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中編 都市伝説 定番・名作怖い話

角田の森廃屋【ゆっくり朗読】2400

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あれは小学六年の夏休みの事でした。

友人の勇紀と賢太が角田の森で遊んでいた時、勇紀が奥の廃屋へ行ってみようと言い出したそうです。

当時、私達は角田の森でよく遊んでいました。

道路に面した崖の様に反り立った部分から飛び降りたり、木のツルにぶら下がってターザンの真似事をしたりといったもので、森の中へ入る事はありませんでした。

もちろん廃屋があることは知っていましたし、一部の怖いもの知らずの先輩や同学年の子がその廃屋に忍び込んで、何かを見たという噂も聞いてはいました。

まだ日の高い日中でしたが、賢太はどちらかというと臆病な性格だったので「やめたほうがいい」と勇紀に言ったそうです。

でも、聞き入れず、結局勇紀が一人で廃屋に行き、賢太は森の崖の上で待つ事になりました。

勇紀が森の奥に消えてから数分が経った頃でしょうか。

突然

「うわぁぁぁぁぁ!」

という叫び声とともに物凄い形相の勇紀が森の奥から飛び出してきたのです。

ただならぬ雰囲気を察した賢太は勇紀の先に立って一目散に逃げ出し、二人は死に物狂いで走って近くの寺の境内に駆け込みました。

息を切らせながら賢太が勇紀の顔を見ると、その顔は青ざめ、目はうつろでした。

ただ左の頬だけが赤く染まっていたそうです。

何も話さない勇紀を心配し、賢太は自分の家へ勇紀を連れて行きました。

ようやく落ち着いてきた勇紀は、廃屋で何があったのかを語り始めました。

勇紀は森の中に入り廃屋の前へと出ました。

その廃屋は、壁はボロボロで窓は割れ、もう何十年も人の手が入っていない感じでした。
勇紀はその異様な雰囲気にたじろぎながらも、勇気を振り絞って引き戸に手を掛けたそうです。

その時、廃屋の脇から70歳位の婆さんが突然飛び出てきて、勇紀の手首を掴みました。

あまりの事に声も出ない勇紀が立ち尽くしていると、さらに同じ歳位の爺さんが廃屋の脇から出てきて、絞り出すような声でこう言ったそうです。

「坊主、ここで何やってるんだ」

その爺さんの手には包丁が握られていました。

「すいません、すいません」と勇紀はひたすら謝ったそうですが、婆さんは物凄い力で握った手首を放さず、爺さんは勇紀の前に回りこんで、顔を覗き込んできました。

そして、突然勇紀の頬を力まかせに平手打ちしたそうです。

その瞬間勇紀は目が覚めたように婆さんの手を力一杯振りほどいて、賢太の待つ森の入り口へ駆け出したのです。

翌日私は学校のプール教室で、仲の良かった四人組のもう一人拓未とともに、二人からその話を聞きました。

勇紀の話によれば、あれは幽霊などではなく間違いなく生身の人間であったとのこと。

あんな所に人が住んでいるというのは、にわかには信じ難い話でしたが、賢太は勇紀の頬が赤く腫れているのを見ていましたし、勇紀がそんなにうまい嘘をつけるとも思わなかったので、私はその話を信じました。

