中編 山にまつわる怖い話

山の現場【ゆっくり朗読】3600

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これはうちの親父が飲むと時々する話。

親父は昔、土方の親方をしていて、年に数ヶ月は地方までいって仕事をしていた。

古い写真には、その頃の仲間や何かと現場で取った写真なんかが残されている。

そんな中に1枚、写真の裏に名前が書かれたものがあった。

七~八人で撮った写真なのに、三人の名前だけが裏に書かれている。

当時の写真だからモノクロのバラ板写真で、かなり黄ばんでいる。

その写真を整理していて見つけた時に、親父に何故この三人だけわざわざ裏に名前が書いてあるのか聞いてみた。

「それは京都の山に行った時の写真や」

それは分かるが、なんで三人だけ名前が?

「山行ったら、人が減るのは仕方ない事もある」

それ以後の話はその時に聞けなかったが、後々になって酒の席で聞く事になった。

親父によると、その現場は冬という事もあって、かなり過酷を極めたらしい。

古い旅館だけがその時の飯場となり、ろくな暖房器具も無く雪も多く、それでも工期は迫ってきていて、皆一様に疲労と不安に苛まれていた。

そんなある日、雪が少し小止みになったので、宿から1時間以上歩いた現場に向かった。

当然山道で車両が入れるわけもなく、今のように重機が活躍するはずも無かった。

それでも皆で隊列を組んで、深い雪の中を歩いて現場に着いた。

作業は《山間に道路を付けるための下地になる道を作る》というもので、人夫が数十人で山を削っていった。屈強な男たちばかりだったという。

朝から始まった作業、雪は小止みでも降り続く中での過酷な労働。なんとか早く終わらせて、親父は皆を休ませてやりたかった。

昼になり、簡易の屋根を付けた場所で火を炊いて昼飯になった。数箇所に別れての昼飯だが、グループはそれとなく決まっていた。

ん?誰か足りない。親父はそう感じたので、皆の顔を見回した。

「力蔵さんは他で食べてるのか?」

そう問うと、「そうやないか?」と返事があったという。

親父はなんとなく気になりながらも飯を食べた。

日が暮れて山間はすぐに暗くなるので、親父は作業を終了し、全員を集めて宿に帰る事にした。

これ以上は下山できなくなると判断したからだ。

宿に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなり、雪と風は強さを増していた。

風呂に入り、夕飯の時間となって、皆で集まった広間に行くと様子がおかしい。

「何があった?」

親父の問いかけに、誰かが「力蔵さんがおらん」と言う。

昼飯の時に居なかった力蔵さんだった。

親父はまずいと思った。

夕飯もそこそこに、数人で現場の近くまで探しに行く事になった。

カーバイドランプの暗い明かりを頼りに、吹雪の中をそんなに長時間は探し歩く事が出来ないし、二次遭難の恐れもあったので、諦めて下山してきた。

すぐに電話があるような時代でもなく、朝になったら警察に届ける事にした。

翌朝は晴れて日差しが戻ってきた。

数人が宿を後にして、街の警察まで不明者の届け出と捜索の願いをしに行った。

請け負い先にも連絡を頼んだ。

親父は早くから現場に向かい、不明者を捜しながら残りの者を連れて歩いた。

深くなった雪のせいもあって手がかりは無く、現場周辺での捜索も長くは出来ず、それぞれの作業場所で探しながらの作業をするように指示をした。

街まで走らせた者も昼には戻ったのだが、当時の警察は、そういう不明者にはあまり構ってくれず、「ふもとの村の青年団に協力を求めておく」との事だけだった。

夕方になり、作業も捜索も断念した親父は、また皆を連れて宿に向かった。

帰り道でまた雲行きが怪しくなると、吹雪がすぐに襲ってきた。

宿に帰ると、妙な胸騒ぎで全員を広間に集めた。

胸騒ぎは当たった。

また一人足りない。これは流石に焦ったという。

二日で二人、これはおかしい。

まだ吹雪きが強くならないうちにと、数人づつのグループに別れて捜索をした。

それがまた最悪の結果になるとは思ってみなかったらしい。

吹雪きが強くなり、全員が戻った時、ひとつのグループが戻らない。しまったと親父は思ったという。

しかし、程なくそのグループも戻ってきた。

そのグループが遅かったのは、その中の一人が途中で忽然と居なくなったから探していた、のだという。

事態はどんどん悪化していく。

残った人夫たちにも不安と焦りの表情が見えた。

何が起こっているのか、親父にも訳が分からなくなってきていた。

しかし、これ以上の不明者を出すわけにもいかず、親父は捜索を断念した。

翌朝もよく晴れて、青年団も加わってくれて、捜索と作業が再開され、遅れた作業を取り戻すためにも、青年団に捜索をお願いし、親父は作業にかかった。

天候の良いうちに少しでも早く作業を進めて、早くこの現場から離れたかったのだ。

昼も近くなり、昼食の準備のために、親父は作業から離れ簡易の小屋に向かった。

今日は先に進むために、全員が川上の作業場に集まっていたので、昼食の場所付近には人影は無かった。

でも、どこからか人の気配がする。

元々勘の鋭い親父なので、それは確信だった。誰も居ないはずの辺りを見回す。

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すると、谷を挟んだ向かい側に人影を見つけた。見覚えのある人だった。

最初に居なくなった力蔵さんだった。親父は大喜びで声をかけようとした。

昼食のために皆が集まり始めたので、その姿を他にも見た者が居た。

しかし、その瞬間に思った。あの吹雪の中、二晩も耐えていられたのだろうか?

