この話は、関係者の方もおられる話なので公にするのは不謹慎かもしれせん
が、なぜだか多くの方にお話しすることが自分の役割のような気がするのです。
決して事件を面白ろおかしく仕立てるつもりはありません。
また、関係者の方がもしこれを読んでおられたら、本当に申し訳ありませんが、ご容赦のほどお願い申し上げます。
私はある国で勤務している大使館員です。
もちろん、今は海外からアクセスしています。
今年の夏、家族(妻、五歳と三歳の子供)を車に乗せて、国境の山岳地帯に夏休みの旅行に出掛けました。
世界でも有名な山の隣町です。
観光シーズンだったのですが、事前にホテルを予約していたので、何の問題もなく旅行を楽しんでいたのですが、明日そこを出発しようとする日、それは起こったのです。
その日は午前中、ホテルの付近の山を散策していました。
昼になり、家内が突然、○○山(有名な山)を見に行きたい、と言い出しました。
その山はケーブルカーで山頂近くまでいけるのですが、以前一度登ったことがあるので、私は乗り気ではありませんでした。
しかし、家内があまりにしつこく言うので、車を三十分ほどとばして、その山まで行ったのです。
ケーブルカーを登っていると途中から天候が荒れてきて視界が悪くなり、ケーブルカーでも休憩所でも観光客は私達だけでした。
それでも、こんな風に山を独占できる機会はそうないね、と家族で写真を撮ったりしながら数時間を過ごし、山を下りてホテルに戻りました。
満車に近いホテルの駐車場に車を入れてすぐ、もっと良い場所が空いたので車を回そうとしたのですが、なぜかエンジンが全くかかりません。うんともすんとも言わないのです。
もう夕方でその日はどうしようもなく、最後の日になるはずの食事をしてホテルでゆっくりとしていました。
ところが、どうにも部屋が気持ち悪いのです。
ベッドの上で色々と考えてみると、そういえばこのホテルに着いてから妙に寝付きが悪いことを思い出しました。
毎日、毎日、人が死ぬ夢を見ているのです。
隣の家内にそれを話すと、不思議だ、自分も同じだ、と言います。
家内が続けて言うには、このホテルに着いた初日、真っ赤な朝焼けで起きた。
あんまり綺麗だったのでもう一度見ようと思い毎朝早く目を覚ましているのだが、今考えると、窓は北向きでそんなものが見えるはずもなく、不思議だった。
遮光カーテンを通しても窓のサンが壁に映っていたが、そんなことってあるのだろうか……と言い出しました。
プルルルルルッ!!!
ビクッ!としました。
不意に部屋の電話が鳴りだしたのです。
でると無言電話でした。時間は十二時すぎです。
怖くなってきたので、もう寝ることにしました。
そして、やはり見た夢は人が死ぬ夢でした。
全身汗をかいて目が覚めると、時間は二時半頃。うつらうつらしながら考えました。
なぜ、毎日人が死ぬ夢ばかりみるんだろ。
もしかしたら、誰かが本当に死んでいるのかも……
そう思った瞬間です。
全身がぞくぞくっとして(こんなことは初めてなのですが)身体がいわゆる金縛りのようになり、目の前が真っ白になりました。
そして光の中から、一人の男の顔が、こちらに近づいてきたのです。
光が強くて輪郭だけしかわかりませんでしたが、三十歳前の若い感じでした。
そして彼は私に話しかけるのです。
それが不思議なんですが、早送りの映画の字幕を見ているみたいというか、イメージが目の前に溢れてくる感じでした。
彼は言ったことをまとめれば、次のようでした。
『お前の車は動かない。しばらくウチには帰れないだろうが、ずっとここにいなければいけなかった俺の気持ちが分かるか?俺はお前みたいに子供を持つこともできないうちに、こんなことになってしまったんだ』
書いているうちに、当時のことを思い出して身体が固くなってきたので、ゆっくりと書きます。
そこまで彼が言い終わったとき、ふっと身体の固まりがとれました。
不思議とその直後は冷静で、隣にいた家内に声をかけました。
「起きている?今ものすごいことが起きた……」
そこまで話した時、ふと誰かが窓から見ている気がしました。
窓を見ると、完全には閉じていなかった遮光カーテンの隙間から、真っ赤な街灯が見えます。
街灯?