ただ賢太は勇紀が捕まっている間、廃屋の方からの物音や話し声などを一切聞かなかった。

そうです森の入り口から廃屋まではそんなに離れてはいないのです。

それからしばらくは、角田の森へ行くことはありませんでした。

ところが一週間ほどたったある日、ダイエーの7階で遊んでいた時でした。

勇紀が「今度夜にあそこへ行ってみようぜ」と言い出したのです。

あんなに恐ろしい思いをしたのにこいつは何を考えてるんだと思いました。

今思えば、ガキ大将的な存在だった勇紀は、無様な姿を見られた事が我慢ならなかったのでしょう。

賢太はすぐに反対しましたが、拓未がやけに乗り気で「行こう、行こう、大丈夫だって」と私や賢太をしつこく誘いました。

私も内心は絶対に行きたくないという気持ちでしたが、ここでビビッたらかっこわるいという思いが先に働き、拓未の粘りもあって最後には「別にいいよ」と答えたのです。

結局賢太は、親が夜の外出を許してくれないという理由で参加しないことになりました。
その翌日の夜9時半、私達はサレジオ教会の前で待ち合わせました。

そして自転車をサレジオの前に置き、私達は角田の森へと向かったんです。

昼間でも不気味なこの森、夜に見るそれは表現し難い異様さを放っていました。

魔界への入り口というか、悪霊の巣窟というか、とにかくそれ以上近寄るなという邪悪な意思を発している様に感じました。

私はすっかり怖気づいてしまい、

「やっぱりやめよう、やばいよ」

と言いましたが、拓未と勇紀は聞く耳を持たず

「ここまで来て何言ってんだよ、いくぞ」

と崖を登り始めました。

すぐにでも逃げ出したい気分でしたが、一人でサレジオまで戻るのも怖かったし、森の前で一人で待っているのもご免でしたから、ほとんど半泣きで二人の後を追ったのです。

真っ暗でほとんど何も見えない中、手探りで腰をかがめ、物音を立てないようにしながら、私達は廃屋の前まで辿りつきました。

私の心臓は早鐘の様に、激しく脈打っていました。

そんな私をよそに、拓未は一人で廃屋の脇に回り、ガラスの無い窓から中を覗き込んだのです。
拓未は虚勢を張っていたのか、本当に強心臓の持ち主なのか、私は信じられない思いで拓未の行動を見ていました。

言いだしっぺの勇紀でさえ、私の横で動けずにいましたから。

「何だ、誰もいねぇじゃん」

拓未は持参した懐中電灯を点け、それを私と勇紀の方に向けてそう言いました。

「じゃあ、入ってみようぜ」

拓未はしゃがみ込んでいる私達の前へ来て、引き戸に手を掛けました。

引き戸がそのボロボロの外見に似合わず、スーッと静かに開いた瞬間を何故か今でも鮮明に覚えています。

拓未が懐中電灯で室内を一通り照らし、「大丈夫だ、入ってみよう」と私達を振り向きました。

先に勇紀が立ち上がり、私もその後を追いました。

拓未のあまりにも平然とした語り口に、私も勇紀も拍子抜けしたというか、現実感を失っていたんだと思います。

拓未と勇紀が懐中電灯で室内を照らし出すと、意外な程片付いた室内が現れました。

というより、ほとんど何も無かったのです。部屋の正面奥に置かれた祭壇のようなもの以外は……

拓未がその祭壇を照らし出しました。

それは実際には祭壇と呼べるようなものではなく、小さな長方形の机の上に両脇にはカップ酒のコップを花瓶代わりにして、雑草のような物を生けたものが置いてあり、その真ん中にお札が立てかけてありました。

