中二の夏だった。
そのとき俺は、ちょっとした徳島の田舎の学校に通っていた。
この時期といえば、中学校生活でも一番ヒマな時期だった。
クラブは一応柔道をしてたんだけど、部員が全員中二で、部員は五人しかいなかった。
その上顧問もかなりいいかげんで、夏休みなんて初めの五日ぐらい簡単な練習して、残り一ヶ月強は丸々ヒマになった。
そこで、俺と、特に仲のいい大山と渡会の三人で、四国をママチャリで回ろうということになった。
夏休みの最後ののクラブ練習を午前中に終えた俺らは、うちの親の車に積んであった四国の地図を持ち出して見ながら、近くの神社でアイスを食べつつ、だべりながら行き先を決めていた。
どうせなら夏休み明けにみんなに自慢できるところがいい。
いろいろな案が出たが、大山が提案した、《吉野川を上って祖谷にたどり着く》といったものだった。
祖谷(いや)っていうのは徳島の西端にある地方の総称で、日本でも屈指の秘境だ。
他に室戸岬や高松へ行くといった案もあったが、《秘境》という言葉に惹かれた俺らは大体一週間の予定で出発の準備を進めた。
出発当日
朝六時に中学校の正門で待ち合わせた俺らは、半日ほどかけて吉野川に出た。
早ければ二時間もかからなさそうな距離だが、なんせ弱小柔道部だったから。
さらに、休憩も二十分おきぐらいにしたし、カキ氷屋や駄菓子屋を見つけては立ち止まってたから無理もなかった。
出た場所は吉野川中流域で、道もあまり広くなく、その当時はあまり走りやすくはなかった。すぐにヒグラシの音があたりを包み始めた。
もう夜も近い。
「そろそろ寝場所探さなアカンな。もう疲れたわ」
しばらく走ったが眠れそうな場所もない。
俺らはテントも寝袋も持ってなかった上に、空の具合も悪かったため、なるべくベンチと屋根がそろった寝床を探すことが必要だった。
しかし、あたりにはひなびた田園と薄暗く曇った空を映し出した川面以外ない。
仕方なく俺たちは夕闇迫る一本道をひたすら進んだ。
いつしか吉野川は姿を消し、あたりは徐々に緑深くなっていった。
小心者の渡会が
「戻ってどっかの民家に止めてもらったほうがいいって」
といっていたが、俺と大山はせっかく進んだ道を引き返すのはもったいないと反対し、さらに道を進んだ。
やがて道は突き当たりへと差し掛かった。
この道は途中から山道になったため坂で体力を消耗し、時間を食ってしまった。
そのせいであたりはすっかり暗くなってしまい、渡会が持参していた懐中電灯の明かり以外何もなくなった。
さらに悪いことに、小雨まで振り出してきていた。
髪をぬらしながら、俺たちは突き当りをどっちに進むか話し合った。
左は荒れてはいるもののアスファルトの道が続いている。
でもその先に明かりは見えない。
右は急にオフロードに変わってはいるが、うっそうとした木々の間のさらに向こうに明かりが灯っている。
電灯の明かりなのか、民家の明かりなのか区別もつかない。
だけど、とにかく行ってみようということで(当然渡会は猛反対だったが)荒れた、幅一メートルと少しばかりの道を自転車を押しながら無言でひたすら進んだ。
大体八時過ぎのことだっただろう。
それから三十分以上が経つと、いよいよ道は獣道に差し掛かってきた。
変な虫はたくさん飛び回ってるし、ずっとクモの巣を掻き分けながら進んでいた。
この道は右手すぐには急な山林が広がっていて、左手には崖があり、そのすぐ下にせせらぎが流れているようだった。
とにかく暗くて、最悪の経験だった。
しかし、さっきまでは遠くに見えていた光もかなり近づいたように思える。
まさに、希望の光そのものであった。
ようやく光の正体が明らかになった。
それはただの電灯で、渡会はそのショックのあまり泣き出してしまった。
責任感の強い大山は、その横で必死にあたりを散策していた。
俺は渡会を勇気付けていると、大山の声が遠くでした。
「おーい!ボロ屋があるぞ!」
ひとつ峠を越えたので、あたりは山々に包まれ、闇のその中にぽつんと汚い道の脇に電灯の光が放り出されている形だった。
雨はしつこく降り続いている。
空気が生ぬるい。
「何でこんなところに電灯なんて……」
と思いつつ、俺と渡会は、大山の声のするほうへ道を外れて草を分け入りつつ向かった。
どうやら昔は草などはなく、道があったようだ。
明らかに周りと草の感じが違う。すぐに、奥に大山と不気味に暗く浮かび上がる民家のようなものが現れた。
木造だったので状態はかなり痛んではいたものの、わりと造りは立派だった。
雨をしのぐ場所がきっとあると思い、少し恐怖感はあったものの、ほっと俺たちが肩をなでおろした瞬間だった。
懐中電灯をもってあたりを照らしていた渡会の手が止まった。
ちょうど、大山が前方に、民家の前に立っていたのだが、その大山のいる奥のほうを照らしている。
俺は渡会に付き添っていたので渡会の照らしているところを見た。
そこは民家の離れのような場所だった。
じっと離れを照らしたまま動かない。
「どうしたんや?もっとまわり照らせや」
俺がそういうと、渡会は再び泣き出してその場から逃げ出そうとした。
俺と大山は渡会をなだめ、しばらくしたところで事情を聞いた。
「あそこに……女の子がずっとおる……」
はあ?
