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中編 r+ 民俗

戻したもの rw+4,970-0405

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小学校の低学年の夏だったと思う。

子供の頃の記憶はわりとはっきり残っているのに、その夏だけは妙に靄がかかっている。夢だったのかもしれないし、本当にあったことなのかもしれない。ただ、思い出そうとすると、匂いと手触りだけが先に戻ってくる。畳の湿り気と、古い木の乾いた肌触りと、甘く苦い香の匂いだ。

その年の夏休み、病弱だった姉は療養施設に入っていて、母は付き添いで家を空けていた。自分は母方の実家に預けられた。祖父母の家は山のふもとにあって、畑と神社と小川に囲まれていた。遊ぶ場所には困らなかったが、知らない大人に連れて行かれることを、あの頃の自分は怖がらなかった。

祖父母の家に来ていた親戚だという夫婦に、「泊まりにおいで」と誘われた。四十代くらいの、おとなしい感じの二人だったと思う。自分は何も考えずについて行った。

その家は、さらに山を二つ越えた先にあった。途中に大きなダムが見えたことだけは、今でも妙にはっきりしている。わらぶき屋根の家が数軒固まった、小さな集落だった。あとになって地図を見ても、その場所だけはどうしても見つからなかった。

夫婦の家には子供がいなかった。その代わり、敷地の奥に小さな離れがあり、そこに《きっくいさん》と呼ばれる年寄りの女がいた。

喜久井だったのか、菊井だったのかは分からない。土地の訛りで、みんなそう呼んでいた。目が見えないと聞いたのに、その人は何をするにも手つきが妙に正確だった。離れの部屋には、市松人形や手毬や木馬や、古い小箪笥が並んでいて、自分はそこが好きになった。

夫婦は昼間ほとんど山や畑に出ていたから、自分は毎日その離れに入りびたりになった。《きっくいさん》は話がうまく、昔話や土地の言い伝えを次々聞かせてくれた。目が見えないはずなのに、自分がどこで笑って、どこで怖がっているのか、ちゃんと分かっているみたいだった。

部屋の床の間には、小さな唐木の箪笥がいくつも並んでいた。どれも仕掛けがあって、押したり引いたり、細い棒で突いたりすると、思わぬところが開く。《きっくいさん》はそれを《やっかい箪笥》と呼んだ。

開いた引き出しの奥からは、ふわりと香がした。中には小さな香袋が入っていた。ヨモギのような青い匂いに、乾いた茶葉みたいな渋さと、甘い皮の匂いが混じっていた。気に入って何度も開けて遊んでいると、《きっくいさん》は怒らず、むしろ「よう見つけるねえ」と笑っていた。

そのことを夕飯の席で夫婦に話した。

二人は顔を見合わせたあと、急に黙った。さっきまで笑っていたのに、空気だけが冷えたのを覚えている。やがて男の方が低い声で、「あれは子供の遊ぶもんじゃなか」と言った。女の方は箸を置いたまま、自分の手元ではなく、離れの方を見ていた。

そのとき、《きっくいさん》が座敷の外から、「中身はもう無いから、大丈夫」と言った。

声だけで、いつからそこにいたのか分からなかった。

男は「余計なことを」と言いかけて、そこで口をつぐんだ。誰もこちらを見なかった。自分だけが、昼間たしかに引き出しの中に香袋が入っていたことを知っていた。

その夜、自分は離れで《きっくいさん》と二人きりになった。

蝉の声が遠くなって、山の音だけが残る時間だった。《きっくいさん》は箪笥を撫でながら、「やっかい箪笥の話、してあげようか」と言った。

むかし、このあたりに、山から来るものがおったという。
来るたび、人が一人ずついなくなったという。
いなくなった者は、みな夢に出てきて、狭いところから出られないと泣いたという。

そこまで話すと、《きっくいさん》は少し黙った。

「隠れれば助かると思うんよ。怖いと、みんなそうするけんね」

そう言って、指先で箪笥の表面をとんとんと叩いた。

「あんまり長う入っとると、出る時が分からんようになる」

そのあとのことが、思い出せない。

泣いたのかもしれない。眠ったのかもしれない。離れの戸を叩く音がした気もするし、誰かに名前を呼ばれた気もする。ただ、翌朝にはもう《やっかい箪笥》に触らなくなっていた。どうしてやめたのか、その理由だけが抜け落ちている。

帰る日、《きっくいさん》は小さな香袋を一つ、自分の手に載せた。

「持って帰り。匂いが薄うなったら、開けたらいかんよ」

そう言われたのに、自分はその香袋を握ったまま、祖父母の家に戻った。

そこから先の記憶も、ところどころ曖昧だ。祖父母にその家のことを話した気もするが、どんな顔をされたのか覚えていない。母に話したかどうかも思い出せない。ただ、しばらくしてその香袋を捨てたことだけは覚えている。怖くなって、自分で庭の隅に埋めた。

中学生の頃、祖母に《きっくいさん》のことを聞いたことがある。

祖母は少し考えてから、「拝み屋みたいなもんだったよ」と言った。失せ物を探したり、帰れんものを帰したりするのが上手かった、と。親戚夫婦のことを聞くと、祖母は知らないような顔をした。名前を言えば思い出すかと思ったが、そもそも自分は名前を一つも覚えていなかった。

数年前、その近くの名勝に恋人と出かけた帰り、急に思い立ってダムの方へ車を走らせた。あの道だと思った山道の途中で、土砂崩れの跡に突き当たった。県の立て看板に通行止とあった。そこから先は、木が生い茂って、道がまだ続いているのかどうかも分からなかった。

帰宅してから、なぜか衣装箱を開けた。

探し物があったわけでもないのに、いちばん下の古い着物の間から、小さな香袋が一つ出てきた。

見た瞬間、それが何か分かった。自分で捨てたはずのものだった。

袋の口はほどけかけていて、畳の上に細かい粉がこぼれた。香の匂いが、あの離れの湿った空気ごと戻ってきた。その匂いを嗅いだ途端、思い出しかけていたことが、またひとつ抜け落ちた。

親戚夫婦の顔が曖昧になる。
集落の家並みが数えられなくなる。
《きっくいさん》が最後に何を言ったのか、それだけがどうしても思い出せない。

ただ、あの人が香袋を渡したとき、自分の手を包むようにして、もう片方の手で軽く押さえた感触だけが残っている。

何かを持たせたのではなく、何かを戻したような手つきだった。

それから衣装箱は閉めたままにしている。香袋も、そのまま中に戻した。捨てに行こうと思ったことは何度もある。けれど場所を思い浮かべるたびに、あの離れの箪笥が先に浮かぶ。

自分があそこで何を開けたのか。
何がまだ出ていないのか。
それを思い出しかけるたび、匂いだけが強くなる。

だから今では、思い出せないままでいるほうがましなのだと思っている。

それでも、ときどき夢の中で、細い指が箪笥を叩く音がする。

開けておやり。
まだ、中におるけん。

[きっくいさん~出典:234 :コピペ:2005/09/28(水) 14:28:27 ID:udPQkEE50/133 :本当にあった怖い名無し:2005/09/27(火) 05:24:01 ID:N+foadEV0]

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