ウチの家系は男が弱い。弱いというか、気の強い女と縁がある。
様々タイプはあるが(体育会系、インテリ系、商売系)、気が強いのだけは一緒。
おかんも気が強いし、親戚一同女傑揃い。男はかすがい。
ちなみに女が生まれても(めったに生まれないが)例外なく気が強い。
じめじめ影の帝王系はいなくて、カラッとしてるオトコ女系。
美人は多いがつつましさや色気はない。
ただ、法則に例外が多少あって……
祖父はおっとり系の女性と結婚したが、結婚してすぐに高熱で種がなくなり、子供はいなかった。
従兄弟もまたおっとり系の女性と結婚したが、子供を作らずに別れた。
曾祖父の嫁はおっとり系だったが、結婚後すぐに病死。後妻は女傑だった。
他にもあるが、親戚の間では、おっとり系(というか普通の人)と結婚すると子供が生まれない、という笑い話になっている。
あんまり言うと怖いから、オトコ同士でしか言わないけど。
また、四柱推命という、出生時間から八つの字を出して看る占いがあるらしいが、ウチの家系の女や嫁に来る人の中には、その八字の中に100%『丙午(文字は60通り)』が入っている。
丙午の命式例:
[1966年(昭和41年)6月16日午後12時生まれ]
[1666年(寛文6年)6月28日午後12時生まれ]
上の占い話は伯父から聞いた話なのだが、んなバカなと思い、その後、自分の彼女の八字を割り出すと、見事に『丙午』の文字が入っている。
まあ、占い関係なくて、自分も気の強い女とばかり縁がある。
ツンデレというより女傑。酒なんか一升瓶でガブガブ飲む。
曽祖父の代の女傑嫁は、マザコン夫をブン殴ってそのまま家出し、一人放浪を繰り返した挙句、面識のない曽祖父の家に転がり込んだという兵。
他にも重役とか空手とか飲み屋のおかみとか、分野は違うけど、やっぱり強いんだよなぁ。
母はまだマシな方かな。女からラブレターもらいまくりの男前。
当時担任だった親父の家に押しかけて告白。
親父は立場上、説得したがテコでも動かない。
で、結局やることをやってしまった。
生徒会長で学業優秀だったせいか、未成年だったからか、周りも親父がたぶらかしたと思ったらしく、物凄い騒ぎになったが、最終的にはおかんが校長と親に一喝して全てを解決した。
親父は、おかんの親にスコップで殴りかかられて死ぬかと思ったらしい。
参考資料:丙午生まれの迷信
丙午の年(近年では1966年、次回は2026年)は、出生率が異常に低下する。
これは、『丙年生まれの女は気性が荒く夫を殺す』という迷信の影響。
丙午年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信は、丙午の年には火災が多いという江戸時代の初期の迷信が、八百屋お七が1666年の丙午生まれだとされたことから女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる。
1966年丙午年迷信の影響の実態
この迷信は昭和になっても依然根強く、1966年の出生率は前年に比べて25%下がった。
子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなった。
一方で、日本の自治体は丙午に対する以下のような取り組みが行われた。
1965年11月に、山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけた。
同法務局によると、子どもを産む産まないで、離婚調停に至ったり、近所から嫌がらせを受けたなどの相談が多発したためである。
また、群馬県粕川村(現・前橋市粕川町)でも、村長主導で「迷信追放の村」を宣言して、同様の運動が行われている。
村役場が1906年とその前後の年に誕生した女性1400人を調査して、丙午には根拠がないことを広報するなど取り組んだ。
(了)