山形県置賜地方にある山の話。
68 :本当にあった怖い名無し:2022/05/15(日) 23:12:08.93 ID:yqoRKOv60.net
そこはかつて大規模林道計画の頓挫によって打ち捨てられたトンネルがある。
陸の孤島と呼ばれたその地区と隣の市を繋ぐ林道として計画されたのだが開通することなく計画は取りやめられてしまった。
なんでも特別天然記念物の生息域と重なる為、生体保護の観点から工事継続が不可能となってしまったらしい。
そこに残ったのは無責任に生み出され捨てられた人工物の抜け殻たち。
誰も通らない道路。
水の流されないトイレ。
明かりの灯らないトンネル。
捨てられた人工物たちは何を思うのか。
私には解ります。
孤独な人工物は寂しがっている。
トンネル内に捨てられた大量の子供靴は子供を待っている。
トイレに捨てられた赤いハイヒールはまだ歩きたがっている。
トンネルは呼吸を繰り返す。地元の人間が近づかない山。
思えば工事中に幽霊騒動があったと関係者から聞いたことがあります。
大柄な女性が夕暮れ時にトンネル内を行き来していたと。
俯き顔が見えない程長い髪に遠くからでも見える大きな口。
笑っているのだと言う。
もしかしたら変質者かもしれませんが私はそうではないと確信しています。
私は見たことがあります。
大きな女性のシルエット。
沢山の子供たちの声。
あのトンネルの向こう側。
大きな口の向こう側に。
そんなものを見ても私はあの山へ通い続けます。
あの山は不思議と居心地がいいんです。皆さんも是非いらして下さい。
国道級の林道を目指した、大規模林道の夢の跡
トンネルはなぜ尊いか。それは、価値あるものを近くして、人の世界を豊かにするからだ。では、行き先のないトンネルには、どんな言葉をかけてやれるだろう。
山形県小国町の中心部から、北へ16キロメートル離れた石滝地区から、整備された山岳道路を7キロメートル上った奥地に、この小枕山トンネルがある。入口に立つと460メートル先の出口が小さく見通せる。照明がないので歩いて通り抜けるのには少し勇気が要る。
だが、このトンネルには行き先がない。トンネルを抜けて2キロメートル弱進むと、唐突に道路が消えてしまう。立派な山岳ハイウェイが突然終わる景色は、少しばかり異様だ。
現在は行き止まりの手前に「おぐに白い郷土の森」があり、そのアクセス道路(町道)として夏場利用されているが、そのためだけに山を越える立派な道が作られたわけではない。昭和63年(1988年)にトンネルが完成した当時、この道は大規模林道・真室川小国線と呼ばれていた。
一般的に林道といえば、未舗装の山道を想像する人が多いだろうが、森林開発公団がスーパー林道の次に手がけた大規模林道に、その常識は通用しない。
国が昭和44年(1969年)に閣議決定した大規模林業圏開発計画では、全国に7つの大規模林業圈が設定され、それらの骨格となる林道を32路線、2267キロメートル整備するとされた。林業のみならず、産業開発や観光開発にも活用される、国道級の林道というのが謳い文句で、道路規格は極めて高く、原則2:車線の完全舗装路を、全体予算9550億円で整備するビッグプロジェクトだった。
だが、計画は当初から上手く回らなかった。国内林業の低迷で需要予測の下方修正があり、またスーパー林道の反省から日本中で強まっていた自然保護の声とも戦わねばならなかった。
全長105キロメートルを予定していた真室川小国線においても、終点小国町側からの工事は昭和63年に最初の峠を攻略し、小枕山トンネルを完成させたものの、そこから柴倉山を越えて長井市へ、さらに葉山を越えて白鷹町へ通じる区間の建設は、平成10年に中止が決定された。
平成20年には事業主体の緑資源機構(旧森林開発公団)も解散し、大規模林業圏開発計画は事実上放棄された。全国に散らばる元・大規模林道のうち、完工まで漕ぎ着けたものは、わずかだった。
建設中止が決定された際、小国町は最後まで推進の立場を崩さなかったという。豪雪や水害などで長期間「陸の孤島」となった過去の経験から、道への渇望は深かった。だが、結局残ったのは、どこへも抜けられず、夏の4か月以外は雪に閉ざされる、〝過ぎたる〞町道だった。