「ん、ジンカ?何だこれ読めねぇや」

とお札に書いてある漢字を見て、拓未が言いました。

私もお札の文字を見ましたが、漢字の苦手だった私には読めず、何かお経の様なものが書いてあるのかなと思いました。

と、それまで黙っていた勇紀が突然その祭壇を蹴り上げたのです。

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ガシャンと音を立てて、祭壇はひっくり返りました。

私と拓未がびっくりして勇紀の顔を見ると、勇紀はひっくり返った祭壇を見下ろしながらポツリと

「仕返しだよ」

と言ったんです。

その時です。何とも形容し難い

「ゴォォォォォォォ」

という唸り声というか、音というか、とにかく得体の知れないものが聞こえたのは。

どこかから聞こえるというより耳のすぐそばから聞こえる様な感覚で、不協和音というか生理的に不快なものでした。

地震が来る時に、遠くから地響きの様な音が聞こえる事ありますよね。あの音を人の声で叫んだような、とにかくこの世のものとは思えない恐ろしいものでした。

私は声にならない声を上げながら廃屋を飛び出し、暗闇の中を森の出口へ駆け出しました。

拓未と勇紀もすぐに私の後を追い、お互いに先に行く者を引っ張り合いながら、我さきにと走りました。

何度も窪みや木の根っこにつまずき、転びながらなんとか崖まで辿り着き、崖を滑り降りて森の外へ出ました。

サレジオに着くと、自転車に飛び乗りお互いの事など気にも留めず、とにかく早くあそこから離れたい一心で自転車を漕ぎました。

私は無意識になのか、家の方へ自転車を走らせていて、このまま帰ろうと自転車を漕ぐ足を速めました。

もう他の二人はどこへ行ったのかも分かりません。

自転車を必死に漕ぎながら、ずっと私のすぐ後ろを何かが追ってくる様な感じがしたのを今でも覚えています。

後にも先にもあれほどの恐怖を感じたことはありませんでした。

息も絶え絶えに家に着き、両親の寝室に駆け込み母親の布団に入りました。

母親は私の様子に驚き、

「どうしたの?何かあったの?」

と何度も聞きましたが、私はただ「何でもない」と答えるだけでした。

直感的にこの事は誰にも話しちゃいけないと、思ったのです。

私はいつの間にか、眠りに落ちていました。

翌日の朝も母親が昨日の夜の事を聞いてきました。

私は小刻みに震えていたそうです。

私は「友達の家から帰る途中に、変な人に追いかけられた」と嘘をつき、その場をしのぎました。

母親は納得したようでしたが、夜の外出は禁止されてしまいました。

私がその日のプール教室を休んで家にいると、拓未から電話があり、会うことになりま
した。

拓未の家に行くと勇紀と賢太も来ており、当然話は昨日の夜の話題になりました。

三人が三人ともあの声の様なものを聞いており、拓未は廃屋から出る時に何かに足首を掴まれた感じがしたそうです。

その後、私と同様に他の二人も何とか無事に家に帰れたとの事でした。

私と拓未は、勇紀に何故祭壇を蹴り飛ばすような事をしたのかを聞きましたが、

「仕返ししただけだよ」

と答えるだけでした。

今思えば名誉挽回の為にあの廃屋に行ったのに、拓未のつわものっぷりばかりが目立っていたので、勇紀はここで何かして根性を見せなければと思ったのではないでしょうか。

そしてこの話は、賢太も含めた四人だけの秘密にすることを固く誓いました。

それからも私達四人は事あるごとにこの話をしましたが、角田の森へ遊びに行く事は二度とありませんでした。

そして時は経ち、私達四人は卒業を迎えました。

賢太は私立の中学へ進学し、同じ公立の中学へ進んだ私と後の二人も別々のクラスになり、拓未と勇紀がDQN系のグループと付き合っていた事もあって、その後私達は疎遠になっていきました。

それから五年後のことです。私が思わぬかたちで「角田の森」という言葉を聞いたのは……

高校2年の夏休み、外出から戻った私に母親が

「あんたに、なんか変な留守電が入ってたんだけど、分かる?」

と言いました。

私はすぐにそのメッセージを確認しました。

「私は東京大学で……の教授をしております……いうものです……」

それは、五、六十代の男性の声で、電話が遠いのか所々で音声が途切れていて、断片的にしか内容を確認できませんでした。

そして次の瞬間、私の体は凍りつきました。「……良平君に……の"角田の森"での事で……したいことがありまして……」

「……折り返しご連絡を……番号は……です……」

そこでメッセージは終わっていました。

「うーん分かんないなぁ、間違い電話じゃないの」

と母親に答えると、私は自室に入り高鳴る鼓動を感じながら、なんとか混乱する頭を整理して、この電話の意味を推理しようとしました。

私達四人しか知らないはずのあの夜の事を、何故東大の教授を名乗る男が聞いてくるのか。

他の三人が誰かに話したのか?

それとも、私がつい喋ってしまった中学や高校の何人かの友人から漏れたのか?

いや、あの事を知っているあの三人を含めた誰かがいたずらでした事かもしれない……

しかし、そんな手の込んだいたずらをするだろうか。

何度聞き返しても留守電の声は中年以上の男性の声でした。

結局、この電話の謎は解明できませんでした。

電話を掛け直そうにも電話番号は一部しか聞き取れませんでしたし、電話帳で東大の様々な学部の電話番号と照合して似た番号を探そうとしましたが、番号の内4つの数字しか分からないのではそれも無駄でした。

また先方からも二度と電話が掛かってくることもありませんでした。

電話があってから一週間程は、あの三人以外の友人に当たるなどして、真相を確かめようとしましたが分からず、しだいにその熱も冷め、日々の忙しさの中でその電話のことは忘れていきました。

