俺の高校の頃の思い出。
高校の裏手にあるグラウンドは雨が降るといつも水浸しだった。
昔田んぼだったんだから無理も無い。
グラウンドの向こうはずうっと田んぼで、ところどころ家が建っているのが見えるのどかな立地。
テニス部にいた俺はそのグラウンドで毎日楽しく練習していた。
その日は梅雨で、雨がしとしとと降っていた。
当然グラウンドはびちゃびちゃのぐちゃぐちゃで、どうしようもないから校舎の中を走る練習に切り替えられた。
「めんどいなー」
みんなこんな練習はつまらないと口々にいいはじめた。
みんなテニスをすることがほんとに好きなんだが、上手くなるには手段を選ぶやつばかりだったので、結局その練習は却下され、テニスできないから今日は解散。
……ということになった。
でも若いバカ者たちはこのまま帰るわけも無い。部室にこもってみんなでマージャンが始まった。
俺はマージャン下手だからマンガ本を読みながら、隣の女子テニスのかわいい子のことを想像しながらひとり静かに熱くなっていた。
「おい、きもだめししねー?」
突然おまるが変なこと言い出した。
おまるは普段から変な遊びを提案しては周りを面白がらせる奴で、結構面白かったし、何よりあだ名がおまるでいい感じだった。
「いいじゃんやろーぜ」
みんな馬鹿だから提案にのる。
「どこでやんだよ」
「隣の女子の部屋にいってくる」
「それ肝試しじゃねーだろ、エロだめしだろ」
という感じで場所は学校から裏のグラウンド(通称裏グラ)のはずれにあるラグビーのゴール地点までいってテニスボールを一つずつおいて戻ってくるってことになった。
街灯も無い梅雨の夕暮れはちょっとゾッとする。
雨もしとしとじゃなくて、ややざーざーと本降りになりだしている。
「女子もよぼうぜ、きっとこの雨でブラスケルだぜ!」
神山が馬鹿を披露する。
「だめだよマネージャーがなんか文句言ってくるにきまってんだろ」
で、却下。
じゃんけんの結果俺は3番目、一番は小島、2番が青山。4番おまる、5番神山。
いよいよ出かける際になって、なんだかみんなの顔が暗くなった。
実際ほんとにやる段になると恐いんだよね……
そんなくらい空気を破るように元気よく「じゃあ行って来るぜイクイクー」と小島が出て行った。
部長以下2年3年はもう帰る準備をしている。
「お前らも肝試しなんて、ほんと馬鹿だなー、鍵なくすなよな」といって部室のスペアキーをおまるに渡した。
雨がザーザー降る中、時計は5時半を回った。隣の女子も帰りだした。
他の部も体育館使ってる奴や文科系以外は大体帰リはじめていた。
校舎のほうから金管楽器の音が聞こえる。
「小島、川とかに落ちてねーかな」
「電信柱につっかえてるかもよ」
「また稲中のネタかよおまる」
15分も経っただろうか。小島が帰ってきた。
「小島どうだった」
「幽霊いたか」
「うんこふんだか」
小島は「べっつにーナンもねーよ、感想としてはやっぱグラウンドがぬるぬるしてるってだけだな」
「なんだよーもっと面白いこといえよー」
「さぶ」
「うっせーなじゃあ次の思えがやればいいだろこの童貞が!!」
「うっせー全員童貞だろここにいんのはおめーもそうなくせに」
などと他愛の無い結果に終わり、青山が次にでていった。
そろそろ本格的に空が暗くなってきた。
「あ」
「なんだよ小島」
「……」
「さっきのおじさん、なわけねーよな」
俺はなんかぞっとする発言だったので「なんだよさっきのって」とすぐに聞き返した。
携帯をみると時計は6時を回っていた。
青山はなかなか帰ってこなかった。
5時55分にはでたと思ったのに、今はもう6時25分。
行って帰ってくるだけでゆっくりでも15分しかかからないのに。
「小島なんなんだよおじさんって」
おまるが聞く。
