ネタだったらどんなによかったかという話吐き出し。※フェイクあり。
10: 本当にあった怖い名無し 11:53:10 ID:2OFw7Ibf0
五つ歳上の姉と、実父は私が生後二ヶ月の時に病気で亡くなり、私が四歳の時に母が再婚。
だが、新しい父はどういう訳か《絵を描く》という行為を異常に嫌悪しており、おえかき帳の落書き程度も許さないような人。
何故そんなに《絵を描く》という行為が嫌いだったのかは現在も不明のまま。
幼稚園や学校で描いた絵も、描いた本人(私と姉、父違いの弟と妹)にビリビリに破かせ、庭で火にくべさせる程。
漫画やのアニメ、絵本すら我が家では厳禁だった。
父は決して暴力は振るわなかったが、姉が中2の時に地域の学校の絵画コンクールで入選した時は、姉を半年間無視するという、いわゆるネグレクトに近いことをやった。
元々絵を描くのが好きだった姉に対する父の仕打ちは、姉が高校に入ってから益々酷くなる。
姉が学校の漫研で出した会誌や隠れて作った同人誌を姉の留守中に部屋に入って探し出し、姉自身に好きなキャラや作品への口汚い罵倒を書かせ、破いて燃やさせるなんてこともやった。
母は何度も父に抗議していたが、父は
「絵なんかまともな人間が扱うものじゃない。俺は子供達が真人間になるよう教育しているだけだ」と言って譲らない。
姉は美大に進学を希望していたが、当然父が許す訳がなく、母が伯父(実父の兄)に相談し、父には「極普通の大学に通う」と伝え、家を出て伯父宅から美大に通うことになった。
……が、伯母がうっかり口を滑らせ、姉が美大に通っていることが父にバレてしまった。
そしたら父は何と、役所に姉の死亡届を提出。
それが受理されたもんだから、後から大変な騒ぎになり、結局姉は美大を退学。
これが原因で姉は完全に父と決別した。
騒ぎの数年後、姉は私と弟・妹以外の家族には一切何も告げずに結婚し家を出た。
私と弟と妹は、姉の助言もあり家では父に従っていた。
この頃から少し体調を崩していた父は、かつてのように留守中に部屋へ忍び込んで根掘り葉掘り探し出して……
というようなことはしなくなっていたので、私は独立して家を出るまで隠れてひっそり同人活動をしていた。
数年前、父は末期癌と診断され、半年の闘病生活の末に亡くなった。
死亡届騒ぎ以来一切実家に顔を出さなかった姉だが、さすがに父の葬儀に出ないのは駄目だと思ったのか、十数年ぶりに家族で実家に戻ってきた。
姉は葬儀の間中ずっとハンカチで口元を押さえていて、色々あったけどやはり父親の死は悲しいんだろうなぁ、と私も弟・妹も思っていた。
葬儀も滞りなく終わり、自宅に帰る前の晩に姉に呼ばれ、姉家族のワンボックスカーに入った。
姉はニコニコしながら「フジ子ちゃんにだけいいもの見せてあげるね!」と言って、大きなダンボール箱を開いた。
中には、蝋で作った人形(ヒトガタ)が大量に入っていた。
100や200どころではなかったと思う。
しかも、その全てに無数の針が刺さっている。
姉は嬉々とした口調でこんなことを言っていた。
「これねぇ、あの時(死亡届騒ぎ)からずーっとアイツに呪いかけてたの。一日一本、アイツの顔思い浮かべながら『死ね、死ね、苦しみぬいて死ね』って念じながら刺してたの。そしたら神様は聞き届けてくださったのねぇ、やっと死んでくれたわ!! お葬式の時はもう嬉しくて嬉しくて、大笑いしたいのを必死に堪えてて大変だったけど、死体に唾吐いてやりゃ良かったって今ちょっと後悔してるわ(笑)今度はねぇ、これ(ロウのヒトガタ)を一日一体『地獄で苦しめ』って念じながら燃やすの!死んだって楽になんかさせてやらないんだから!!アタシが生きてる限りずっと呪ってやるんだから!!」
……その時の姉の顔を、私は生涯忘れることが出来ないだろう。
漫画とかで、精神がイッちゃった人の目を◎◎みたいに描いたりするけど、この時の姉は正にそういう目をしていた。
この時の姉があまりにも恐ろしくて、その後徐々に連絡の機会も減り、その後すっかり疎遠になってしまった。
やがて、弟も妹も成人。それぞれに好い人とめぐり合って結婚し、家督は弟が継いだ。
が、弟夫婦から「大姉(おおねえさん)さんが恐い」と度々連絡が来るようになった。
聞くと、ひと月に二、三度姉から電話が来るのだが、何を言っているのか全くわからないという。
一度会話を録音したものを聞かせてもらったが、確かに何を言っているのかわからない。
文法や文脈がおかしい、というものではなく、何と言うか……既に人類の言語ですらない。
「のくしーっかたかん!よまーっそっろめらつなちきしーーー!!!はのきせ~!」
みたいな、ただ単に五十音をでたらめに並べて叫んでいるだけ……といった感じ。
そして週に何度も、当時中三だった姉の長男と小五の長女から「お母さんがおかしなことを言う、恐い」という電話も来ていると。
当時義兄(姉の旦那)は単身赴任で遠方に住んでいて、子供達が母親の異変を訴えても
「またまた~(笑)パパをびっくりさせようとしてもそのテには乗らないゾッ♪」
みたいに真に受けなかったらしい。
なので、私と母から義兄に連絡、急いで駆けつけた義兄は録音された姉からの電話を聞いて漸く事態の異常さを認識。
その後、姉は“外から鍵がかかり、窓に鉄格子が嵌められた、場合によってはカメラで二十四時間監視”な病院に入院した。
その病院に辿り着くまで、義兄と伯父と母が何人もの精神科医やカウンセラーに診察・相談し、何度も大病院の精神科に入院させた。
だが、原因は一切不明で症状が改善することもなかったそうだ。
別の病院にいた頃に一度だけ姉を見舞ったことがあるが、その時の姉の目は、父の葬儀の時と同じ目をしていいた。
(了)