二週間ばかり前のことだ。
晩に犬の散歩をしていて、どうにも胸の奥に残るような奇妙なものを見てしまった。忘れようとしても、目蓋の裏に焼きついている。
クロという雑種犬を飼っている。これまでは息子が世話をしていたのだが、中学生になって部活に入ってからは帰宅が遅くなり、必然的に夕食もずれ込んだ。そのため散歩の役目が自分に回ってきた。もともと座り仕事の団体職員だから、身体を動かすいい機会だと思い、四つほど散歩のコースを作ってローテーションしている。
その晩は「神社コース」を選んだ。
家から十五分ほど歩いた先に、某有名企業の工場があり、その横手に企業所有の野球場が広がっている。三塁側のダッグアウトの裏に、小さな林があって、中に祠がひとつ。かつては大きな社殿だったらしいが、不審火で焼け落ちたとき、有志が建て替えたという話を聞いた。
クロの足取りは軽く、冷えた夜気を鼻先で嗅ぎとりながら前を行く。
曲がり角を回り、球場の外周に差しかかった時だった。小路から車が一台出てきて、ヘッドライトが網の内側を鋭く照らした。光の中心に、妙なものが浮かび上がった。
ネットの内側に立てられた一リットルのペットボトル。
珍しくもないと思ったが、口の部分まで液体が詰まり、垂直に立っているのが気になった。中には細長い紙切れと、黒く渦巻いた塊のようなもの。街灯の位置が悪く、影になってよく見えない。
その瞬間、リードが強く引かれた。振り返ると、クロが歯をむき出しにして低く唸り、後ずさりしている。普段はおとなしい犬が、毛を逆立てて震えるような様子を見せるのは初めてだった。
奇妙に思いながらも歩を進めた。
だがクロの態度は落ち着かない。背を低くして、耳をそば立て、周囲の気配を探るように歩く。五十メートルほど行った先で、犬が「ウッ!」と吠えかけて声を飲みこんだ。その視線の先、生垣の枝に何かが引っ掛かっていた。
またペットボトルだった。
近寄ろうとすると、クロが激しくリードを引き、どうしても足を向けさせまいとする。仕方なく電柱に繋いで一人で覗き込んだ。街灯が当たり、さっきよりも中身がよく見えた。
液体は透明で澄んでいる。
その中で、折りたたまれた紙と……内臓のような塊がゆっくり回転していた。魚か、カエルか、何かの生き物の臓物らしきものが。喉がひゅっと鳴り、目を逸らした。見なければよかったと心底思った。
気味の悪さに胸を押されるように歩を速めた。神社はすぐ先だ。犬を連れているから普段は鳥居をくぐらず引き返すのだが、その夜も同じつもりだった。
その時、赤い奉納鳥居の並ぶ奥から「カサカサ」と乾いた足音が近づいてくるのが聞こえた。目が吸い寄せられ、動かせなくなった。
鳥居の間を、女が歩いてきた。
和服姿の中年女。両手で大きな布袋を抱えている。袋の上部から、ペットボトルのキャップがいくつも突き出していた。七つ、八つ。まるで供え物のように整然と並んで。
女は厚化粧で顔が真っ白だった。視線をこちらに向けることなく、ただ音もなく横を通り過ぎていった。角を曲がり、闇に消える。
そのときクロを見ると、伏せの姿勢で全身を小刻みに震わせていた。帰り道、犬は二度道端に吐き、その夜は餌を口にせず、今に至るまで調子を崩している。病院に連れて行こうかと迷っているが、あの夜のことを思うと、どうにも踏ん切りがつかない。
それ以来、神社コースの散歩はやめた。あのペットボトルが今どうなっているのかは知らない。
翌日、近所の人に神社のことをそれとなく尋ねた。噂では、ここでは過去に二度ほどボヤ騒ぎがあったらしい。遠くから炎が見え、通りがかった人が通報したのだが、消防が到着すると燃えた跡は何も残っていなかった。
夜な夜な鳥居をくぐる白い女と、袋いっぱいのペットボトル。
そして、犬の眼にしか見えない何か。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわつき、息苦しくなる。自分の目に映ったあの光景は幻覚だったのか、それとも……今もどこかで、あの布袋の中身がじわじわ増え続けているのか。
[出典:656 :本当にあった怖い名無し:2012/12/18(火) 00:12:52.74 ID:s57WDnQg0]