「なんかな、俺ボーっとしてたみたいだな。田舎のおじさんにそっくりの人がグラウンドの隅っこの方にいたんだよ」
部室の空気がなんとなく張り詰めた。
俺もこのときからすごく行きたくなくなってきていたのをおぼえてる。
得体の知れないおじさんがこの強い雨の中グラウンドにつっ立ってるってだけで十分恐い。
そしてその話がすんでから今が6時25分。
「青山やべーんじゃねーの?」
「みんなで行こうぜ!」
みんなでラケットを持って出かけた。
みんな最初「どーせ小島の見たのなんて目の錯覚だろ」「うんこたれー」なんて笑っていたが、青山が帰ってこないのでどんどん暗くなってきた。
そのおじさんが変なおじさんだったら……
てか雨の中グラウンドだから絶対変な奴だ。やべえ。青山やべえ。
部室の外に出ると思ってたよりもっと雨が強かった。
みんななにも言わない。
手に手にラケットをもって半地下の部室から図書館と校舎の脇を抜けて弓道場の脇の裏グラへ降りる道へと向かう。
夏至も近いっていうのに6時半ですごい暗い。雲が分厚かったのか。
あのとき、正直恐い反面、わくわくもしていた。
この人数ならおじさん一人くらい楽勝。そういう気持ちもあったからだ。
ただ、肝試しではじめたからというのもあり、なんとなく得体の知れない存在を見るのが恐怖だったんだと思う。
校舎から裏グラに行くには一本の公道をとおる。
弓道場からの短い坂道を過ぎ、用水路の橋を超えて道路をわたった時、青山がグラウンドにいるのが見えた。
用水路は学校の裏手を取り囲むように流れていて魚もいるしとてもキレイだ。
でもその日はすごく雨でにごっていた。
青山はこっちに向かっているように見えた。周りにはおじさんもいないようだ。
俺もみんなもホッとした。
「青山だいじょぶじゃん」
おまるがグラウンドの金網のドアを開けて中に入った。みんなも続く。
「おーい青山ーお前おせーよ!!」
「なにやってんだよー!!」
150メートルぐらい先にいる青山に向かって俺らは叫んだ。
……青山は答えない。
こっちに向かってくる。
「なんか青、変じゃねー?」
グラウンドはぐちゃぐちゃで、思うように足がすすまない。
「ラグビー部の奴おこんだろうな、グラウンド整備がーって(笑)」
「俺らってことはばれねーって、よゆー」
「おーい青山ー」
突然青山が
「わああ!!ああ!!あああ!やだ!!やだ!!やあだ!!あああ!!ああ!!」
と叫びだした。
まだ100メートルくらい先。
みんな足を止めた。再び俺らに恐怖が戻ってきた。
正直逃げ出したかった。青山が泣いてあんな声出すのを始めて聞いたからだ。
しかも誰に向かって叫んでるのかわかんないし、近くには何にもいないように見えた。
自然とみんな周りを見渡した。グラウンドの隅もみた。
でもいない。誰もいない。青山の近くにもいない。青山は泣いている。
また
「あああああああ!!ああ!!あああー!もうやだ!!やめて……!」
とひいひいと喋っている。
俺はほんとに逃げ出したかった。
おまるが「おい!!青山、どうした!!」と顔を真っ白にしながら叫んで走り出したので、みんなも置いてけぼりはいやだから全力疾走して青山の元へ向かった。
雨が激しい。すごく暗い。何時だったんだろう。
青山のところまで一気に近寄ってきて、俺らはぎょっとした。青山の足元の地面から手が出てる。
それで青山の足がその手にしっかり握られているのだ。
こっちに向かおうとしているようでなんだか様子が変だったのはこれだったのか。
みんななにも言えない。
「これはずしてくれよ!!!」
青山がないて俺に頼んだ。
俺は離れてその足元の手をじっと見た。
心臓がへんだった。頭も痛い。なんか視界がせまい。
「マネキン……?」
マネキンの手。マネキンの手だった。
でもなんでグラウンドの真ん中にこんなもんが突き出てんの?
