自分が育ったのは、四国の瀬戸内海沿いにある小さな村だった。
港には古い木造の船が並び、潮風にさらされて軋む音を立てていた。夜になると虫の声がやけに大きく響き、外灯もまばらで、闇はすぐそこに迫っていた。そんな土地での六歳の誕生日の出来事を、今でも忘れることができない。
幼い自分は誕生日に良い思い出がひとつもなかった。五歳の時は、座敷の絨毯でスリッパを履いて遊んでいて足を折り、病院で誕生日を迎えた。プレゼントはZZガンダムの模型だったが、痛みとギプスの不快感が強すぎて喜びも薄れた。だから六歳の誕生日もどうせ何か起こるだろうと、心のどこかで諦めていた。
案の定、その日は高熱に襲われた。体温は四〇度を越え、息をするだけで頭がふらつき、身体が自分のものではないようだった。座薬を入れられても熱は下がらず、夜中に母が車で病院へ連れて行くことになった。
母は救急車を呼ぶようなことはしなかった。田舎では、夜中にサイレンを鳴らして近所を騒がせることが一番の恥とされていたからだ。だから自分は毛布にくるまれたまま、母の古い車に運び込まれた。車内の空気はひどく冷たかったが、体は熱にうなされ、寒さよりも焼けつくような息苦しさが勝っていた。
行き先はS鳥町にある小さな病院だった。町は平成の合併で地図から消えてしまったが、あの夜の情景は、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
母はがらんとした駐車場に車を停めると、受付に診てもらえるかどうかを確かめに行った。自分は毛布にくるまれ、後部座席に残された。車内の静けさに、外から響く秋の虫の声がやけに鋭く聞こえた。
どれほど待っていたのかは分からない。熱に頭が朦朧としていたから、時間の感覚も失われていた。
「しげちゃん、開けてー」
突然、甘ったるい声が耳に届いた。最初は母が戻ってきたのだと思った。けれど、すぐに違和感を覚えた。車の鍵は母が持っているはずで、わざわざ自分にドアを開けさせる理由などない。
「しげちゃん、あけて~」
再び声が響いた。耳をくすぐるような優しい声だった。毛布から顔を出して声のする方を見た。
窓の外に、白い顔があった。両手をガラスにぴたりとつけ、こちらを覗き込んでいる女。子供心に「きれいな人だ」と思った。だが今振り返れば、その整いすぎた顔には不自然さがあった。左右があまりに対称で、血の気のない肌に赤黒い唇だけが浮き上がっていた。
「ねえ、開けて? お母さんは病院に行っちゃったから、お姉さんと一緒に行こうよ」
熱にうなされながら、その言葉を信じそうになった。ひとりで残された心細さから、この人に連れて行ってもらえば楽になるのではと考えたのだ。ドアの取っ手に手を伸ばした瞬間、強烈な恐怖が胸を突き上げた。理由は分からない。ただ「開けてはいけない」と体が叫んでいた。
女の顔を見直すと、さっきまでの安らぎは消え、ぞっとするような冷たい恐怖だけが残っていた。首を振り、開けないと伝えると、女の顔が歪んだ。中心に引きつるように、ぎゅうっと寄っていった。
「あぁ~~~けぇ~~~てぇ~~~~~」
次の声は女のものではなかった。男の低い声が腹の底から絞り出されるように響いた。熱に浮かされていた頭が、一瞬で冷めるような恐怖。自分は毛布を頭からかぶり、座席と座席の間に潜り込んだ。心臓の音が耳の奥で爆発していた。
女は車の周囲を走り回りながら叫び続けた。
「うーーーーーっ」
「ううーーーーーーーーー」
「あけてえ~~~~~~っ」
その声は女のものだったり、男のものだったり、不気味に揺れ動いていた。不思議なことに、外から勝手にドアを開けることはできないようで、ただ車の周囲をぐるぐる回っては叫ぶだけだった。
どれほどの時間が経ったのか分からない。ふいにドアが開いた。幼心に「ついに入ってきた」と思い、絶望の中で目をつぶった。
「どこで寝とるの、病院まで歩かないかんよ。ほら、立って」
母の声だった。毛布をめくり、顔を覗き込んでいたのは確かに母だった。震える足で車を降り、病院に向かった。
診察を受け、帰り道で母にあの女のことを話した。母は本気で驚き、「人さらいだろう」と言った。その時は自分もそう思おうとした。だが年月を経て思い返すたびに、あの整いすぎた顔、男の声に変わった瞬間の恐怖は、人間の仕業とは思えなかった。
母の車は当時、内側からでなければ開かない構造だった。つまり、あの女が外からドアを開けることはできなかったはずだ。けれど現にドアは開いた。母が戻った時だけ。
中学、高校と大きくなるにつれ、あの出来事はただの熱に浮かされた幻覚だったのではないかとも思った。けれど、暗い駐車場であれほど鮮明に顔が見えたこと、男の声を耳で確かに聞いたことを思い出すと、やはり現実だった気がしてならない。
後年、法事の席で怪談好きの叔父に話したところ、「それは死神だ」と真顔で言われた。六歳の誕生日、四〇度を超える熱にうなされていた自分を、連れに来たのだと。あまりに軽い調子で言うものだから拍子抜けしたが、心のどこかで納得してしまった自分もいた。
結局、あの時の病名はおたふく風邪だった。だが、あの女の顔、声、歪んだ表情は、今も脳裏に焼きついている。誕生日のたびに思い出す。あれは本当に人だったのか、それとも、人であってはならないものだったのか。答えは、今も出せないままでいる。
(了)