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中編 n+ カルト宗教

狂乱の女信者

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ある特定のカルト集団においては、組織内の上下関係が聖書由来による「アベル」と「カイン」として表現されており、その関係性はまるで企業の上司と部下のように規定されている。

この「アベル・カイン」構造は極めて複雑で、集団内部では「善良で従順なアベル」と「反抗的なカイン」というラベリングが日常的に行われており、立場に基づいた対立や抑圧が絶え間なく生じている。

例えば、集団の会議や日々の作業において、アベルとして認識される者がカインとされる者に対して指導を行う際、無条件に従うことが求められる。また、カインの立場に置かれた者が少しでも不服を示すと、「反抗的」とラベリングされ、信仰心の不足を指摘されることが多々ある。

このようにして、信者たちは常に自身の立場を意識し、上下関係を無理やり認識することで、自らの信仰心を確認し続けなければならないという不自由な構図に縛られている。こうした関係は、信者の精神的な負担を増大させ、内面的な葛藤を生み出している。

このような状況の中で、私は決して忘れることのできない女性信者との出来事を経験した。その女性は「霊的に異常である」と噂されており、外見はどことなくかつてのアイドルのような面影を持っていた。

しかし、その外見とは裏腹に、彼女は常に何かに苛立っているかのようで、内面には激しい葛藤を抱えているように見えた。ある時、私は彼女と同じ部署で共に作業をすることになり、業務に関する簡単な会話を交わしていた。しかし、突如として彼女の表情が一変したのである。

彼女の目は鋭く光り、まるで野生動物のように釣り上がり、突然声を荒げて私に向かって激しく非難を始めた。「あなたはアベル・カインの原則を理解していない!」と彼女は叫んだ。どうやら彼女は私を「アベル」、自分を「カイン」と位置づけ、その立場に基づいて私を「勘違いして威張り散らしている者」とみなしているようであった。

彼女の怒りの表現は単に感情の発露というよりは、長年の抑圧と苦悩が積み重なった結果のように感じられた。彼女は集団内で常に「カイン」として下に位置づけられ、何をしても評価されることはなく、理不尽な指導を受け続けてきた。

その過程で、どれだけ努力しても「アベル」として認められることはなく、自分が「反抗的」という烙印を押されるたびに、自尊心が傷つけられてきたのである。このような経験が積もり積もって、彼女の内には深い不満と絶望感が蓄積され、それが私に向けられる形で噴出したのであった。

つまり、彼女は私に対して「アベルであるならば、カインを愛するべきだ」と主張したかったようで、端的に言えば「もっと優しくしろ」という要求であった。しかし、正直なところ、そのような攻撃的な態度を見せられては、誰もがそんな要求に応じる気にはならない。むしろ、彼女の中に蓄積されていた抑圧と怒りが、私に向けられたことで爆発したように思えた。

私は思わず「誰に向かってものを言っているんだ?」と言い返してしまった。その瞬間、私の中には後悔と不安が同時に湧き上がった。この状況で感情的に応じるべきではないと頭では理解していたが、彼女の言葉に対する怒りと苛立ちがそれを押し止めてしまった。

私の言葉はまさに彼女の怒りにさらに火を注ぐ結果となり、彼女の叫び声は部屋中に響き渡った。彼女の叫び声は部屋中に響き渡り、その場の状況は一気に混沌と化した。彼女の言葉はますます過激さを増し、まるで私を敵であるかのように攻撃し続けた。

私も売り言葉に買い言葉で返してしまい、「これはまずい」と思ったときには既に遅く、彼女は完全に激昂し、私の言葉など一切耳に入らない状態であった。

その場を収拾するために、私は何とかしてその場を退散した。しかし、私の心中にはどこか釈然としないものが残り、その後、電話で彼女と話をしようと試みたが、やはりまともな対話は成立しなかった。

彼女の中では私は完全に「勘違いして舞い上がっている者」であり、私がどのような言い訳をしようとも無駄であった。弁明するのも億劫で、そのまま放置しておくことにしたが、後日、驚いたことに彼女の父親が私にアポイント無しで訪問してきたのである。

この父親もまた熱心なカルト信者であり、「うちの娘に対してこんなことを言ったそうだな」と私に詰め寄ってきた。彼は私の目の前に立ちはだかり、その視線は鋭く、まるで私を見透かすかのようだった。彼の目には強い信念と熱意が宿っており、その姿は一種の異様ささえ感じさせた。