マネキンの手だと分かっていてもはずすのは恐かった。
青山も「肝試し」でこういう目にあわなかったらこんなにも取り乱さなかっただろう。
しかももう回りは真っ暗。
雨の中、一人でグラウンドの真ん中でマネキンの手に足を握られて動けないでいるなんて、恐すぎる。
がっちりと食い込んでいた手は5分かかってようやくはずすことが出来た。
青山はボールをゴール地点に置いたら、急になんだか恐くなってダッシュで帰ろうとしたらいきなり足をとられたんだそうだ。
それで足元をみたら人間の手。相当ショックだったろう。
すぐにマネキンのてだとわかったものの10分ほどもがいていても動転していたせいかとれない。
きっとよっぽどダッシュしてつっこんだんだろーな。それでパニックになったそうだ。
「へんなおじさんみなかったか?」
小島が青に聞く。
「わかんない……でももがいているとき、きっと恐かったからだと思うけど、俺のほうになんか来る足音が聞こえたよ。見たくなかったから目をつぶったけど……きっと気のせいだよ」
青はみんなとあってやっと少し落ち着いたようで恥ずかしそうにしゃべった。
「もう帰ろう」
小島が言った。神山もおまるも俺も、そして青山もうなずいた。
みんなでグラウンド引きかえそうとした。
青がなんか聞いたって言うことに関してはだれもなにも触れなかった。
触れる余裕なんて無かった。恐くてしょうがない。
雨は俺たちをずぶずぶのびしょしょにしていた。なんでこんなことしちゃったのかなあ。
肝試しなんてやめりゃよかった。そう思いながら青山をきづかって、みんな校舎のほうを向いたその時俺たちは聞いた。
ざしゅざしゅざしゅざしゅ
ざしゅざしゅざしゅざしゅ
ざしゅざしゅざしゅざしゅ
ざしゅざしゅざしゅざしゅ
………………
………………
………………
これは靴がどろどろの砂を歩く音だ。
だれかすぐ後ろにいる。
動けない。誰も動けない
「ふふ」
俺らは絶叫した。
グラウンドは300メートルぐらいで端から端までいける。
ちょうど真ん中にいたから金網のドアまでは150メートル。
でもそのときはすごく長かった。
だれもいなかったのにグラウンドの真ん中にいきなりこれるわけないのに。
女の声だしおじさんじゃないしマネキンなんでうまってるんだよなんでだれもういなかったのに。
真ん中にこれるわけないのに女の声だしおじさんじゃないし。
みんなのわああわああという叫び声が聞こえた。
みんな恐くて叫びながらはしてっるんだ。
グラウンドから金網のドアをぶち開いた。
そのときは既に学校の中に入るのも恐くて道路とグラウンドの真ん中で僕らは身動きが取れなくなってしまった。
気がつくと雨は小降りになってきていた。みんなぜいぜい息をしている。真っ白な顔たち。
グラウンドの方をみるとやっぱりなんにもいない。
「……聞いた?」
俺はおまるにきいた。
「ん……」
おまるはうなずく。みんなもお互いの顔を見回す。
みんなラケットを置いてきてしまっていた。
神山だけは持っていた。ラケットずぶぬれにしたら使い物にならなくなる。
とりに行かなければいけない。グラウンドは真っ暗で、道路の街灯だけが僕らを照らしていた。
小島の携帯を見せてもらうとまだ7時前だった。
「俺とってくるよ」
俺は言った。かなり頑張った。
きっとその一週間ぐらい前にアルマゲドンとか見たからこんな発言をしてしまったんだと思う。
神山のラケットを借りてグラウンドに降りた。
やっぱりなんにもいない。いてもラケットでぶん殴ればいい。どうせ変なおじさんおばさんだろ。
50メートルくらいいったところで、もじゃもじゃしたものが雨にぬれて落ちてる。
生首だった。
恐かったがホッともした。だってさっきの手はやっぱりマネキンだと確信できたから。
マネキンが動いたんじゃないかと思えてきていた俺には落ち着けるいい材料になった。
しかし目を上げると、グラウンドの真ん中に人が立っていた。
「だれだー!!」
俺はとりあえずキレた。
しかし人影は動かない。ほんとうに呼吸もしてないんじゃないかてぐらい動かない。
モノみたいだ。
マネキンが立った……?
