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やっかい箪笥 r+4,667

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小学校の低学年の頃だったと思う。

自分でも子供の頃の記憶は割と鮮明な方なのに、その夏の記憶だけは、どうも靄がかかっていて曖昧だ。夢だったのか、現実だったのか、確かめようがない。けれど、ひとつひとつ手繰り寄せるように思い出すと、匂いや、手触りまではっきりとよみがえることもある。だから、たぶん本当にあったことなのだと思っている。

その年の夏休み、病弱だった姉は、虚弱児のための療養施設に通っていて、母も一緒にそこへつき添っていた。元気盛りの自分は、母方の実家に預けられていた。
田舎の祖父母の家は、山のふもとにぽつんとあり、畑と神社と小川に囲まれた静かな土地だった。都会育ちの子にとっては、楽園のような場所だった。

ある日、祖父母の家に来ていたという親戚の夫婦に声をかけられた。
四十代くらいの男女で、母や父より少し年上に見えた。「泊まりにおいで」と言われ、人見知りしない性分の自分は、特に迷いもなくついて行った。

そこからさらに山をふたつ越えた先に、その人たちの家はあった。わらぶき屋根が三、四軒並ぶだけの、小さな集落だった。途中にダムがあったことだけは、妙にはっきり覚えている。どこだったか地図で辿れる気がしたが、何度見ても見つからなかった。

その家には子どもがいなかった。けれど、敷地の奥まったところに「離れ」があって、そこには「きっくいさん」と呼ばれる、ずいぶん年老いたおばあさんが住んでいた。
喜久井か菊井か、そのあたりだと思うが、地元の訛りのせいでどっちなのかはわからない。《きっくいさん》とだけ覚えている。

目が見えないらしかった。でもその動作はとても正確で、なんでも手探りでこなしていた。
離れの部屋には、不思議なものがたくさんあった。市松人形、手毬、木馬、古びた小箪笥……。子どもにはたまらない宝の山だった。親戚の夫婦は「遊んできな」と言っておいて、日中はほとんど山や畑に出ていたから、自分はその部屋で《きっくいさん》とほとんどの時間を過ごした。

《きっくいさん》は、昔話の名人だった。狸に騙されて川に浸かって風邪をひいた男の話とか、この辺にある岩の名所にまつわる言い伝えとか……笑える話も多くて、目が見えないとは思えないほど、こちらの顔色を読むのがうまかった。

なかでも一番印象に残っているのは、「やっかい箪笥」という小さな唐木箪笥だった。
床の間にずらりと五、六個ほど並んでいて、ひとつひとつに仕掛けがあった。引っ張ったり、押したり、棒で突いたりすると、パカッと引き出しが開く。中からはふわりと香の匂いが漂って、そこには香袋が入っていた。

香袋にはヨモギやシナモン、乾いた茶葉のようなものが入っていて、とても落ち着く香りだった。何より、《きっくいさん》が目が見えないまま、それをとても手際よく作っているのが不思議で、つい見とれてしまった。

ところが、うっかりそのことを親戚の夫婦に話すと、驚いたような顔をしたかと思えば、急に顔色を変えて激怒した。

「子どもの遊ぶもんじゃなかろうが!」

それまで《きっくいさん》には丁寧な言葉遣いだったのに、その時ばかりは怒鳴り声だった。《きっくいさん》は落ち着いた声で「中身は無いから大丈夫」と言ったが、自分は引き出しに入っていた香袋をちゃんと覚えていた。

怖くなって、それ以上は言えなかった。

その夜、《きっくいさん》は「やっかい箪笥の話、してあげようか」とぽつりと話しはじめた。

むかしむかし、このあたりに東の山から鬼がやってきて、村の女子供を次々と食った。食われた者の魂は、怖さのあまりこの小箪笥に逃げ込んだ。だから、体は食われても、魂は残った。

ある日、一人の妊婦が鬼に狙われた。だけど、その妊婦は賢くて、とんちで鬼を騙し、なんと鬼を食べてしまった。自分とお腹の子を守るため、必死だったのだという。

その妊婦は村中から讃えられた。でも、箪笥の中に入った魂たちは、鬼がいなくなったことが分からず、箪笥の中に篭ったままだった。成仏できなかった魂たちは、夜な夜な家族や親戚の夢に現れては「ここから出られない」と泣き続け、村人は困り果てた……

そこまで話して、《きっくいさん》は急に黙った。

続きを聞こうとしたけれど、なぜかそれ以上は思い出せない。あの夜、自分が泣いてしまったのか、叫んでしまったのか……記憶が急に暗転している。けれど、あの夜を境に、「やっかい箪笥」で遊ぶことはやめた。

親戚の家を出る日、《きっくいさん》が「またおいでね」と小さな香袋を一つ、手渡してくれた。けれど受け取るのが怖くて、そっと床に置いた。

あの人たちの名前はもう思い出せない。母に聞いても、そんな親戚は知らないという。祖父母の葬式にも、その夫婦は来ていなかった。

中学生の頃、祖母に《きっくいさん》のことを尋ねたことがある。「あの人は、拝み屋だったよ」と笑っていた。失せ物を探すのが上手だった、と。

数年前のこと、恋人とその辺りの名勝にドライブに行った。懐かしくなって、車をダムの方へ走らせたが、山道は途中で土砂崩れに遭っており、県の立て看板が立っていた。「通行止」。

あの集落は、もうないのかもしれない。いや、もともとなかったのかもしれない。

家に帰ってから、ふと、古い衣装箱を開けた。そこに、一度捨てたはずの小さな香袋が、ひとつだけ入っていた。

袋の口はほどけかけていて、中から細かい粉のようなものが、にじみ出ていた。畳の上に落ちたそれが、まるで小さな手の跡のように見えた。

思い出したはずの記憶が、またひとつ、曖昧になった。

……けれど、あの匂いだけは、今でも、忘れられない。

(了)

[出典:2005/09/27(火) 05:24:01]

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