「教皇が教皇を裁判にかけた。しかも一方は死体である」今回はそんなウソのような事件、死体裁判について解説します。
9世紀末に開かれた珍しい裁判。裁判の被告は、死後9ヶ月経った第111代ローマ教皇フォルモススの死体で、この異例の裁判は「死体裁判」と呼ばれています。
フォルモススは生前、様々な権力争いや政治的な動きに関わり、多くの敵を作りました。彼の死後、ステファヌスという教皇がフォルモススの死体を掘り起こし、公開裁判にかけました。
この裁判では、フォルモススの死体に教皇服を着せ、弁護人まで付けられたが、無論、死体が答弁することはできず、有罪とされました。その後、フォルモススの名誉は回復され、ステファヌスは民衆の反感を買い、最終的に殺されました。この話は、教皇の地位を巡る複雑な権力闘争と政教分離の欠如を示しています。
フォルモススの死後、次の教皇が就任するもわずか15日で死去し、その後任としてステファヌスが教皇に選ばれました。
ステファヌスはフォルモススに対して恨みを抱いており、ランベルトという人物の影響も受けて、フォルモススを教会法違反で起訴しました。フォルモススの死体を掘り起こし、公開裁判にかけたことで、彼の過去の行為はすべて否定され、教皇服を剥奪されました。
さらには、フォルモススの死体を再度掘り起こしてテヴェレ川に投げ込むなど、ステファヌスロの行動はエスカレートしました。これによりローマ市民の間でステファヌスロに対する反感が高まり、最終的には彼は退位させられ、投獄されて殺されました。
フォルモススの死体は後に回収され、サンピエトロ大聖堂に埋葬され、彼の名誉は回復されました。この話は、教皇という地位がどれほど政治的なものであったか、また宗教と権力の複雑な絡み合いを示しています。