祖母の昔話とクモとの絆
弟は小さい頃からクモに特別な愛着を持っていた。その理由は祖母の語る昔話や妖怪の話にあった。祖母の語りはとても上手で、僕たちはその魅力に引き込まれていた。その中でも、クモは度々登場し、神秘的で重要な存在として描かれていた。僕たちにとってもクモはただの昆虫ではなく、何か特別な意味を持つ存在となった。
弟のクモに対する思いは特に強く、30歳近くになってもその姿勢は変わらなかった。女郎蜘蛛の巣を見つけると「ごめんなぁ、引っ越ししてなぁ」と優しく払い、アシダカグモが家の中に現れた時も「お疲れぃ」と声をかけるほどだった。そして、ハエトリグモに至っては、まるでペットのように可愛がっていた。
そんな弟の日常に、次第に奇妙な出来事が起こり始めた。
実家に帰省した際、弟が仕事の時間になっても起きてこないことがあった。母に言われて弟の部屋に上がると、彼の顔の上で何か黒いものが跳ねている。それはハエトリグモだった。僕が声をかけるまでもなく、弟は慌てて起きて出社した。
また、夕飯前に弟が帰ってくると飼い犬が察知して玄関に駆けていった。その犬の頭の上に、ちょこんと乗っていたのもまたハエトリグモだった。他にも、弟がテレビゲームに興じていると、その肩に同じクモが乗っていることがあった。弟が「寒い、どっか開いてない?」と振り返ると、クモは窓辺に降りていき、僕は窓が少し開いていることに気づいた。
またある日、戸棚を開けると、トイレットペーパーの上で跳ねていた。そのクモを見ていると、母が「紙が切れたから早く持ってきて」とトイレから声をかけてきた。母は五分前に誰かがいた気がしたので頼んだというが、その時僕は二階にいた。
夏場に母が生ゴミに出るコバエに困っていた時のことだ。
どんなに掃除をしてもコバエが飛び回るのは鬱陶しい。そこで、弟の筆立ての前でハエトリグモを見かけた時に、声を潜めて「コバエ、なんとかならんけ?」と話しかけてみた。返事はなかったが、翌日からコバエが綺麗に消えた。その日からハエトリグモは二匹になったが、夏が終わるとまた一匹になった。夏中コバエは見なかったのだ。
弟の28歳の誕生日の夜、僕は不思議な夢を見た。京都の四条河原町で弟と並んで歩く女性に会釈される夢だった。その女性は愛想のいい笑顔で、僕は「ああ!」と言って旧知の友のような気持ちで挨拶した。しかし、急に申し訳ない気持ちになり、「すまん、弟、離したってくれるか?」と女性に言った。すると女性は僕の手を取って深々と礼をしたところで目が覚めた。なんだか泣きそうになった。
その後、弟は三ヶ月前に知り合った女性と急に結婚することになった。
その女性は我が家にすぐに馴染み、家のどこに何があるかを直感的に知っているようだった。不思議なことに、クモにまつわる出来事はその後なくなった。しかし、結婚式の日に祖母が自分の手相を見るように手のひらを眺めていた。母も可笑しそうに祖母の手のひらを見ていた。祖母の手にはあのハエトリグモがいたのだ。
「あの子はクモに好かれるね。お祝いにまで来たよ」祖母は、礼儀のある子だよと言って、指先で撫でるようにクモに触れた。ハエトリグモはその後も家で度々見かけるが、気のせいか、なんとなく他人のような気がした。あのクモとは違う気がするのだ。
結婚後の弟とその妻は幸せに暮らしていた。
ある日、弟の妻が昔話の本を見つけた。それは祖母が僕たちに語ってくれた物語が書かれた古い本だった。妻はその本を手に取り、ふと開いたページに目をやった。そこには、昔の人々がクモを神聖視し、守護霊として敬っていたという記述があった。
その夜、妻は不思議な夢を見た。夢の中で、彼女は古代の村にいた。村人たちは大きなクモを神様として崇め、村を守ってもらうための儀式を行っていた。夢の中の彼女は、その儀式に参加し、大きなクモに対して深々と礼をしていた。
目が覚めた妻は、不思議な感覚に包まれていた。彼女はその夢の内容を弟に話した。弟もその話に驚き、祖母の昔話や自分たちの体験を思い出しながら、その意味を考えた。ふたりはクモとの関わりが自分たちの運命に深く結びついていることを感じ始めた。
そしてある日、妻がふとしたことで棚の奥にしまってあった古い箱を見つけた。その箱を開けると、中には古びた紙切れが入っていた。それは祖母が大切にしていたお守りだった。紙切れには、クモを守護霊として崇める言葉が書かれていた。
「これが祖母の秘密だったんだね」と弟は言った。「僕たちの家族はずっとクモに守られてきたんだ。」
その瞬間、ふたりの目の前に小さなハエトリグモが現れた。まるで彼らの話を聞いていたかのように、クモは軽く跳ねてから消えていった。
それ以来、弟とその妻はクモを大切にし、家族の守り神として敬うようになった。そして、クモにまつわる不思議な出来事は、彼らにとってもはや恐ろしいものではなく、家族の絆を深める大切な物語となっていった。
この物語は、僕たちの家族にとって特別な意味を持つものであり、祖母の昔話が今もなお僕たちの心に生き続けていることを教えてくれる。