カンボジアを初めて訪れたのは、大学院の夏期研修だった。
東南アジアの農村支援プロジェクトに参加することになり、現地のNGOと共同で、井戸を掘るための調査に出ていた。
地名は控えるが、首都プノンペンから北西へ数時間。舗装もまばらな赤土の道を、トラックで何時間も揺られた先に、その村はあった。
現地スタッフに紹介された通訳は、細身で神経質そうな初老の男だった。名前は「チュム」と名乗った。目は爬虫類のように乾いていて、口数は少なかった。日本語も英語もそこそこ話せるというので、私たちの調査に同伴してもらうことになった。
ある日、井戸の候補地を確認していたとき、ふと土の中から陶器のかけらが出てきた。淡い青磁のような皿の破片だった。だがそれだけではなかった。小さな骨片。人間のもののようだった。
チュムに訊ねると、彼は口を濁した。
「……あまり、触れない方がいいです」
何かある、と直感した私は、夜、食事のあとに酒を手土産に、チュムの家を訪ねた。酒が入ると、彼は少しずつ言葉をこぼすようになった。
「……この辺りには昔、ポル・ポトの部隊が駐留していたんです」
その名を聞いた瞬間、空気が変わった気がした。虫の鳴き声も遠ざかったような気がして、私は思わず背筋を正した。
「兵士はみんな……子供でした。十三歳以下。銃よりも怖かったのは、あの子たちの眼でしたよ。乾いていて、感情がなかった」
彼は、七〇年代の終わりごろ、この村で実際に起きたことを、ぽつりぽつりと語りはじめた。
村の人々はある日突然、全員集められたという。年寄りも、幼児も、赤ん坊までも。農具を持ってきて畑へ行け、と命じられた。逆らえばその場で撃たれた。
学校はなくなり、寺は燃やされ、仏像は首を折られた。
役に立たないと判断された者は、一列に並ばされ、近くの池のほとりへ連れていかれた。チュムの母は、眼鏡をかけていたというだけで、名指しされた。
「母は……池の土手のあたりで、後ろから鉄棒で叩かれて殺されました。銃弾は、もったいないから」
彼はふと笑った。ひどく乾いた声だった。
「いまもあの池の周りは誰も近づきません。大雨のあとなど、土の中から骨が出てきます」
私の背中を、冷たいものが這い上がってきた。
「なぜそんなことを……?」
問いかけると、彼はしばらく口をつぐんでから、低く言った。
「彼らは、本気だったんです。理想のために……。でもその理想の姿は、地獄でした」
それから彼は、村の近くの林に案内してくれた。雑草の生い茂る小道を抜けた先に、古びたコンクリートの建物があった。窓は鉄格子で、壁には黒い染みのようなものがこびりついていた。
「ここは尋問所でした。中で、何が行われたか……誰も語りません。でも夜になると、子供の声が聞こえると言う人もいます」
そう言って、彼は建物の中には一歩も入らなかった。
私は一人で内部に足を踏み入れた。
ひんやりとした空気。天井の低い部屋には、鉄のベッドの枠だけが残っていた。床には、乾ききった血痕のような跡がいくつもあった。壁には爪で引っ掻いたような痕が無数に走っていた。
と、そのとき、背後で「カチャリ」と音がした。
振り向くと、扉がゆっくりと閉まりかけていた。
私は凍りついた。誰もいないはずなのに。
風の音かもしれないと自分に言い聞かせたが、冷や汗は止まらなかった。
その夜、チュムと並んで飲んでいたとき、彼がこんなことを言った。
「私、ポルポトの部隊に、入っていたんです。十三のときでした。兄を殺されて、家族を守るにはそれしかなかった。あの頃、信じていたんですよ。革命を……。それが、正しいと思ってた」
彼の声が震えていた。手は静かに酒の盃を握りしめていた。
「あなたたちは調査が終われば帰るでしょう。でも私たちは、この土の中に沈んだ人たちと、一緒にここで暮らしていくしかないんです」
私は何も言えなかった。
研修が終わり、日本に戻ってからも、夜中に時々、あの池の土手が夢に出てくる。誰もいないはずなのに、確かにそこにいた「何か」の気配が忘れられない。
そして今もときどき思うのだ。
あの建物の中、扉の向こうにいたのは、本当に風だけだったのか……?
[出典:20 :本当にあった怖い名無し:2005/03/23(水) 03:07:38 ID:nUBNjmPo0]