近づくために谷の方に足を進めると、向こうもこちらに気づいたらしい。

何かに掴らないと立ってられないような急斜面の上に立つその人影の向こう後から、居なくなった二人の姿も確認できた。

足を速めて谷に向かう。

すると、三人の姿が谷の崖の方にすーっと動くのが分かった。

「危ない!」

思わず声を出した。

その声に周りに居た人達も崖を見上げた。三人は崖の端に立つと皆の方を見た。

そして、ニィっと笑って、崖から下に落ちていった。

「あぁ!」

皆の叫び声がこだまする。

一斉に崖の下に皆が向かうが、そんなに深い谷でもなくすぐに場所は分かったが、そこに三人の姿はおろか、落ちた形跡すら無かった。

深い雪に埋もれたか。そう思い皆で落下現場を探したが、やはり落ちたような形跡は無い。

それでも親父の指示で雪をかきわけて三人の捜索を続けると、雪の下から最後に消えた一人が見つかった。

当然凍死していた。

そこから数メートル先で二人目、そして落下現場の反対側で最初の力蔵さんが発見された。

その顔を見て全員が凍り付いた。口元を上げてニィっと笑っていたのだ。

三人の亡骸を宿に連れ帰り、地元までトラックで運んだ。

警察は検死もそこそこに、作業中に崖から転落してそのまま凍死したものと断定した。

いくらその状況の不可解さを警察に訴えても、取り合ってさえもらえなかった。

親父は残りの作業があったので、身内の居なかった一人の葬儀の手配をして、二人の家族に挨拶をして、請け負い元に報告をして、現場に戻った。

捜索を手伝ってくれた青年団に酒を振る舞い、労をねぎらい、全員に少し休みを与えた。

その酒の席で妙な事を聞いたという。

現場で見た事でさえ全員が口にしたくないほど奇怪で恐ろしかったのに、まだ不可解な事が続いて出てきた。

まず、死んだ三人は皆同じ場所で作業していた。これは親父も知っていた。

それがあの崖の下の部分を掘る作業だったのだが、複数ではなく、場所が小さかったので一人で作業していたのだ。

よく考えると、その作業が始まってからすぐに力蔵さんは居なくなった。

それに、もっと不思議なのは、三人が落下するときに、先頭にもう一人白い着物を着て、白い頬被りをしたような見た事もない人間が、三人を崖に誘うように居たのを、何人もが見ていたという。

仲間を亡くした悲しさと、不可解な現象による恐怖で、皆は深酒をして眠った。

その夜、あれほど晴れていたのに吹雪きで風が窓を叩く音がしてきて、叫び声のような風の音が宿を覆った。

数人が起きてぼんやり窓を見ていたという。

親父も何か寝付けずに外をみていると、「うわぁ!」と叫び声がした。

山に向いた大き目の窓の向う、白い着物に頬被りの者を先頭に三人が歩いていく。

凍り付くように親父はそれを見ていた。三人は、親父に向かって頭を下げるとまた歩き出した。

親父は窓を開けて声をかけようとしたその時、先頭を歩く着物を着た者の顔が急にぐっと近づき大きくなって、親父に向かってまたニィっと笑った。

そこで親父は気を失ったという。

親父はあくまで酔ってたせいで、そういう事もあったし夢を見たのだ、と言うけど。

雪の頃も過ぎ去り、親父たちは少し伸びた工期ではあったが、それ以降無事に作業を終え、現場を引き払い家路に就いた。

それから数ヶ月して、その現場の完成の際に、親父は呼ばれて久々に現場に立った。

奇怪な思い出も薄れていた頃、あの時の青年団の一人が親父を見つけて声をかけた。

とにかく来いと言うので、山道を少し歩いてたどり着いたのは例の崖の上だった。

「これ」と指差された所を見ると、そこには古びた墓石のようなものが、しかも三基並んで立っていた。

何でもそこは昔、この近くの廃村の墓地があって、数年前に道路工事のために、墓地ごと崖を切り崩したのだと言う。

雪の無くなった崖下には、意味不明の文字を書いた赤い御札が一面に貼られた、古い祠のようなものが残っていた。

それは昔、この上の墓地にあったものだが、切り崩した際に崖下に落ちた。

切り崩し作業を親父たちの前に請け負ってた会社の者が、次々と事故などで居なくなったせいで、その秋に親父たちがその現場にまわされたのだ、と告げられた。

親父はその現場を最後に程なく会社をたたんで、別の会社に勤めた。

その後も、亡くなった人達の家や葬儀でいろいろあったようだが、この先は親父もかなり酔ってからしか話さないので、真偽の程は分からない。

ただ、実直だけが取り得のような親父が、この話をすると悲しそうにこう言う。

「あの現場では工事が無事に終わったのは、三人が身代わりになってくれたさかいなんや」

他にも仲間を亡くすような経験が何度かあったそうだが、その全てが山に関する現場だったらしい。

今から四十年以上前の話。

何度か酒を飲んだ時に聞かされた話をまとめると、こういう事らしい。

思い違いや、記憶の混同があるのかも知れないけど、一応にこの話だけは同じ事を言うので、まんざら思い過ごしや記憶違いでも無いように思う。

補足

赤い札を貼った祠だけど、親父たちの前に作業してた会社の社長が、高熱を出していながら病院を抜け出してまで真っ直ぐに立て直して、狂ったようにお経を唱えながら赤い御札を貼ったものらしいです。

(了)

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