近所の田舎神社のお祭りの話。
田舎の神社といっても、かなり古いけどけっこう立派な感じ。
西に土壁に囲まれた本殿、中央に高床式?の神楽殿、広い敷地を挟んで最近建った社務所。
その神社で行われる祭りというのが、物凄い数の餅を藁で編んだ直径三メートルくらいの藁玉の周りに餅くっ付けて、町を練り歩く。
どうって事無い祭りなんだけど、昔はその藁玉を川に投げ入れてたらしい。
ピーンと来た人は分かると思うけど、この祭りの起源って川の水神、龍にささげる『生け贄』の儀式なのね。
昔はもちろん若い娘を生け贄にしてたんだけど餅に変わった……みたいな。
で、他にもこんな感じの起源を持った祭りって無いかなー?とか思った。誰か無いかね?
あと、ふと思った『雛祭り』。これの派生で『流し雛』ってあるじゃん。
アレ昔『人を流してた』って思ったらゾゾゾ……ってしない?
179 :本当にあった怖い名無し:2012/09/19(水) 19:03:36.74 ID:8DXjZS9k0
中国の饅頭(マントウ)の起源は、川の氾濫を鎮めるために首を捧げていた風習の代わりに孔明が肉詰め饅頭を作った、という話があるよね。
180 :本当にあった怖い名無し:2012/09/19(水) 20:04:26.25 ID:SAFO2zeR0
ああーTVで見たことある!
確か流す饅頭の大きさがホントに人の頭くらいあった。
てか、首をささげるって何か凄よね……
やっぱ、逃げれないように致命傷与えてから生け贄にするのがポピュラーなんだろうか?
イメージ的に、生きたまま手足縛って川にブチ込むって勝手に思ってたけど……
頭部にダメージ負った生け贄のミイラとか多かったな、そういえば………
182 :本当にあった怖い名無し:2012/09/19(水) 20:56:00.08 ID:8DXjZS9k0
>>180
例えば漢字だってもともとは古代中国の類感呪術からきてる。
『道』という字も、敵の首を埋めて国境の結界を結んだとか、『方』は木に架けられた死体で、それを四方に置いて悪霊の侵入を防いでいたとかね。
屠殺には動物をなるべく苦しめずに殺すって考え方があるし、生贄にもそういう人間的な考えがあったかもしれないね。
逆に、生贄の悲痛の念を神に捧げるという残酷なのもあったかもしれない。
そういう発想もまた人間的だがね。
183 :本当にあった怖い名無し:2012/09/19(水) 22:12:34.22 ID:SAFO2zeR0
死や災いを遠ざけるために『死』を利用する人類って考えると面白いね。生命にとって死は絶対的な恐怖っぽいし。
呪術、生け贄は当時の人類の恐怖や畏怖に対する一つの表現方法って所かな?
例えば、カグツチ(火の神)を産んでイザナミは死んでしまったって表現した日本神話。
例えば、「太陽を一万個集めたほど明るく煙と火が絡み合った光り輝く柱」って表現された、マハーバーラタのインドラの雷。
これら二つは火山噴火だって言われてて、俺は当時の人が当時の感性で一生懸命その現象を表現したのだと思う。
何かの小説のあとがきで見た「江戸時代の人はスターウォーズを産み出せない」てのに似てる。
つまり、その時代の感性で呪術(表現方法)も変わるって思考実験をしてみた。
例えば、同時多発テロ9.11以降、「飛行機の機内に持ち込めるライターの数が一人一個に制限された」って話。
こんな物でテロが抑止出来るのか?もちろん出来るわけがない。
専門家はコレを現在も行われる人の「呪術」「おまじない」の類だと表現した。
そこで、例えば俺がまったく新しい形の表現方法で呪術をかける。
もしくは、今現在その方法を呪術を実行していると告白してみる。
184 :本当にあった怖い名無し:2012/09/19(水) 23:52:23.62 ID:8DXjZS9k0
動物たちはもっと反射的に死を避ける。
死を想念の中で恐れ忌み避けるようになったのは人間独特のものだろう。
それは人間の時系列で長期的に記憶する脳の機能が発達した作用したからに思える。
死を拒み生き永らえようとするからこそ人間は文明を産みだし数を増やした。
イザナギがイザナミと黄泉比良坂で離縁したのも、アダムとイブがエデンの園から追放されたのも、そんな死から遠ざかろうとした心理的風景の現れなんだと思うね。
けれど君の火山の話もそうだけど、神話はいろんな風に解釈ができるからなあ。
まあそういう見方もできるよねってところに落ち着く。
呪術のミソは、いかに人を共感させ情動を喚起させるかというところにある。
例えば、なんでもないようなただの空き地に注連縄を結んでやると人が入ってこなくなるという風に。
わざわざ告白してどうする(笑)まあ自分もそれに勘づいた上でのっかってるわけだが。
さて、そもそもそれがそれが君自身の意志によるものなのかどうか……
(了)