顔は硬くこわばり、口元には緊張の影が漂っていた。彼は言葉を発するごとに手を振り上げ、感情を抑えきれない様子だった。彼は一方的に説教を始め、その声は高まり、時折手で私を指差す動作を交えながら、私の耳に押し込むようにして言葉を吐き続けた。

私はしばらくその長ったらしい能書きを黙って聞いていたが、彼の語る内容は理論的な体裁を保ちながらも、娘への愛情と集団への忠誠心の間で揺れ動く複雑な感情が滲み出ていた。彼の言葉は理論的なようでいて、その実、感情のこもったものであり、娘への愛情と集団への忠誠心が複雑に交錯していた。

しかし、私はその後に自分の主張をはっきりと伝えることにした。

「誰に向かってものを言っているのか」という私の発言の真意を正確に説明し、彼に対して冷静に話を続けた。

「私たちは兄弟姉妹という立場にありながら、無理やり上下関係を押し付けて感情的に攻撃するのは不適切です。そんな勝手な関係性を作り上げ、私を責めるのは理不尽です」と私は述べた。

私の言葉に彼はしばらく黙って考え込んだ後、彼の顔は急に恐縮したように変わり、「ああ、そうだったんですね。なるほど」と、愛想笑いを浮かべて帰っていった。

その態度の変化には少しばかり驚かされたが、彼もまた集団の中での立場や役割に囚われていたのだろうと思うと、哀れに感じられた。

この集団において、「アベル・カイン」の原則一つを取っても、その解釈は信者の数だけ存在しており、誰が正しいのかを議論しても全く意味がない。

それぞれが自分自身の視点と経験を持っており、その結果として異なる立場を取ってしまうのは避けられない現実である。それよりもむしろ、相手が「勘違いしている者」なのか、「他人をアベルに押し付けて被害者を装う者」なのかを見極めることが先決なのである。

集団の中では「愛を求めるな、愛を実践せよ」と教えられているが、現実には愛を求めている信者が多数存在するのが実情である。人間というものは、どれだけ教えられたとしても心の中に求めるものがなくなるわけではない。

あの狂乱の女信者もその一人だったのかもしれないと考えると、少しだけ哀れに思えてくる。しかし、だからと言って、あの表情で「もっと愛してほしい」と言われても、それに応じるのは無理な話であろう。

信者たちは、愛という名のもとで他者に対して過剰な期待を抱き、その期待が満たされないときには怒りや失望に変わる。例えば、集団内で「アベル」として認識されている者に対して、自分の精神的苦痛を理解し、無条件に寄り添ってくれることを期待することがある。しかし、その「アベル」が忙しさや他の信者への対応でその期待に応えられなかった場合、彼らは「裏切られた」と感じ、失望が怒りに転じることが多い。

また、集団内の奉仕活動などにおいても、期待された感謝や報酬が得られないとき、信者たちは強い不満を感じ、それが感情的な対立を引き起こす要因となる。彼女の怒りの背後には、愛されたいという強烈な欲求が潜んでいたのかもしれないが、その欲求があまりにも強く、制御不能な状態になっていたのだろう。

このように、集団の中では一人一人が異なる矛盾を抱え、それが時として他者との摩擦や対立を引き起こすのである。

「アベル・カイン」の原則は、信者にとっては信仰を強化する手段であると同時に、その原則に囚われすぎた結果として生じる葛藤の原因にもなっている。この構造は、信者たちが自己を犠牲にし、集団への献身を強めるための装置として機能する一方で、その装置が個々の心を蝕むこともしばしばである。そして、その犠牲や矛盾を受け入れることこそが、彼らにとって信仰の「証」として尊ばれる。

結局のところ、集団内で生きるためには、自らの役割と他者の役割を常に意識し、相手の期待や立場を理解することが求められる。しかし、誰もが完全にそれを理解し合うことは難しく、それが人間関係の混乱を生む要因となる。信仰の名のもとで他者との関係性を構築することが、しばしば彼らの思いとは裏腹に、争いや苦痛を生んでしまうことは避けられない現実なのである。

あの狂乱の女信者との出来事は、私にとってその現実を痛感させるものであった。彼女の怒りや父親の行動を通じて、集団の中での「愛」と「献身」の複雑さ、そしてそれに伴う矛盾と葛藤を改めて感じた。

それは決して単純な善悪や正しい行動に分けられるものではなく、彼らが置かれている信仰の枠組みとその中での個々の生き方が反映された結果だった。

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