それからさらに二年後。

再び私は角田の森の一件を思い出す事になりました。

浪人時代に予備校の夏期講習で偶然賢太にあったのです。

賢太と会うのは中一の夏以来でした。一緒に昼飯を食い、昔話に花が咲きました。

そして、ふと思い出したあの不可解な電話の事を賢太に聞いたのです。

一瞬賢太の顔が曇り、「おまえんとこにもあったのか」と呟きました。

賢太の所にその電話があったのは一年前の夏、つまり賢太が高三の時の夏で、同じ様に留守電に録音されていたとの事でした。

東京大学の教授とは言っていなかったそうですが、角田の森という単語ははっきりと聞き取れたそうです。

やはりその電話も声が聞き取りづらく、電話番号も分からず、再び電話が掛かってくる事も無かったとの事でした。

その時はあまり深くその話題には触れず、変な事もあるもんだなぁといった感じで話は終わりました。

私の話に合わせて嘘をついたのかなとも思いましたが、電話が聞き取りづらかったといった細かい事は賢太に伝えていなかったのでおそらく彼の家にも似たような電話があったのは事実でしょう。

二週間ほどの夏期講習の間、毎日賢太と会い、最後に「大学入ったらまた遊ぼう」と私達は別れました。

私は無事大学に受かり、忙しい毎日を送っていました。

そして私が大学三年の夏、勇紀が死んだのです。

……自殺でした。

当時勇紀は下北沢の近くで一人暮らしをしていたのですが、そばのマンションから飛び降りたそうです。

深夜、八階の手摺を乗り越えて飛び降りたそうで、翌日の朝、給水タンクの脇に横たわっているのを管理人に発見されました。

私と賢太は連絡を取り、二人で通夜に出席しました。

その席で勇紀と仲の良かった中学時代の同級生から色々な話を聞きました。

勇紀が覚醒剤に溺れていた事、最近は全然顔を見せなかった事、そして遺書の内容も遺書には

『もう耐えられない。死んで楽になります。ごめんなさい』

とだけ記されていたそうです。

焼香を済ませ酒を飲んでいると、勇紀の友人が私と賢太の所に来て、こう聞きました。

「あの~、ニシナって人知らないかなぁ。あいつの知り合いだと思うんだけど」

その友人が勇紀の両親に聞いた所によれば、勇紀の部屋の机の上に大学ノートが開きっ放しになっており、そのノートには『ニシナ』という字が何ページにもわたってびっしりと書き込まれたいたそうです。

机の上のもの以外にも同じ様に『ニシナ』と書き込まれたノートが数十冊見つかったそうです。

「あいつが追っ掛けてた女の子かなんかじゃないかと思うんだけど」

とその友人は言うのですが、私達二人は勇紀とは何年も会っていないので分からないと答えました。

その友人が去り、拓未が

「ニシナかぁ、なんだろうね」

と言った瞬間、私の脳裏に、あの夜懐中電灯に照らし出されたあのお札が鮮明に浮かび上がりました。

ニシナ……仁科……ジンカ

そう、あのお札に書かれていたのは間違いなく仁科という漢字でした。

最初の二文字の仁科以外は何が書いてあったのか思い出せませんでしたが、仁科という文字は拓未がジンカと読んだ事もあって覚えていたのです。

私はずっと背筋に寒いものを覚えながら通夜の席を後にし、その帰り道賢太にその事を伝えました。

賢太は泣きそうな顔になり

「そんな事あんまり深く考えない方がいいよ。もうあそこの事は忘れようよ」

と言いました。

それから私達は押し黙ってしまい、そのまま別れました。

私は翌日の告別式にも出席しましたが、賢太は来ませんでした。

拓未は通夜にも告別式にも現れず、数年前に千葉に引っ越したとのことでしたが、最近はどこで何をしているのか誰も知りませんでした。

勇紀の通夜以来、賢太とも会っていません。

最後に

勇紀の死やあの不可解な電話があの夜の出来事に関係あるのかどうかは分かりません。

単なる偶然かもしれません。

勇紀が老夫婦に捕まったという話も、今となっては真実かどうか確かめようがありませ
ん。

ただ、あの夜あの廃屋へ行った事を今でも後悔しています。

何としてでも勇紀と拓未を説得して止めるべきだったのでは、と。

そして、ここで軽はずみにあの森の事を書き込んでしまった事も。

全てを語ってしまった事も……

(了)

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