それは狂ったように窓の周りをぐるぐるとまわっています。
ひとだま?
家内と窓を凝視したまま、身体が固まってしまいました。
恐る恐るカーテンをあけると、窓の外はうごめく赤い火の玉で一杯でした。
急にものすごい恐怖心に襲われました。
なぜだか喉が無性に乾いている自分に気付き、置いておいた1リットル近いミネラルウオーターボトルを一気のみしました。
子供は大丈夫だろうか?
急に続き部屋に寝ている子供が急に心配になり、家内と二人で子供のベッドに走りました。
幸い、子供はすやすやと寝ていましたが、もう自分のベッドに戻る気もしないので、そのまま添い寝をしようと寝ころんだ瞬間、二回目の金縛りにあい、光の中から再び彼が目の前に現れました。
彼は言いました。
『山に登る人間が、山で死ねば本望だというのは嘘だ。自分は早く日本に帰りたかったんだ』
突然電話のベルが鳴り、私は正気に戻りました。
隣では家内の顔が恐怖で引きつっています。
電話をとると……やはり無言電話でした。
そして三回目の金縛りにあい、今度は彼は言いました。
『いろいろ迷惑をかけてすまないけど、僕は本当は悪い人間じゃないんだ』
金縛りが解けて、私は家内に言いました。
「悪い人じゃないって言っているよ……」
言った瞬間、ビシビシビシと部屋中から家鳴りがして、家鳴りは朝まで続き、ほとんど眠れないまま家族で夜を明かしました。
翌朝になって、ホテルのフロントに頼んで車の修理業者を呼んで貰いました。
一応念のためフロントに確認しましたが、やはり誰も私の部屋に電話しなかったということでした。
昼近くになっても車は直りません。
その日は午後にも出発し次の目的地の海岸に行く予定でしたので、修理業者に確認すると、故障している理由が判らないといいます。
ようやく夕方になって修理業者から電話があり、車の鍵穴が壊れていてスターターが回りっぱなしになり焼き切れている、何か無理なことはしたのか?
部品を取り寄せるから修理には二日かかるということでした。
ホテルの方は、なぜだか私の次に同じ部屋に泊まる客が体調不良でキャンセルになったとのことで、再び同じ部屋に泊まることになりました。
幸いその後の二日間は何もなく、車もどうにか直って、二日遅れで次の目的地の海岸街に着きました。
その街で、別途休暇を取っていた同僚一家と一緒になり、食事を共にしながら二日前の出来事を話すと、彼は青くなって聞き返しました。
「それって何日のこと?、君知らないの?その日、遭難していた日本人登山者の遺体が三十年ぶりに発見されたんだよ」
ちょうど家族でケーブルカーで登った山から、全く同じ時間に、氷河の中から日本人登山者の遺体が発見されていました。
遺体は約三十年かけて氷河とともに1000メートル下り、地元の警察に発見されたのでした。
その方のお名前は、私の長男の名前と同じでした。
同僚は強く言いました。
「今、地元の総領事官が遺族と連絡をとっているが、この話は担当者に話しておいた方がいいと思う。何だかそんな気がする」
しかし私は、こんな話を皆にすればするほど何だか自分が馬鹿に思われそうで、同僚の忠告を話し半分に聞いていました。
翌日、海岸で子供を遊ばせている頃には、その忠告のことはすっかり忘れていました。
予想外のトラブルがあったため、明日はもう休暇の最終日。海のバカンスはたった一日だけでした。
家族とホテルのテラスで夕食をとりながら、それにしても不思議な旅だった、と振り返り、でもまあ、あまり人に話すと変だと思われるから地元の総領事館に電話するのはやめておこう、と話しかけた瞬間、ズボンのポケットに入れておいたカメラが足下の砂浜に落ち、綺麗に真っ二つに割れました。
海の休暇の写真はダメになってしまいました。
