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沖に浮かぶ孤島 r+6,106

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 わたしは、潮の香りを肺いっぱいに吸い込みながら、ひどく感傷的になっていた。

いまからおよそ三十年前、まだ二十歳を少し過ぎたばかりだった頃の、夏のある日の出来事を思い返していたのだ。

その頃のわたしは、いわゆる「あまちゃん」として、この海の仕事を生業としていた。しかし、その動機は世間が思うような純粋なものではない。泳ぎが得意で、身体を動かすことが好き。そして何より、手っ取り早く大金を稼げる、それだけの理由だった。他の海女さんたちは、代々この仕事を受け継いできた年季の入った人たちばかりで、わたしのような若造は浮いた存在だった。

当時のわたしには、ひとつだけ、他の誰もが口を揃えて「絶対に行ってはいけない」と忠告する場所があった。それは、岸からおよそ三百メートルほど沖に浮かぶ、小さな孤島だった。誰もそこには近づこうとせず、わたしもその理由を勝手に解釈していた。きっと、潮の流れが速くて危険だからだろう。年配の海女さんたちには、あの激しい流れは危険だと、そう思い込んでいたのだ。

その日の午後、わたしはひとり、いつもの漁場を離れ、海を彷徨っていた。体調も良く、まだ潜れる。そんな漲るような活力が、わたしをいつもとは違う場所へと向かわせた。波は穏やかで、潮の流れもさほど速くはない。あっさりと、あの禁忌の孤島へと辿り着いたわたしは、「なんだ、楽勝じゃないか」と、独りごちていた。

潜ってみると、そこはまさに秘境だった。人が足を踏み入れない場所ゆえか、大きなアワビやサザエがごろごろと転がっていた。アワビは三十センチ、サザエも二十センチはあるだろうか。わたしは夢中になって、それらを網へと放り込んでいった。

そのとき、海底に不自然に巻かれた一本の太い綱が目に留まった。一瞬、心臓が凍りつくような寒気に襲われたが、わたしはそれを無視して、漁を続けた。しかし、網をいっぱいにしたところで、どうにも落ち着かなくなって、わたしは小島へと上がった。

小島の側面に、幾つものお地蔵様が彫られているのが見えた。粗末に扱われ、苔むしたその姿は、なにか不吉なものをわたしに感じさせた。「なに、ここ……なんかヤバい場所?」わたしは独り言のように呟いた。その直後、どこからともなく、微かな声が聞こえてきた。

「……ちゃ……」

風の音か、潮騒か。そう思ったわたしは、耳を澄ませた。

「……お……ぇちゃん」

それは、間違いなく、子どもの声だった。わたしが振り返ると、そこに十歳くらいの男の子が立っていた。わたしは驚きのあまり、声が出なかった。海に囲まれた孤島に、どうして子どもが……しかも、その子は洋服を着ているのに、全く濡れていない。ありえない光景に、わたしは全身から血の気が引いていくのを感じた。

男の子は、無邪気な顔で、わたしに話しかけてきた。

「おねえちゃん、どこから来たの?」

わたしは、ただ口をパクパクさせることしかできなかった。怖くて、声が出なかったのだ。

「ぼく、おうち帰りたいんだけど、どう帰ればいいかわかんないし、足も痛いし、頭も痛い、お腹もすいたし、喉も渇いたし……助けてよ、おねえちゃん」

男の子がそう語り始めるやいなや、その姿が異形のものへと変わっていく。足が痛いと言うと、彼の足からは血が流れ出し、頭が痛いと言うと、顔中が血まみれになった。お腹がすいたと言うと、彼の身体はみるみるうちに痩せ細り、骨と皮だけになった。喉が渇いたと言うと、その表情は老人のように皺くちゃになった。

「ヤバい、これは絶対ヤバい!」わたしは心の中で叫び、南無阿弥陀仏と必死に念仏を唱えた。その瞬間、身体を縛り付けていた見えない鎖が断ち切られたような感覚に襲われた。わたしは転がるように海へと飛び込んだ。

しかし、身体は浮くどころか、どんどん海底へと引き込まれていく。まるで、底なし沼にでも嵌りこんだかのように、わたしは抗うこともできずに沈んでいった。

海底に辿り着くと、そこには小さな洞穴があった。その中に、水中眼鏡をつけたままの、白骨化した遺体があった。直感的に、あれがさっきの男の子なのだと理解した。同時に、深い悲しみが胸を締め付けた。そのときだった。わたしを海底に引きずり込んでいた力が、すっと消えていくのを感じた。

わたしは、ようやく水面へと浮上することができた。冷静さを取り戻したわたしは、急いで岸まで泳ぎ、陸に上がった。わたしは漁協の買い取り業者に、今日採れたアワビとサザエを預けると、すぐに警察へ遺体発見の届け出をした。

再び漁協に戻ると、そこには人だかりができていた。

「すごいねえ、今日は大漁じゃないか」

みんなが、わたしを褒めそやした。買い取り業者から受け取った金額は、想像をはるかに超えるものだった。嬉しさと、遺体を発見した悲しさが、複雑に絡み合い、わたしはただ、呆然と家路についた。

その夜、わたしを心配した近所の老海女さんが家を訪ねてきた。彼女に、今日の出来事をすべて話すと、彼女は静かに頷いた。

「やっぱりかい……」

彼女は、昔、その孤島で起こった悲劇を語り始めた。

終戦後の夏、三人の男の子が海水浴中に波にさらわれ、その孤島に流れ着いた。しかし、その日は波が高く、救助に向かう船が出せなかった。やがて、小島を飲み込むほどの高波が押し寄せ、三人は再び海に消えた。

それを見ていた一人の漁師が、危険を顧みずに船を出した。一人、二人と助け出し、三人目を助けようとしたそのとき、船が孤島に激突し、沈没した。結局、三人の男の子と漁師の遺体は、翌日になって発見されたのだという。海底に巻かれた綱と、小島の側面に彫られたお地蔵様は、そのときの供養のために作られたものらしい。

「あんた、その男の子に会ったんだね。あの子は、誰かに助けを求めて、ずっと海を彷徨っていたんだよ」

彼女は、そう言って、わたしをそっと慰めてくれた。

翌日、警察が捜索を行ったが、遺体は見つからなかった。わたしは、老海女さんと二人で船を出し、あの孤島へ線香とお供え物をあげに行った。

帰り道、穏やかな潮風に吹かれながら、ふと、聞こえたような気がした。

「ありがとう、おねえちゃん」

その声は、わたしがかつて、あの孤島で耳にした声と、全く同じだった。そして、その日から、わたしはもう二度と、あの孤島に近づくことはなかった。

(了)

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