私は昔、いわゆる多重人格だった。
厳密には今も完治はしていなくて寛解状態(かんかいじょうたい)。
それでも、記憶が飛ばなくなったし、気がついたら知らない所にいる恐怖から解放されたのはとても嬉しい。
多重人格……正確には解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい)という。
普通なら人格は一人に一つなのに、ストレスやトラウマによって一つだった人格が割れてしまった状態らしい。
増えたのではなく割れてしまっただけなので、人格は一部の感情しか持っていなかったりする。
怒りしかない人格、悲しみしかない人格、そうかと思えば子供の頃の幸せな記憶だけを持っている人格。
人格=記憶の一貫性なので、人格が生まれるとその人格の持つ記憶も断片的なものになる。
そして本来の人格からもその分記憶がなくなって行く。
他の人格と私は、子供の頃から一緒にいた友達のようなものだった。
家族よりも親密で支えあって暮らしてきた。記憶は繋がっていないけど、いつも側にいるのを感じていた。
だけどこれは特殊な例だった。
そしてそれには別の原因があった事に気付く事になる。
色々あって十代なかばに精神科を受診する事になった。
その頃には知らない人格も増えていて、私は疲れ果てていた。
受診した先生が多重人格に詳しい医者だった事で、私たちが一人ではないと見抜かれてしまった。
だけどそれが人生の大きな転換期になる事になった。
その先生は通院に協力的な人格から話を聞いていったらしい。
その結果わかった事は、私はオリジナルの人格ではなかった。
私はこの体と同じ名前を持つ最初の人格だと思っていた。
だけど私も割れたかけらの一部で、本来の人格は別にいると知った。
私も交代人格だった。
だから他の人格と交流が取れて存在を受け入れられたらしい。
それを知った時はさすがに荒れた。
それでも治療に協力していたのは穏やかな生活に戻りたかったからだ。
最初の頃からずっと一緒にいた人格と違って、比較的新しくうまれた人格は問題ばかり起こしていた。
治療に協力することで記憶の欠落が落ち着いて元の生活に戻れると思っていたが、正直甘かった。
治療は十年以上続いた。
普通の高校はもちろん、大学なんか行けるはずもなかった。
通信制の高校をどうにか卒業して、フリーターになった。
ただのフリーターじゃなくて、気が付けば記憶が飛んでいるというおまけ付きだ。
はっきり言って。もう人生に絶望していた。
10年カウンセリングを受けてもどうにもならなかったのに、この先大きな変化があるとも思えない。
そう思った矢先、私に地味な変化が訪れた。
今の夫との出会いだ。
夫と付き合うにあたって振られるのを覚悟で病気の事は包み隠さず話した。
別人格がしてきたことも知っている限りで全て話した。
当時恋人だった夫はあっさりと受け入れてくれた。
その上でかなりのスパルタな接し方もしていた。
とにかく優しい人だったけど、甘やかす事はしなかった。
少しでも甘えた考え方をしたら淡々とさとしてくれた。
ストレスから自傷行為に走った時にはかなりきつく叱られた。
でもその後でストレスを解消する方法を一緒に考えてくれた。
私の心の中には被害者意識とそこから来る甘えがあって、それがある限り成長できない、それがなくなれば成長できると教えてくれた。
夫と出会ってから私の精神面は急速に安定して行った。
他の人格も夫によくなついた。治療面でも新しいアプローチが開発された事もあり、今では人格が交代する事はほぼなくなっている。
夫とは治療の途中で入籍した。
トラウマが消えたわけではないので子供のいない生活を選択した。
夫の可能性を奪っているのではないか、他の女性となら、と色々悩んだけど、それでも夫と二人で穏やかな家庭を築いて行ければいいと思えるようになった。
今は幸せに暮らしている。長く占領して失礼しました。
もう一度寝ます、おやすみなさい。
94:名無し:2016/09/06(火)ID:4az
>>93
オリジナルにあなたがとって変わったってことなの?
95:名無し:2016/09/06(火)ID:Brk
>>94
こんなどうしようもない吐き出しにレスありがとう。
取って変わったのではなく合意の上で統合(二人以上の人格を一人に統一する事)しました。
オリジナル(基本人格=生まれた時の人格)はずっと眠っていたらしく、私は子供の頃から主人格(別名ホスト人格、一番長く表に出ている人格)だった事に気付かずに基本人格だと思い込んでいました。
基本人格からすれば気が付いたらすごく歳を取っていて、親とも一緒に暮らしていなくて驚いたそうです。
人格を統合することで、記憶や受け持っている感情が一つになるのですが、彼女と私が統合した時はほとんど何も変わりませんでした。
基本人格なのに記憶や思い出が何もなくて驚いたのを覚えています。
ちなみに私が治療を受けていた頃の主流は、無理に全員統合するのではなく、日常生活に差し支えが出ないように交代をコントロールできるようにする寛解を目的にしていました。
今は解離性同一性障害そのものの治療は受けていないので、どういう方法が主流なのかはわかりません。
(了)