知り合いの話。
単独で山を縦走していた、ある夜のこと。
テントの外、焚き火の側で煙草を吸っていると、誰かが声を掛けてきた。
「済まないが、煙草を一本分けてくれないか?」
見れば、坊主頭で作業服姿の男性が一人、こちらへと近づいてくる。
「いいですよ」と懐から箱を取り出し、一本抜いて分けてやる。
中年に見える男性はしきりに恐縮しながら、美味しそうに煙を吹き上げた。
やがて礼を述べると、男は闇の中へ戻って行った。
「こんな夜中に、何処から来たんだろ?」
気にはなったが考えてもわからず、そのまま寝ることにした。
翌朝目覚めると、荷物の中から煙草が失くなっていた。
それも、彼が昨晩男に見せた箱の中の煙草だけ。
半分以上は残っていた筈なのに。
他に仕舞っていた煙草は無事だったので、やはりあの坊主頭が犯人に思えた。
しかし、どうやって盗ったのかがわからない。
そんな暇は与えてないのだが。
山を下りて、麓の軽食屋で昼食を食べている時、この体験を愚痴ってみた。
すると店の小母さんが、奇妙なことを口にし始める。
あの中年男は人ではないというのだ。
「ここいら辺の山にはね、煙管坊って物の怪が住んでいるんだ。まぁ正体は狐だって言われてるけどね。煙草が大好きで、里に下りてくるようになったのも、それが原因だとか。夜中にやって来ては、樵や炭焼きに煙草をねだるんだとサ。声掛けられた時に実はもう化かされていて、既に何本か抜かれてるんだって」
「ちぇっ、分けてやるんじゃなかったな」
そうボヤくと、「いや、分けてやらなかった場合は、これが根こそぎ持って行くってサ。ちゃんと分けてやったから、それだけで済んだんだと思うよ」
「物の怪のくせに、煙草の煙が好きなんて、非常識だよな」
彼は何度もそうボヤきながら、私にこの話を聞かせてくれた。
(了)