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東山動物園のゴリラショウ【ゆっくり朗読】3900

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昔テレビで観た、東山動物園のゴリラショーの飼育員の話。

昭和34年(1959年)、東山動物園にゴリラの赤ちゃんがやってきた。

担当の飼育員は親代わりとしてゴリラを世話し、四六時中一緒に過ごした。

ゴリラはプライドの高い動物で、芸を仕込むのは無理だと思われていたが、飼育員の献身的な努力の結果ついに芸を仕込むことに成功し、世界初のゴリラショーは人気を博した。

そんなある日、今まで飼育員に従っていたゴリラのうち一匹が、飼育員を突き飛ばし大怪我を負わせた。

赤ちゃんの頃と違い、成長して体重100キロを超えたゴリラには人間の力では対抗できなくなっていた。

この瞬間、ゴリラ達の間でこれまで『ボス』としていた飼育員との立場が逆転し、ゴリラは飼育員の言うことを聞かなくなり、ショーを続けることができなくなった。

野生の本能だから仕方ないとはいえ、飼育員さんは何年も愛情込めて世話していたゴリラに、裏切られた気持ちにならなかっただろうかとか、飼育員さんを信頼して言うことを聞いているように見えたゴリラが、虎視眈々とボスの座を奪うチャンスを窺っていたのかな、とか考えると悲しかった。

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1427669698/]

ゴリラショウに関する資料

『東山動物園公認ガイドブック』の「東山動物園の主な歴史」のページには、

「昭和34年にアフリカからゴリラ三頭が来園。後にゴリラショーが人気を集める」とある。

また、『東山動物園日記』P16~18に は当時の記録がまとめられている。

来園から半年後にインフルエンザにかかったゴリラたち。飼育員の 浅井力三さんは何とか薬を飲ませようと訓練した。ゴリラの芸はここから始まったといえるのだそうだ。

ゴリラを育て長生きさせるために、規則正しい日常生活を習慣づけようとしての訓練で、飼育者への 信頼と服従をしっかり覚えこませるためだったのだ。

浅井さんは、「芸はおまけみたいなものだった」と 回想している。

『ゴリラを育てる』には、当時のカラー写真もあり、昭和34年9月から42年1月までの飼育日誌から抜粋した「成長の記録」の記載もある。

昭和34年、東山動物園にアフリカからやってきた三頭のゴリラ、「ゴン太」「オキ」「プッピー」は、ショ ーをしていた。ラッパを吹いたり、モンキーダンスをしたり18種類の芸を覚えたそうだ。

来園した時は1 ~2歳だったゴリラも大きくなるにつれ乱暴になり、昭和43年6月にショーは中止となった。

平成22年12月30日に、「オキ」は老衰のため53歳で亡くなった。

(了)

 

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