はじめはそう思った。
渡会はその後もダダをこね「帰る」と言い出すも、この天気じゃどうしようもないし、帰るんならここで一夜を過ごさないと仕方ないと説得し、何とか落ち着かせて、民家へ近づいた。
裏手は高く崖がせり出していて、両脇はうっそうとした森だった。
屋根はかなり穴があいていたが、屋根もあるし、床も抜けていない部屋がひとつだけあった。
柱はかなり痛んでおり、ふすまや玄関などは完全に消失していたので、外の様子は常に確認できる。渡会はずっと離れのほうを気にしているようだった。
「まだおる……ずっとこっちみてる……」
さすがに気味が悪くなった俺らだったが疲れていることもあったので、眠いという気持ちが先行していた。
大山の時計はすでに十一時を回っていた。
俺たちは汚れた木床に横になり、数分もすると俺は意識を失っていた。
ふと目がさめた。
多分俺が寝て三時間以上はたっていたと思う。
大山と渡会は熟睡していて、渡会はいびきまでかいていた。
あんなに怖がっていたのに、よほど疲れていたんだろう。
尿意を催していた俺は、庭と思しき場所へ出た。すでに雨は上がっていて、流れる雲の間から月が見え隠れしていた。
少しそれの光景に見とれたあと、俺は離れらしい場所まで行って、その脇の森の木で用を足そうとして森のほうを見た。
俺は声を失った。
黄色い光が三つばかりフラフラと、まるで先ほど見た月のように、木々の間をちらほらと縫っていた。
気づくと、俺は生まれて初めて動けなくなっていた。
誰かがおぶさってる……
何かが俺の胸に触れた。
後ろから子供の手らしいものが前に回りこんできたのだ。
そのなにかは耳元でこういった気がした。
「出て行って……」
今でもはっきり覚えてる。
かすれた、少女の声だった。どうやら俺たちはあしを踏み入れてはいけない場所に来てしまったらしい。
俺が、「分かりました、ごめんなさい」と念じると、重かった空気が解けた気がして、ようやく自由になった。
そして、すぐに雨が降り出してきたので、俺は急いで部屋に戻った。
今までよりもすごい勢いの雨である。
そんな中ここを出て行くのも気が引けるが、俺は部屋にいた大山と渡会に事情を話し、逃げることを促した。
「このままじゃ呪い殺されるぞ!」
さすがにみんな怖くなったようで、大雨の中カッパを着込んで外に逃げ出した。
凄まじい雨で雷もなっていた。
そんな中、俺たちが自転車のある外の道へと戻ろうとしたその瞬間である。
低く凄まじい音が俺たちの後ろから鳴り響いた。
なんだ!?と俺たちが後ろを振り返ると、50cmぐらいの岩が次々と裏手の崖から落ちてきたかと思うと、次には大量の土砂が家に覆い被さったではないか。
バキバキと音を立てて家は壊れ、やがて全体を飲み込もうとしていた。
「逃げろ!」
みんな、全速力で逃げた。
凄まじい崖崩れで、俺も小さな石が頭にあたって血が出たし、大山も足を何かで切っていた。
でもずっとあの部屋にいたら……今ごろこれ程度じゃすまなかっただろう。
唖然としながら大雨の中、自転車のそばでへたり込んでいた。
雨は、ようやく訪れた夜明けと同時に止んで、東からは見事な朝日が昇ったのを覚えてる。
「昨日の女の子、いい奴だったんやなあ……」
朝になって、付近を走っていると地元の人にあったんで、話を聞いた。
どうやらこの地域は地盤がとてもゆるくて、崖崩れなんてしょっちゅうらしい。
あと、女の子の話もしたんやけど、なんかこの地方には昔から良い精霊がいて、それじゃないかということだった。
今思い出してもゾッとする。
あのとき、あの少女に会っていなければ俺たちは……って思うとね。
その後はおかげで無事祖谷を観光して帰路に着くことができました。
まあ、この途中にもニ、三不思議なことはあったんやけどね。
さすが四国って感じ!
(了)