おいおい、と思いながら夕食を終えてエレベーターに乗り込むと、ボタンを押してもないのに動き出し、開いた扉の目の前には、山のホテルと同じ部屋番号がありました。
家内はすでにそうとう怯えていましたが、何とか気を取り直し、翌日出発しようと車の鍵を回すと……動きません。
何度やっても動きません。
前と同じ症状です。
いや、もっと酷いようです。
ホテルを通じて修理業者を呼ぶと、予想していたとおり巨大な力で鍵穴がねじ曲がっていてスターターが粉砕されている、酷い状況なので修理には数日かかる、ということでした。
電車で家に戻ろうと駅に問い合わせても翌日の便しかないとのこと。
どうしようもないと諦めて、職場の大使館の上司の許可をとり、休暇を一日延ばすことにしました。
そしていろいろ考えるうちに、もしかしたら総領事館の担当者に連絡を入れないからいつまでもこんな目に巻き込まれているのかもしれない、遭難者は遺族に自分のメッセージを伝えたいのかもしれない、と思うようになりました。
翌朝一番で総領事館に電話をしました。
休暇中の職員が多い中で、残っている担当者はこの案件でてんてこ舞いのようでした。
幸い知り合いの領事が担当でした。
これまでの経緯を話したところ、相当驚いており、数日後に遺族の方がこちらに来るので話しておく、と言われました。
そして電車を使ってどうにか家へ戻りほっとしましたが、車は修理工場に置いてきたままです。
三日位で直るというはずが、何日たっても直りません。
毎日催促しているうちに、工場の担当者が
「注文した部品が届いたが、みると箱の中が空だったので再注文している」
などと言い出す始末です。
そんな中、総領事館の担当者から電話がかかってきました。
二日後にご遺族がこちらにくることになったが、ご遺族は君と話したがっている。どうやらご遺族も日本で不思議な体験をされているようだ、との連絡を受けました。
そしてご遺族が当地に来られる前の日のことです。
夜も十二時になろうという時、一本の電話がかかってきました。
起きていた家内が電話をとり、しばらくして青い顔でやってきました。
何か変な電話。
無言なんだけれど、電話の向こうからウチの中の音が聞こえる……
私が変わって聞いてみると、たしかに、ウチには変わった音のする時計があるのですが、その時計がなる音が電話の向こうからします。
しばらく家内が我慢比べのように電話を聞いていましたが、突然、ひやぁ、と素っ頓狂な声をあげました。
低い男の声で「さよなうなら」って言われて電話が切れた、というのです。
翌朝、修理工場から、車が直ったとの連絡がありました。
出来過ぎたような話ですが、電車に乗って取りに行くと、確かに直っていました。
その後、総領事館のはからいで、ご遺族の方と電話で話しました。
遭難者のご両親は既に亡くなり、弟さんと、当時一緒だったパーティーの方が来られていました。
遭難者は当時二十歳代前半の方でした。
ご遺族の方に一通り体験したことをお話しすると、しばしの間のあと、今日は彼の言葉が聞けて本当によかった、自分たちがもう遺体を引き取って帰るのでご安心下さい、とのことでした。
当時、浮き石に足を取られて滑落した被害者は、大きなクレパスに落ちたそうです。
クレパスは非常に危険なため、クレパス中に食料一式を落とし、救助活動は即日打ち切りとなったそうです。
一緒に滑落し、ロープに腕が引っ掛かって助かった当時一緒のパーティーの方は、今までなんともなかった腕が今年の滑落した日から突然腫れ上がったが、ミイラ化した遺体と対面してから、腫れが嘘のように消えた、とのことでした。
中には、夏頃日本に帰るから、と本人が夢枕に立った方もおられました。
それからは、私の身の回りには何も起きていません。
なぜ自分がこのような目にあったかは良くわかりませんが、自分の役目は果たせたような気がしています。
(了)