これは、あるドキュメンタリー番組で語られた実話をもとにした話だ。記憶の中に薄れていたその出来事をもう一度蘇らせてみようと思う。
南米の密林。巨大な緑のカーテンのように広がるジャングルの奥地に、ある小さな部族が暮らしていた。外界との接触をほとんど持たず、静かに、独自の文化と習慣を守り続けていたその部族は、森の精霊に祈りを捧げ、自然と共生する生活を何世代にもわたり続けてきたという。
その部族を取材しようと、あるテレビクルーが現地を訪れたのは数十年前のこと。彼らは日本から派遣されたドキュメンタリー班で、部族の文化や習慣を映像に収めるための旅だった。部族の首長はテレビ班に驚くほど友好的で、取材陣を歓迎するために伝統的な踊りを披露し、村全体で祝いの儀式を行ったという。鮮やかな染料で装飾された衣装、木の太鼓のリズム、どこか哀愁を帯びた詠唱がジャングルに響き渡る中、取材班も村人たちの生活に溶け込んでいった。
取材班は村で三日間を過ごし、その間、撮影だけでなく、村人たちと食事を共にしたり、狩りや農作業を手伝ったりと積極的に交流を深めていった。部族の子どもたちは日本から持ち込まれたカメラや機材に興味津々で、それを触りながら笑顔を浮かべていたという。
三日目、予定通りの撮影を終えた取材班は村を後にした。首長や村人たちが集落の外れまで彼らを見送り、手を振る姿が印象的だったと、取材に参加していたスタッフは後に語っている。
数週間後、日本に戻った取材班のもとにブラジル政府から連絡が入った。驚愕の内容だった。取材先の部族が、壊滅状態に陥っているというのだ。
原因は麻疹、あるいはおたふく風邪のような日本ではありふれた感染症だった。密林の奥深くで孤立した生活を送ってきた彼らには、外部の病原菌に対する抗体が一切なかった。感染は瞬く間に村全体に広がり、老若男女を問わず次々に命を落としていったという。
取材班の中に軽度の感染者がいたらしい。症状がほとんど現れなかったため、本人も周囲も気づかないまま村に病原菌を持ち込んでしまったのだ。しかし、それがどれほど壊滅的な結果を招くか、誰も想像することはできなかった。
取材班が再び現地を訪れた時には、既に村は廃墟と化していた。荒れ果てた集落に人の気配はなく、かつての賑やかな村は静寂に包まれていた。耳に届くのは風が草木を揺らす音と、時折響く鳥の声だけだったという。
生き残っていたのはわずか数人の女性と子どもだけだった。ブラジル政府によって保護された彼らは、森の外の施設で衰弱した体を休めていたが、深い怯えを隠すことはできなかった。
取材班は生き残った女性の一人に話を聞くことができた。彼女は異国の言葉を話す彼らを見て震えながらこう言った。
「首長があの人たちを歓迎したせいで、森の精霊が怒ったのです。精霊は、村のすべてを奪ってしまいました」
その言葉は恐怖と罪悪感に満ちていた。彼女は取材班が感染症を持ち込んだことなど知る由もなく、すべてを「森の精霊の怒り」のせいだと信じていた。
取材班は胸を痛めた。誰も悪意を持ってこの悲劇を引き起こしたわけではない。だが、結果として彼らの訪問が部族にとっての破滅を招いてしまったのは紛れもない事実だった。
その後、取材された映像は放送されることなく、フィルムのまま保管されたという。森に消えた部族の物語が多くの人々に知られることはなかった。
取材班の一人が語る。「あの村で見た子どもたちの笑顔が、今でも夢に出てくるんです」と。あの時、もし訪問しなければ――そう思っても後悔は遅い。ジャングルの奥で消えた命たちは、二度と戻らない。
(了)
[出典:767 :本当にあった怖い名無し:2016/09/04(日) 05:04:32.46 ID:mV4nTAP80.net]