第4話:見えない女
私の知り合いに中学校の教師をしている女性がいましてね。
彼女は仕事への意欲にあふれていたんです。
毎日のように最終電車の時間まで残業していたんですが、帰宅の際に、とても恐ろしい目にあったというのです。
それはこんな話です。
その晩、駅を降りた時点で既に彼女は、いつもと様子が違うことに気が付いていました。
いつもその駅では、彼女の他にも十人近い乗客が降ります。
だがその晩、その駅で降りたのは彼女一人だったのです。
だからどう、というわけではなかったのですが、やはり家までの道のりが心細いな、と思ったそうです。
降りたのが彼女一人ということは、同じ方角に向かう人がいないということで……
つまり彼女は、暗い夜道を一人で歩かなければならなかったのです。
いくら通い慣れた道とはいえ、若い女性が深夜一人で歩くのは安全とはいえません。
彼女は周囲に気を配りながら、夜道をいつもより早足で歩き始めました。
ほどなく住宅地に入ります。
街灯は灯っていますが、回りの家の明かりはほとんどが消えていて薄暗い……
道幅は乗用車がやっとすれ違える程度です。
その真ん中を歩く彼女は、やがて一人の女性が立っているのに気が付きました。
彼女から向かって道の左側、街灯の取り付けられた電柱の脇に立っています。
髪が長く、ワンピースを着ています。
俯いているのか顔は見えません。
おかしいな……と彼女は思いました。
誰かを待っているようにも見えますが、周囲には寝静まった民家があるだけで、何にもありません。
待ち合わせの場所としては不自然です。
しかもこんな時間に女性が一人で……
その時、直感的に彼女の頭に浮かんだのは『幽霊』という言葉でした。
根拠はありません。ただ漠然とその女性が幽霊ではないかと思ったのです。
恐ろしくなった彼女は道のはしに寄って、けれどもそのまま歩き続けました。
もしもあれが本当に幽霊だったら、立ち止まったり、走り抜けたり、Uターンしたりしたら、襲いかかってくるような気がしたからです。
だから視線を逸らして真っ直ぐ前を見て、とにかく速く通り過ぎようと思ったのです。
……どの位近づいたでしょうか。
彼女は前の方から走ってくる男性に気が付きました。若い男です。
道の左側、あの女が立っている側を息せき切って走ってきます。
それがあの女性の待ち合わせの相手だったのだろうか……
男は女性に向かって真っ直ぐに走ってくるんです。
だったらあの女性は、幽霊なんかじゃなかったことになります。
なーんだ、ただの思い過ごしだったんだ。
だが、すぐに彼女は『違う!』と思いました。
若い男は「おーい」と女性に声をかけるわけでもなく、ただひたすら一直線に走ってくるのです。
彼女の歩く速度より、男性の速度の方が遥かに速い……
彼はみるみる立っている女性に近づきます。しかしその様子はどうも変です。
彼の走り方はその女性の存在が全く眼中に入っていないような、そんな走り方なのです。
そしてその男性は、立っている女性のすぐそばを走り抜けてしまいました。
それも肩がぶつかりそうな至近距離です。
それを見て彼女は確信しました。彼にはその女性が見えていなかったのだと。
暗かったからではない。何故ならその女性は街灯の真下に立っていたのですから。
もう間違いない……幽霊だー!
あの女性の姿は彼女にしか見えていないのです。
……女性が、幽霊がゆっくりと顔を上げました。
その顔が見える寸前、彼女は視線を逸らしました。
目を合わせちゃ、ダメだ……
真っ直ぐに前を見て、とにかく早く通り過ぎる。
そうしよ、そうしよ、それが良い……
彼女は道端の、そう右端の方に寄って、ただひたすら歩き続けました。
どんどん距離が近づきます。
視界の隅に女がこちらを見ているのが、微かに映ります。
それでも真っ直ぐに歩き続けるしかない……
やがて彼女は、女のそばを通り過ぎました。
視界の隅に見えていた女の姿が後ろの方に消えて見えなくなりました。
良かった……このまま歩き続けるんだ……
彼女がそう思った瞬間!
「見えてるくせに……」
わっと悲鳴をあげて振り返りましたが、そこには誰もいませんでした……
[出典:大幽霊屋敷~浜村淳の実話怪談~]