そのキャンプ場は、地図にも載っていないような場所だった。
大学のサークル仲間五人で訪れたのは、夏の終わりの週末。山奥の湖畔に広がるその土地は、見渡す限りの静寂と湿った空気に包まれていた。古びた桟橋が湖に伸び、その先には長い間使われていないらしい小舟が一艘、苔むしたロープで繋がれている。
「なんか、不気味じゃない?」麻里の声が風にかき消されそうになる。翔は気軽に肩をすくめ、「趣があるってことだろ」と笑った。
焚き火を囲む夜、湖の歴史を話題にする裕也の声だけが、火のはぜる音をかき消した。
「この湖さ、昔は渡し場だったらしいよ。でもある嵐の夜に舟が沈んで、乗ってた人全員が行方不明になったんだって。で、それ以来…」
彼の声が低くなる。「夜になると、湖底に沈んだ連中が、生きてる人間を引きずり込むんだとさ」
茶化す智也の笑い声も、麻里の青ざめた顔も、他愛のない夜の空気に溶けた。だが、日が沈むと風景が一変する。湖面は墨を流したような闇となり、焚き火の小さな炎だけが明滅していた。
裕也が桟橋へ向かったのは、その直後だった。
「星を見てくるよ」と言い残し、焚き火の明かりからふっと消えた背中。戻らない彼を心配して、残された四人は懐中電灯を手に捜索に出た。
桟橋に着くと、そこには裕也の姿はなかった。ただ、不自然に揺れる小舟だけが目に入った。翔が低い声で指さす。「あれ、乗ってるの裕也じゃないか?」
湖面の中央に浮かぶ小舟には確かに裕也が立っていた。しかしその背後、闇の中から現れたもう一人。古い衣装を纏った男。顔の半分が水に濡れ、死んだ魚のような目がこちらを捉えている。
智也が叫ぶ。「おい、何してる!」
返事はない。男は小舟を静かに漕ぎ出し、湖の中心へと向かう。霧が一気に立ち込め、全てが白く飲み込まれた。
必死にオールを漕ぎ、追いかける。濃霧の中、耳に響く低い囁き声。「戻れ…戻れ…」水面から無数の手が伸び、舟を掴もうとする。麻里が悲鳴を上げ、翔が手を振り払う中、突然、小舟が視界に現れた。裕也の呟きが風に紛れて耳に届く。「深く…もっと深く…連れていって…」
次の瞬間、彼は水面へ吸い込まれるように消えた。
水底から浮かび上がる無数の青白い顔。無言のまま、空虚な目がこちらを見つめる。逃げ帰る四人を追うかのように、囁き声が耳元で続く。「帰れない…まだ…終わらない…」
やっとのことで岸に戻った彼らを迎えたのは、湖畔に立ち尽くす裕也だった。ずぶ濡れの服と赤く充血した目が、正気を失ったように揺らめく。
「ずっと…呼んでるんだ…あいつらが」
その声は、もう人間のものではなかった。