのあと決まって、家の中のどこかから母の声がするという。
「行かへんでええ。まだそっちには行かへん」
誰に返事をしているのか、父も聞かないらしい。
俺も聞くつもりはない。
あの声が母を助けたのか、生かしたのか、今でもわからないからだ。
[出典:天六ガス爆発事故]