小学五年のときのことを、ふと思い出す。
きっかけは、アマゾンプライムで探偵ナイトスクープの昔の回を観たからだ。四つ葉のクローバーの声が聞こえるという少女が出てきていて、妙に懐かしい感覚に襲われた。自分も似たような経験をしたことがある、と気づいたのだ。
あの年、実家の前の道路を広げることになり、庭の一部が削られることになった。母は特に気にしていなかった。境目に植えてあった花も、もとは適当に球根を埋めておいたら勝手に咲いてきただけのものだったからだ。確かに、花壇というよりは土の片隅から色とりどりが顔を出しているだけだった。母にとっても子どもにとっても、特別に思い入れのあるものではなかったはずだ。
工事の日。学校が終わるやいなや、ランドセルを玄関に放り投げ、道路に飛び出した。ショベルカーが庭の土を削ると聞いていたから、重機が地面を壊す光景を見たくて仕方がなかった。
現場には工事のおじさんたちが何人もいて、ヘルメットの下から汗を拭いながら作業を進めていた。ショベルカーのアームがうなりをあげ、鉄の爪で庭をかき回す。乾いた土と草の匂いが混じり合い、むっとした風が顔をなでていく。
花たちは、容赦なく土ごと掘り返されていた。あれほど鮮やかに咲いていたはずのチューリップや水仙が、あっけなく地中から持ち上げられ、根ごとひっくり返されていく。
ぼんやりとそれを眺めていたときだ。オレンジ色のチューリップのすぐ脇に、ショベルカーのシャベルが突き刺さった。
次の瞬間。耳をつんざくような女の悲鳴が聞こえた。
頭の中で響くような声ではなかった。間違いなく、鼓膜を震わせていた。けれども、工事のおじさんたちは誰ひとりとして反応していなかった。声が聞こえたのは、自分ひとりだけだった。
なぜか直感で分かった。あの悲鳴は、チューリップのものだ、と。頭のどこかで「植物が叫ぶはずがない」と理屈がささやいたが、それを押しつぶすほど強い使命感が胸を支配した。助けなくてはならない、と。
気づけば、ショベルカーの前に飛び出していた。
おじさんは驚いてブレーキを踏み、アームの動きを止めた。鉄の爪が空中で止まる。その下に小さく震えるチューリップの花弁。
息を切らしながら「移動させたい」とおじさんに伝えた。言葉にした途端、ようやく自分でも馬鹿げたことをしていると思った。花を守るなんて、普段なら考えもしなかった。けれどもそのときは必死で、どうしても放っておけなかった。
おじさんは不思議そうな顔をしながらも「いいよ」と頷いてくれた。
しゃがみ込み、両手で根元ごと掘り起こした。土にまみれた根をできるだけ壊さないように慎重に持ち上げ、庭の端の、安全そうな場所に植え直した。
その様子を見ていた別のおじさんも、スコップを持ってきて残っていたチューリップを何本か掘り起こし、同じように移動させてくれた。助かった花たちは土の中で揺れ、夕方の風に花弁をふるわせていた。
作業が終わると、胸の奥に妙な静けさが残った。耳の奥に、あの悲鳴の余韻がまだこびりついている気がした。オレンジ色のチューリップは、植え直された土の上で、まるで安堵しているように見えた。
それで終わったはずだった。
しかし夜になると、夢の中でまた声が聞こえた。悲鳴ではなく、ささやきだった。低く湿った声で、意味は分からない。言葉というより、吐息に近い響きだった。眠っているのか起きているのか分からないまま、その声に引きずり込まれた。
次の朝、庭に出てみると、植え直したチューリップが夜のうちにすべてしおれていた。土にしっかり埋めたはずなのに、花弁は色を失い、根は黒ずんで溶けかけていた。一本残らず。
その光景を見たとき、背筋が冷たくなった。あの声は助けを求めていたのではなかったのかもしれない。助けたことで、何かを閉じ込めていた土を壊してしまったのではないか。
しおれた花を前に立ち尽くす自分の背中で、微かに、土の下から女の声が笑った気がした。
あれから何十年も経った今でも、庭に花を植えることができない。花屋の前を通ると、あの悲鳴が喉の奥でよみがえる。花はただ静かに咲いているだけなのに、どうしても生きた人間のように感じてしまうのだ。
たまにふと思う。あのとき助けたチューリップは、果たして本当に助けられて喜んでいたのだろうか。それとも、声を聞いてしまった子どもを逃さないために、わざと泣き叫んでみせただけだったのではないか。
そう考えると、今でも庭の土の下で、枯れた花の根の隙間から、何かがじっとこちらを待っている気がしてならない。
[出典:913 :本当にあった怖い名無し:2019/12/21(土) 00:23:34.70 ID:9xfrE0vi0.net]