都内の大学で心理学を専攻する二年生の田中翔太。
昼は講義やゼミに勤しみ、夜は駅前のコンビニで深夜アルバイトをしていた。病気で父を失い、高校生の妹と母との三人暮らし。家計を支えるためのアルバイトだったが、深夜帯の静けさはレポート作成や勉強の時間にもなり、一石二鳥だと考えていた。
そのコンビニで一緒に働いていた山田誠は35歳。かつて大手広告代理店で働いていたが、過労で体を壊し、ここで第二の人生を歩んでいた。明るく社交的な性格は、同僚からも客からも好かれ、店の雰囲気を和らげていた。山田は翔太にとって、職場の仲間であると同時に人生の良き相談相手でもあった。
「若いうちは挑戦するべきだ。人生は一度きりだからな」。山田は折に触れてそう口にした。そこには、自身の後悔と翔太への期待が込められているようだった。
平穏だった日常は、ある金曜の深夜に現れた老人によって崩れ始めた。背中を丸め、黒いコートに身を包み、深く帽子を被ったその姿は、薄暗い店内に異様な存在感を放っていた。毎週、夜11時50分になると決まって現れるその老人。購入するものはいつも同じ、缶詰、ビニール紐、虫除けスプレー、そして小さなぬいぐるみ。その奇妙な組み合わせに翔太は漠然とした不安を感じていた。
特に、ぬいぐるみを手に取る際の震える手と、沈んだ目に浮かぶ深い悲しみ。その表情は、心理学を学ぶ翔太の心を刺すようだった。
「老人には何か事情があるんじゃないか?」と山田が言ったのは、ある静かな夜だった。
「そうかもしれません。でも、個人の事情に踏み込むのは良くないですよ」
「そうだな」と一旦は納得した山田だったが、やがて老人への興味を抑えられなくなっていった。そして数日後、山田はひどく疲れた表情で呟いた。「彼、20年前の一家心中事件の生き残りらしい」
山田の調査によれば、老人は家族全員を失い、一人だけ生き残ったという。事件現場には不気味なシンボルが描かれており、噂ではそれが呪術的な儀式に関連しているとも囁かれていた。
「彼は家族を失った悲しみから、何か禁忌の儀式に手を染めているのかもしれない」そう言う山田の目には、どこか焦りと恐れが浮かんでいた。
山田は次第にその執着に取り込まれていった。コンビニの仕事中も古い新聞記事や怪しげな情報を探し回り、やつれた顔には濃い隈が刻まれていった。
ある金曜の夜。いつものように老人が現れたその瞬間、山田は一歩前に進み、低い声で話しかけた。「お困りのことがあれば、教えてください」
老人は無言で山田を見つめた。その目には深い闇と、底知れぬ哀しみが渦巻いていた。「あなたには関係ない」と短く言い残し、店を後にした。
翌朝、山田の退職が告げられた。理由を問うと、「やるべきことがある」と言うだけで、それ以上の説明はなかった。心配になった翔太が後日彼の部屋を訪ねると、荒れ果てた室内には一冊のノートが残されていた。そこには、老人に関する調査とともに、震える文字でこう書かれていた。
「彼の悲しみは、俺の悲しみ。家族を取り戻すため、儀式を行うべきだ。全てを救うために」
翔太はノートの内容に寒気を覚えながらも、山田の行方を追う決意をした。そして次の金曜の深夜、店に立つことにした。
時計が11時50分を指すと、例の扉のチャイムが鳴り響く。老人が入店する。その背後には、不自然に長く伸びる影がうごめいていた。翔太は意を決して声をかけた。
「待ってください! 本当にその方法で、大切なものを取り戻せるのですか?」
老人は一瞬立ち止まり、深い溜息を吐いた。「それができるなら……私の命など惜しくない」
その瞬間、店内の光が激しく明滅し、影が生き物のように翔太に迫った。翔太は震える手で山田のノートを取り出し、そこに描かれた儀式を逆向きに解き始めた。「どうか、安らぎを与えてください!」
轟音が響き渡り、影は掻き消えた。老人はその場に崩れ落ち、微かに笑みを浮かべた。「ありがとう……これでやっと終わる」
その直後、店の扉が開き、山田が現れた。しかし、その姿は透けており、光の中に揺れていた。「ありがとう、翔太。俺はもう帰れない。でも、君がいてくれて良かった」
そう言うと、山田は光とともに消えていった。
翌日、山田が河川敷で亡くなっているのが発見された。手には老人が購入していたのと同じぬいぐるみを握りしめていたという。