その人影には首が無かった。
ラケットはマネキンの周りに散らばっている。
逃げたい。視界がまたせまくなってきた。
雨はやんだ。音がしなくなった。遠くの方で車の音が聞こえる。
近くには民家の明かりもうっすらと見える。
でも目の前にはマネキンが立ったものがある。ほとんど真っ暗だ。
後ろも振り向くのが恐い。前にも進めない。
そのとき、すぐ耳元で「ふふ」という声が聞こえた。
俺は後ろを振り向かずにラケットをぶん回した。
ゴンという音がして「ひゅぐっ!」という声が聞こえた。
同時にマネキンが前のめりに倒れた。
「わああああああああああ」
と叫びながら俺はラケットを拾い集めてダッシュした。
なにかに抱きつかれた。目をあけてしまった。
目の前にマネキンの首があった。顔の表情なんてない。目がキラキラしていた。
髪の毛がずぶぬれでどろどろだった。
俺はマネキンに頭突きした。
「だいじょぶかー!!!!」
おまるの声がきこえた。
生首は俺の背中にくっついた。走った。抱きついてくるものをみたくなかった。
目をつぶてはしった。背中に生首ががんがんあたる。
ひゃああひゃああと俺はひどい泣き声でグラウンドから逃げ出した。
グラウンドを出てから、みんなのところへ駆け込み、何も言わずにみんなに抱きついた。
抱き疲れるのも恐いらしくてみんなひいひいいって泣いていた。
まっくらな弓道場の坂道はよして正門から部室に戻ることにした。
正門から部室に戻り、どろのついたジャージを脱いで身体を拭いた。みんな一言も言わない。
そのまま帰ることになった。
部室の時計は7時45分ぐらいだった。
皆一言も言わず、駅まで歩き、行き先の違う青山と小島、おまると別れて神山と俺で帰った。
神山は電車の中で、「これ、秘密にしような……」とだけ言った。
もうあれがなんだったのかなんてどうでもよかった。
最寄り駅で降りて、神山と別れた。もうすっかり雨は止んでいて、アスファルトがぬれているだけだった。
暗い道を歩いていると、どうしてもさっきのことが思い出される。あのマネキンついてきやしないかな。
まさかこないさ。僕はとにかく家へ急いだ。
なにごとも無く家にたどり着いて、ドアを開けるときに「ふふ」と聞こえた気がした。
だれか後ろに来た。
気がつくと自分の部屋にいた。朝になっていた。
親父がドアの前で寝ている俺を見つけたらしい。
別に怪我も無くただ寝ているだけだったからそのままベッドに寝かせたらしい。
後日ラグビー部の奴に聞いて分かったことだが、あそこのグラウンドの近くに芸術家が住んでいて、ちょっと頭がおかしくて、たびたびあのグラウンドにも勝手に入ってきてはおかしなことをするところが目撃されていたらしい。
人形を壊したり埋めたりするそうだ。
なんで埋めるのかラグビー部のだれかが聞いたところ、「埋まってるから」といわれたらしい。
何が?ときいても「埋まってるから」としか答えないので、それ以上は聞かなかったらしい。
それからは俺の周りであの声を聞くこともなかったし、友達にも全然なにもおこらず、無事に学校を卒業した。
以上が実際にあった出来事を出来る限り思い出して書いてみたものです。
台詞は誰がどの台詞を言ったのか覚えてるところだけは書きましたがうろ覚えです。
でもあの声はだれのものだったのか今でも謎です。
その芸術家のおじさんの声でしょうか。
しかし俺の家までついてきて驚かそうとするなんて、よっぽどラケットで殴ったことに腹がたったのでしょうか。
いずれにせよ凝ったいたずらをされた気がします。
グラウンドに伏せていて誰もいないように見せたのでしょうか。
マネキンを立たせるのはどうやったのか……マネキンの首だけ背中にくっついていたのもどうやったのか。
俺らが異常に恐がりすぎたのか。
色々な状況が重なって恐くなる環境がそろっていたとはいえ、いまだにちょっと整理がつきません。
でも確実にいえることは、家のドアの前には、ぶっ倒れた俺と一緒にマネキンの黒髪もバさっと残してあった、ということです。
(了)